好きだけど、ちょっとこわいもの(=ジュース)
フルーツティーがこの頃お気に入りだ。
フルーツティーといってもいろいろあるけれど
この頃気に入っているのはティーバッグで淹れるもの
みずだしのも、お湯出しのものも、ある。
水出しのものはこのあたりがお気に入り↓
ステビアが入ってるせいかほんのり甘くて、ジュースよりはきつくなくて嬉しい
果物の味と香りはちゃんとしてくれるし
水出しのものは酸味もキツすぎなくて
爽やかな何かを飲みたいときにはぴったりなのです
あったかいのは酸っぱめだけど、蜂蜜入れるとうまうまです
わたしはここのメーカーのが好きだけど
いろんなのがあるから色々試すのもまた楽しいです。
レモンを絞った後のガラを水に入れてのレモンウォーターなんてのも大好き
最近はヘベスのものにハマってます
子供の頃本で読んだ「果実水」ってきっとこんな感じですよね
美味しくて、大好きです。
正直なところ
普通に売ってる果物ジュース、はなんか濃くてキツくて飲みにくい…
自分が飲むときはいつも水で半分に薄めて飲むようにしているくらい…
ある日師匠の発した一言にショックを受けて以来
あの濃さの果実が体にたくさん入ってくるのに抵抗感があるのです
おかげで気軽にジュースをゴックゴクすることができなくなってしまいました
ぅう…くそう、師匠め…
いや、大切だし、知っといて方がいい感覚だとは思うんだけれど
またひとつ無邪気さを失ったような気がしてしまってちょっと寂しい
…サイエンティストの宿命といえばそれまでなんですけどさ(大袈裟)
ジュースが怖い、その理由
たとえば、オレンジジュースですけど
絞って作るとコップ1杯でオレンジ3−4個まるまる使いますよね。
と、いうことは「一杯のみきる≒オレンジ3−4個分を食べる」ということ
でも、よくよくかんがえてみると
オレンジを3ー4個まるまる食べ切るのにかかる時間と
オレンジジュース一杯のみきる時間は
相当ちがいます。
飲むって、食べるに比べたらかなりなスピードです
りんごでも
みかんでも
ぶどうでも
野菜ジュースでもおんなじです
ジュース、要するに
えっらい速度でえっらい大量に、人体に摂取されているのです
それがほんのりこわくなっちゃったのです
こわい、というよりも
微妙な警戒があるというのに近いかもしれません
そのひとこととは
そんなことを思うきっかけになったのは検査や分析の師匠のひとことでした
ある日、中毒で死んだ動物の話をかなりがっつりしていただいている最中に
師匠にこう言われたんです。
「ジュースは危険。ありえない速度とありえない量で体内に取り込まれるから
人間もそうだけど、生き物の体はそういうのに対応できるようにできてない」
餌や植物の毒性や中毒が専門の方なので、その言葉の破壊力は甚大です
先ほどのように、オレンジの例で説明してくださいました。
確かにそうです。
「ありえない量と速度」です。
ヒトじゃないとできない加工という行為でその速度と量が実現されています
けれど、本来の普通のやり方では相当ありえない速度なのは確かでしょう
うわあ、っておもいました。
うわあ、こええええ、って。
その時の師匠の表情や口調も含めて。
それのなにがいけないの?
速度の問題だけじゃなく
確かに350mlのジュースは一気飲みできるけど
4個のオレンジは一気に食べられない
飽きるとか、気持ち悪いとかなりますよね。
ジュースで飲んでしまうとその警報もこない。
そしてその一気に摂取したものは一度に大量に吸収されて
血中濃度、体内濃度が一気にガツンと上がることになります
どのようなものでも中毒を起こす条件は「血中等の濃度が一定以上になること」
つまり、ゆっくり食べていれば中毒等を起こさないものでも
一気にガツっと摂ってしまえば、中毒量にガッと達してしまうかもなのです
イメージとしてはこんな感じ↓
総摂取量(面積)が同じだとしても(この図は適当に書いたから違うかもだけど
最高濃度が何倍もことなることがありえるということです
(maxの高さに注目です)
ほら、糖分も同じだよね
一気に甘いコーヒーをガツっと飲む習慣がある人は糖尿になりやすいとか
どか食いは太りやすいとか
そういうアレと全く同じなのです
…こわいよね、これ。
もちろん、アレルギーなんかも起きやすくなります
大量にガーっと入ってしまったら体が「異物だ!」って思いやすくなるもん
(それを反対に利用してるのが薬だったりもするんですがこれはまたの機会に)
なので今、わたしは結構な期間と量、食べつけているもの以外のものを
ジュースにして飲むのにはちょっと警戒してしまいます
こういうのって知ってしまうと元には戻れません。
…って書き方してると似非科学っぽくなっちゃうけど(苦笑)
これはすんごいシンプルな人体機能の話で
でも、だからこそ、ひゅーっと、ほんのり恐怖を感じてしまったのです
どう対策すればいいのか
単純に「元の量」を考えて、常識的な範囲をゆっくり楽しめばいいだけの話です
「喉の渇きを癒すために、水分を取るために果汁100%を摂るのはばかげてる」ともいわれました
「果物は、食べるもの。喉が渇いたときに欲しているのは水!
