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わたしは、ぐれたことがない。 グレるとはどういった行動からその言葉の範囲に入るのだろうか。 いわゆる反抗期もグレに入るのだろうか。 12月は友人の誕生日が続く。小中高の友達の誕生日を覚えていても、もう祝う機会は訪れないのかもしれない、そんな人はちらほらいる。 あの時は、ああだったのに。今は、 なんてことがたくさんある。 昔仲が良かったあの子はどんな子だっただろう。 会える人は続けなければみるみる減っていく。かつて仲が良かった存在とはなんだろうか。 互いに、自分が更新され
完全に誤解していた 「グレる」って言葉は「愚連隊」から来てるんだと まさかの逆だった。 ぐれてる人たちが集まったのが愚連隊だった。 「グレる」のほうが古い言葉だった。 今回のお題に関して何気なく調べてみたら判明したのだが 結構なショックを受けている。 なんてこった…全く疑問を持ってなかった…… そういうのって、気づいてないだけでたくさんあるのかもしれない 「鶏が先か、卵が先か」 最近とてもよく口にしてしまう言葉だけれど ニワトリタマゴ、なんて耳馴染みのよい言葉達の癖
1ヶ月前を再起させるようなコミュニケーションがヘドロのようにドロドロ衝突しかおこらないずっと目まぐるしく気持ち悪さがずっとある 「閉じた世界は私がいないようでいい世界だよ、いろいろ自分に世界を吸い込ませることができるんだから。これもこれもこれもあなたの「すき」である世界になるんだよ」そうやって抱えるので精一杯な紙袋を持つ私。ここには私の世界がある。でも持とうとするのがむずかしい。重くて持ちきれなくて紙袋から大切な雑誌が落ちていく。ちょっと床に置いたら「何をしてるんだ」と怒られ
窮していた。 自分にとってだけだが、あまりにも明確に出口が見えなかった いくつもの分岐が目のまえにあるのはたしかなのだが どうしても どれもに難があり、どれもが素晴らしいようにも見えてしまい そして、どれもが実現不可能なようにも見えて まったくもって答えにならなかったからだ。 完全に 窮していた 転職をしようと考えていたのは入社した時からだったかもしれない いや、もしかしたらそれよりも前だったかもしれない。 そう、わかっているのに 決断からは程遠い情報がどかどかと自分の中に
「愛ってなんだろうね」 「うーん、なんだろ。」 「loveって愛じゃん?」 「うん。たしかに。」 「でもフォーリンラブって”恋に落ちる”じゃん?」 「言われてみれば…。愛に落ちるとは言わないね」 「落ちるって主体が私で視てるとして、恋が可視化できるとして客体だとしたら、なんというか、ものすごい受動的なのよね。偶発的な出会いっていうか。」 「うーん、街行く人に恋することはできるけど、愛することはできない、みたいな?」 「まぁ、そんな感じかも。愛に持っていくには主
天井にお顔があるよ、怖い…… ヤダなんだかここに顔がある気がする、心霊写真かな…… よくあります。 何かがどうしても顔に見えてしまうってこと。 それって、人間の基本的なシステムのひとつのシュミラクラ現象というらしいです シミュラクラ現象(シミュラクラげんしょう、英: Simulacra)とは、人間(ヒト)の目には3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされている、という脳の働きである。和訳は類像現象。 wikipedia 全く覚えられなくていつも、シュミ