vol.16 自分は何もできない
「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。
編集チームが独断と偏見で選んだ面白大学生の人生をお届けします。今回は第16回目。ゲストは北海道教育大学岩見沢校の遠田悠也さんです。
「自分は何もできないから」
そんな理由で一歩踏み出すことができない時ってありませんか?では、逆に「何もできないこと」のポジティブな面を考えてみましょう。プライドがないから純粋に人を頼ることができる、また感謝することができることです。
このように考え方を変えることで目の前の障害物は障害ではなくなります。これを実践しているのが遠田さんです。それでは早速、スポーツと地域貢献に関わってきた遠田さんの人生から沢山のことを学んでいきましょう!
とことん負けず嫌いだったバスケ少年
ーこんにちは!では早速、遠田さんの自己紹介と今の活動について教えてください。
「北海道教育大学岩見沢校4年の遠田悠也です。今やっていることは、学生団体「ヒトツナギ」で地域に貢献するために岩見沢市で商店街や小中学校と連携して活動しています。その他には、個人でコーチングだったり、様々なイベントの企画・運営をやっています。」
ーありがとうございます。では、まず遠田さんの小学校の頃について教えてください。
「小4までは特に何も好きなことが無く、友達に流されるような子どもでした。小4からはバスケットボールを始めて、それを頑張っていました。元々野球部に入ろうと思っていたんですけど、何かの手違いでバスケットボールを始めることになっていましたね(笑)。」
ー何かの手違いだったんですね。
「はい。バスケットボールが好きだったわけでもないし、小4から始めるというのは結構遅いスタートだったので、一番下手くその状態からバスケを始めました。バスケを始めてから負けず嫌いになり、小6の時には山形県大会優勝をして、県選抜にも選ばれました。」
ー伸びがすごいですね。中学生の時もバスケが生活の中心でしたか?
「そうですね。中学生の時が自分の中の全盛期でした。県大会優勝して、県選抜、東北選抜に選ばれました。」
ーこれだけ活躍されていたのなら、プロバスケットボール選手を目指していたんですか?
「途中までは目指していたんですけど、高校受験の時に親からの大反対を受けてすぐに諦めました。この時は信念もなかったので(笑)。学校の中では学級委員長とか学年委員長も務めていました。」
ー文武両道の優等生だったんですね。
「でも、小中の時は宿題を1回も出したことがありませんでした(笑)。小学校の時に先生に『宿題ができません。どうしたらいいですか?』って聞いたんですよ。そしたらその先生は、『毎月のテストで90点以上取れたら宿題やらなくていいよ』って言ってくれました。だから宿題は出さないけど、勉強は頑張っていましたね。」
ーユニークな先生ですね。高校の時はどんな高校生でしたか?
「プロの道を諦めて進学校の道に進みました。部活では同じように負けず嫌いでめちゃめちゃ練習してたので、他の部員から『お前がキャプテンになったら練習辛すぎて死んじゃうからキャプテンにならないでくれ』と言われていました(笑)。」
ーそれだけ練習していたんですね。
「練習中に何度も熱中症で倒れていました。そのせいで内臓にダメージがいってしまい、高3の10月に肝臓が壊れてしまいました。授業も出れないし、運動も食事もできないような体調不良になってしまいました。」
ーそれは辛いですね...。受験はどうされたんですか?
「志望校どころではなかったので、とりあえずセンター試験を受けて自己採点をしました。そして、その点数で入れる国公立でスポーツを学べる大学を北から探しました(笑)。そこで見つけたのが北海道教育大学岩見沢校です。結果、合格することができました。」
人と話すことの面白さに気付いたオーストラリア留学
ー入学する前はどんな大学生活を想像していましたか?
「大学に入ってもずっとバスケを続けようと思っていました。インカレに出ようとまで思ってたんですけど、実際に体験に行ってみたらまだ体調が治っていなくて全然思い通りにバスケができませんでした。
バスケの道を諦めざるを得なかったんです。これまでやってきた、人生の何割を占めているかわからないほどの大きなものがこの瞬間に0になりました。」
ー相当なショックですよね...。
「そこから何もない大学生活が始まりました。すき家でずっとバイトをしていて、ひと月15万円を稼いでいました。
僕の学科は95%の人が部活動に入っています。なので、僕は縦とのつながりも横とのつながりも広がらず、友達もいないし遊びに誘われることもない状況でした。」
ーバイトで稼いだお金は何に使ったんですか?
「1年生の春休みにオーストラリアに短期留学に行きました。お金がたまったから何かしたいと思って応募時期が重ねっていたから、というだけの理由だったんですけど、この短期留学が僕にとって一番のターニングポイントになりました。」
―詳しく教えてください。
「2か月間だったんですけど、最初の1週間がめちゃめちゃ辛くて...。ホームステイ先でも学校でもみんなが何を言っているかわからなかったんです。頼れる友達もいませんでした。」
ーどうやって乗り越えたんですか?
「2週間目になぜか英語がわかるようになりましたんですよ(笑)。それで会話ができるようになったことで、すごく嬉しくなって、色んな人に話しかけました。この時に、人と話すのって面白いなあと感じましたね。」
ーどんな人と話しましたか?
「まず、現地に住んでる日本人の人から英語を教えてもらいました。あとは、なぜか韓国人と中国人の女の人からモテたので、その人たちから韓国語と中国語を学びました(笑)。ホストファミリーのお父さんはIT系のすごく仕事のできる人だったので、夜ご飯を食べながら仕事について教えてもらいました。
自分の住んでいる世界では絶対に知ることのできなかったことを人と話すことによって知ることができたんですよね。その発見がすごく楽しかったので、新しいことを見つけたいという好奇心が溢れたのがこの時です。」
何もできないことをポジティブに捉える
ー帰国後は何をしたんですか?