水と同じ感覚で飲むようなものじゃないのよそもそもが」
明確にその通り過ぎます。
果汁100%はおいしいし、栄養もある
健康にも良さそう
でも、実際は全然そうじゃない、のです
アメリカなどではオレンジジュースをガブガブ飲むのが肥満の原因の一つになりえるなんていう話も聞いたことがあります(エビデンス確認してませんが)
ジュースは果実
しかも、繊維を除いた果実
もしくは、果実の風味をつけた砂糖水
子供の頃から当たり前に飲んでその辺にあったものだったので、全然気にしてませんでした。
こんなふうに、無意識に「良さそう」と思っているけれど、実はよくないものって、実際の生活の中には結構たくさんあるんじゃないかと、そのときに気づかされました。
自分が手にしている環境で普通につかっているもののよしあしを一つ一つ確認するのは大変です。でも、マイクロプラスチック問題とかも、おんなじようにそういうところから発生してしまっているんですよね…
ちゃんと知る、考える
立ち止まって見直してみる
そして「常識の範囲を疑う」
この世界を生きて行くためにはそういうことをするための科学の素養は重要なんだなと、思わされた出来事でありました。
いや、単純に「希釈100%ジュース美味しい」んだけどね
騙されたと思ってやってみてください(笑
増えるから経済的ですしね(ぇ
きみたちへ
きみたちは、まだ「世界」は基本正しいと、思っているんじゃないかと思う
環境問題やいろんな問題があるけれど
そういうものに怒りを覚えて
「こんな世界間違ってるよ!」とか言い出す頃だけど
まだ、世界を学んでいる段階の君たちは
「そういうもの」として慣れてきたものを疑えるまでの知識や学習は足りていないんじゃないかなと思う
「誰かの言い出した“これはオカシイ!”」に説得されることはあっても、ね
疑うにも、指摘するにも
知識と経験と思考が要求されるんだ
ひとつの原因と結果ををみて「それは違う!」というのは簡単だけれど
そうせざるをえないような理由があっての苦肉の策かもしれないし
本当に間違っているのかもしれない
ひとのよのなかは、いろんな事情が絡まって出来上がっているからね
どうしても複雑に絡み合ってしまって、単純なものなんてなかなかないくらいだ
でもね、そこをなるべく単純に抽出してわかりやすくする手法が「科学」なんだ
わかりにくいものや複雑なものをいかに単純化して、多くのものに当てはまる法則のようなものを見出せるか…科学はそのためにあると言っても過言ではない。
数学もね、自然科学なんだよ
自然界にあるものを数という概念で単純化して理解しようという試みだ
だからね「数学の手法や基本の技術を身につけることには重大な意味がある」
「こんなことやっても社会に出たら役に立たない!」とか言ってる人ってね
基本技術を使うだけの能力がない、もしくは使ってる自覚が持てない人なんだ
残念ながら。
学校教育のシステムはいま、よくないんじゃない?って思えてしまう現状はあるけど、内容はある程度以上に正しくて、ちゃんと身につければ現代の社会の発展した技術やその根拠である科学や歴史にちゃんとアクセスができるような基本能力を身につけさせてくれるものではあるんだ
かーさんは
学校教育に関してはがっつりうけてきたし
塾の先生やったり獣医になったりで、相当適応してきた方。
でも、そんなかーさんでも
「果物をそんな早さで摂取するのはちょっと怖い」なんて、考えたら当たり前のことを、指摘されないと疑問に思えないものなんだよ。
そういういあたりまえとして受け入れてしまっているものを疑問視するためには
反対に、知識や教養が本当にたくさん必要になってきたりするんだ
「守破離」ってことばがある
守破離
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
ーweblio 小学館国語辞典より
ね、昔からこう言われている通り
ひとつのものをある程度以上ちゃんと知らないと
新しいものを作ったり、発展させたりはできないんだよ
ひとつひとつの部品の意味が分かっていないと機械は組み立てられないし
組み立てられて使えるようになれば、改良ができるし
それを使いこなしたのならもっといいものを作り出すことができるかもしれない
そういうことなんだ
この世に今あるものの全てが何千何万の人が、何千年もの歴史をかけて作り上げてきたものなんだよ
ひとつの技術や考え方の上に、誰かがまた他のものを積み上げてきた
それが歴史であり、科学であり、芸術なんだよ
ほら、絵具ひとつにしたって、その色を出すために、その使い方をするためにどれだけの人々の努力があると思う?
その色が欲しいと誰かが思って
その色を出す物を探して
それをどのようなものに溶かしてどんな混ぜ物をすれば変色しないとか実験して
たくさんの人が使って、改良して、改良して、改良していまのかたちがあるんだ
それが、何十色もあるんだよ。
それって、すごいよね。
そういうもののうえに、当たり前のように立っているのが、普通の文明人なの
まだきみたちは「守」もできていなくてあたりまえなところなんだ
そういう意識があるのとないのとでは、世界の見え方が全然違うと、思う
かーさんだって、まだ「守」の段階を通過できてないんだけどね
通過できるようなもんじゃないって、やっとちゃんとわかったくらいのところなんだけどね
かーさんは
きみたちに
世界の広さと面白さ
そしておそろしさやあやうさを
できるだけたくさん、みてほしいと思ってるんだ
それでも、世界は美しいから。
薄めたジュース、美味しいしね
決してケチるために騙して飲ませてるわけじゃないんだよ
…そこんとこ、誤解しないでね
カルピスは濃い目であげてるんだからさ