「好奇心にあふれた状態で帰ってきたので、なんでもしたくなっちゃいました(笑)。まずは大学内でいろんな人に話しかけて横のつながりができました。この時に藤本(悠平さん)と出会いました。
藤本から『一緒に学生プロジェクトやらない?』と誘われたことによって、僕の大学生活は、プロジェクトをやる大学生活に変わりました。」
ーそれだけ大きく大学生活を一変させることができたのは海外に行ったからですか?
「海外に行ったからですね。1週間、会話も、お互いをわかり合うこともできなかったことからこそ、人と話すことの楽しさに気付けたんだと思います。」
ーそうなんですね。藤本さんとのプロジェクトはどうなったんですか?
「6月までに学生プロジェクトの申請をしなければいけなかったんですけど、締め切り1週間前になって、一緒にやらないことにしたんです。何の根拠もないんですけど、自分なら、藤本のプロジェクトよりも面白いものができると思って(笑)。」
ーじゃあ藤本さんと同じプロジェクトの募集に違う内容で申請したんですね。
「そうです。1人で抜けて、別のものを企画しました。その内容は「子どもたちのためのスポーツ教室開催+街中にキャンプ場を作って子どもたちに遊んでもらう」というものでした。
ただ、準備の仕方もわからないし協力者もいないまま一人でやっていたので本当に苦しかったんですよね。(藤本さんは手伝ってくれたそう。)」
―当日の結果はどうでしたか?
「3日間のうちの初日は親と子あわせても30人くらいしか来ませんでした。この時は『こんなもんだよなあ』とショックを受けましたね。2日目からは子どもたちの楽しんでる声を聴かせて興味を持ってもらうしかないと思って、全力で子どもたちと遊びました。そしたら、自分自身すごく楽しいし、子どもたちも楽しんでくれて。
そのおかげで2日目と3日目は親と子あわせて100人くらい来てくれました。」
ー一気に結果が出たんですね。
「小学校のバスケを始めたころと重なるんですけど、この時は、何もできない状態、自分が一番しょぼいという状態からスタートしたことで、プライドを持たずに人に頼ることができたし、人に感謝することができました。
自分は何もできない状態であることは一歩を踏み出しにくい原因にもなりますが、考え方を変えれば、何もないからこそ、失敗を恐れる必要はないし、人に頼ることができると思います。」
ー確かにその通りですね。人に頼ることって全然悪いことじゃないですよね。遠田さんはこの学生プロジェクトの後は何をされたんですか?
「大学2年から3年生まではEDUFESやezorockなど、色んな団体のイベントをひたすら手伝っていました。好奇心旺盛な自分は”何もできない”からこそフットワークを軽くして色んなところに行けたんだと思います。」
ー大学4年になってからはどんな風に動いているんですか?
「後輩をサポートできる立場になろうと思って、後輩の考えたこと、企画したことを全力でサポートしています。去年1年間は自分が企画したことを後輩たちに手伝ってもらっていました。
でも、最近は後輩からアイデアが出てくるようになってきて。それを聞くのがすごく面白かったので、アイデアは後輩に任せることにしました。企画する楽しさじゃなくて後輩に教えることの楽しさに気付いたんです。」
ー教育大生っぽくなってきたということですね。
「そうですね。やっと教育大生っぽくなってきました(笑)。」
今後の展望とメッセージ
ー遠田さんの今後の展望を教えてください。
「長期的にはこの先10年間のことを考えているんですけど、来年就職してその会社に27,28まで勤めます。その後はワーホリに2年間行って、岩見沢に帰ってきます。岩見沢では今お世話になっている方と一緒に学童を開く予定です。2~4年やったら、地元の山形に帰って何かをやる、というのがこの先10年間のざっくりした展望です。
短期的には、恐らくヒトツナギは今年に終わるのできれいに終わらせることと、後輩のプロジェクトをサポートして後輩に成功体験を作ってもらって、次のステップに進んでもらうことが目標ですね。」
ーでは最後に、想いはあるけど動きだせない大学生に対してのメッセージをください。
「何回か話にも出てきましたが、一歩踏み出せない理由となっていることは考え方次第ではポジティブに捉えることができます。「~という理由で一歩踏み出せない」状態にあるなら、~の理由をいい方向に捉えることはできないか、もう一度考え直してみてください。そうすれば、そのできない理由が大したことなかったりしますから。
あとは、無理に活動しなくていいと思います(笑)。なんか活動したいと思っているならやってみればいいし、「別にやりたくないけど、みんながやっているから。」という理由で焦ってるなら、本当に自分のやりたいことを探すためにぼーっと頭を働かせることや、やらなきゃいけないことを地道にやっていたほうがうまくいくと思います。」
以上でインタビューは終了です。折角やりたいことができても、やるかやらないかについて考えていると、どうしてもやるべきでない理由を考えてしまいます。そのやるべきでない理由は本当にやるべきでない理由になっているのでしょうか?
よく考えてみたらバイアスがかかっているだけかもしれませんよね。この記事を読んだ方でもし迷っていることがあるなら、それをやっていない理由について考え直してみてください。
遠田さんの人生を書いたこの文章から何かのきっかけを得てもらえたら嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!
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