06 月の剣
月光の下、木を彫り続ける。そうすると自分の気持ちが落ち着いてくるのが分かる。
辛いこと、苦しいこと、それを総て研ぎ澄ますと、真ん中に本当の自分が現れる。
だがそれを誰かに見せてはいけない。見せたところで何が起こるわけでもない。
だからこのまま押し殺していこう。そのために木を彫り続ける……。
冬も押し迫ったある日のことだった。トーマスの住んでいる山小屋に、ジムゾンとディーターがやってきた。
ジムゾンはこの村に派遣されてきた神父である。長いこと病気で伏せっていたのだが、最近はかなり良くなってきたのか、村を散策する姿が見られるようになってきた。ジムゾンが元気になったのはディーターの看病のおかげなのかも知れないが、トーマスはそれに対して不信感がある。
それはディーターが一月ほど前にふらりと現れ教会に住み着いたよそ者だというのもあるが、どうも彼は自分達に対して何か一枚見えない壁を作っているような気がするのだ。
絶対に自分達とは交われない「何か」をトーマスはディーターに感じる。
「何の用だい、神父さん」
「実は……ディーターの為にナイフを作っていただけないでしょうか?」
トーマスはその言葉に驚いた。
普段自分は木こりとして木を切ったり木工品を作ったりして生計を立てているが、たまに刃物を作ることがある。それは自分が使う道具を手入れしているうちに自分にあった物を追求し始めたのが元で、今では趣味の一環だ。
だがどうしてそれをジムゾンが自分に頼むのだろう。その辺に多少違和感を覚えた。
すると後ろにいたディーターが何かを察したのか、面倒くさそうにこう言う。
「前にいた街でナイフをなくしちまったんだよ。なきゃないでなんとかなるだろうと思ってたんだが、ハムを切るにも果物を切るにもいちいち台所まで行かなきゃならないのが面倒でね。いっそそのへんで買おうかとも思ってたんだが、ジムゾンがあんたならいいナイフが作れるって言うんでな」
そう言いながらディーターは腰にぶら下げた鞘を見せた。確かにそれはナイフをしまうための物であり、皮の光り具合からも長いこと使い込まれているのが分かる。
しかし、それを見てトーマスは腕を組みしばし唸った。
使い込んでいるということは、手入れはちゃんとしていたのだろう。だが、ディーターが何のためにそこまでナイフを使い込んでいたのかが分からない。迂闊な者に刃物を渡せば何が起こるかは火を見るより明らかだ。それにディーターの顔にある傷……あれは明らかに何者かに刃物でつけられたもので、そのような出来事に巻き込まれたという確かな証拠でもある。
断ろう、そう思った瞬間ジムゾンが自分を見た。
「お願い出来ないでしょうか?」
その言葉に重なるようにディーターが言葉を吐く。
「べつにいいさ、作れねぇってのならどこかで買えばすむことだ」
その二人の瞳は対照的だった。
ジムゾンは純粋に自分に頼み事をしている目だ。いつものように薪を頼んだり、教会の修理を頼むのと全く変わりがない。だが、ディーターのその目は明らかに自分を試している。それは自分の考えを総て見透かして、断るのは分かっているんだとでも言いたげな表情だった。それがトーマスの癇に障った。
「分かった、作ってやろう」
トーマスの家にはディーターとトーマスが残された。ジムゾンはヤコブとオットーの所に寄るらしい。
「どんなナイフが欲しいんだ?」
トーマスがそう言うと、ディーターは腰についていた鞘を外してテーブルの上に置いた。
「これに丁度収まるやつがいい。持ち手は皮で余計な装飾はいらねぇが、刃の部分はしっかりしてないと困る。注文はそんなもんか?」
恐ろしく実用優先の注文だ。トーマスはテーブルの上に置かれた鞘を自分の指で計った後、ディーターに手を見せるよう促す。
「手のひらと腕の長さを測らせろ」
「は? ナイフにそんなもん必要なのかよ」
「俺がこだわるんだ」
ディーターの手は意外と指が長く、器用そうな手をしていた。腕も長く、鍛えられている。自分もかなり鍛えている方ではあるが、それが力仕事専用の筋肉だとするのなら、ディーターのは明らかに戦闘用の筋肉だ。無駄な物を一切省いているそれは、ある意味刃物のようでもある。
「……いつまで腕握ってるんだよ」
「ああ、すまない。ずいぶん鍛えているのだな」
「まあな。ガキの頃からろくでもない暮らしだ、生きていくためにゃ自ずと強くもなるさ」
腕を下ろしたディーターは、その辺の椅子に座り足を組む。
「別にあんたが心配してるような使い方はしないつもりだぜ。本当に不便なだけだ。刃物が必要なケンカなんざこの村にゃあるわけねぇ」
見透かされた。
不敵に笑うディーターの瞳には、やはり自分が相容れない闇を感じる。
「俺が気になるのは、あんたが本当に俺にナイフを作る気があるかどうかだけだ」
「…………」
沈黙が両者の間に走った。
たとえここで自分がナイフを作ることを断ったとしても、ディーターは何も言わないだろう。奴にとってはそれも予想の範疇だ。
だが、ジムゾンはどう思うだろう。街で買えばすむような物をわざわざ自分に頼みに来たということは、ある意味信頼されているということだ。それを裏切るようなことは出来ない。トーマスは溜息をついた。
「分かった、三日待ってくれ」
「三日でいいのか? 金はいくら払えばいい?」
「出来上がるまでわからん。それでもいいのか?」
その言葉にディーターは不敵に笑う。
「時価ってやつか、それでもいいさ。手元にナイフがないとあちこちの刃物を研ぎたくなってな、昨日も危うくペーパーナイフを研ぎそうになってジムゾンに怒られたところだ。ま、目的のある旅だからあまり金を使いたくないが、今回は別だ」
目的のある旅……ということは、ディーターはこの村に長居する気はないのであろう。そういえばヤコブが「春が来るまでこの村にいさせてやって欲しい」と言っていた。それは病気の神父を看病してくれたという感謝の気持ちもあるが、多少の後ろめたさを隠すためなのかも知れない。
この村は今でこそこんなにこぢんまりとした村だが、数年前まではかなり大きな集落だった。だが村に流行った病がそれを一転させた。村人の多くが死に、残った者も街へ出たりして今では十数人だけがこの村に残っている。
それからの暗黙の了解……「病の人間に不必要に近づくな」
危うくジムゾンを見殺しにしかけたのもそのためである。宿の一室で冬を越させようという話もあったが、それもある意味断られるのを見越しての偽善的提案だったのかも知れない。だが、村を病で滅ぼさないためには仕方がなかったのだ。
その思考をディーターの声が遮る。
「もういいか? とっとと帰りてぇんだわ、メシ作りたいしな。鞘は置いていったほうがいいのか?」
「あ、ああ。置いていってくれ」
「じゃ、よろしく頼む」
そう言うと何の余韻もなくディーターは小屋を出て行った。
自分は人と話すのが苦手だ。
一度は街に出たこともあったが、結局すぐ村に戻ってきて木こりとして生計を立てるようになった。材木だけ切ってもどうにもならないが、切った木を椅子などに加工したり木彫りを作ったりするのなら自分一人の食い扶持は充分稼げる。それにこの村に取引に来る行商人は商才があり、彼に任せておけば商売に関して自分は何も考える必要はない。
今までそうやって暮らしてきた。そこに詮索するような者もいなかった。
だが、教会に派遣されてきた神父が来てからは少し変わった。ジムゾンは自分を信頼し、ぶっきらぼうな言葉しか返せない時にも根気よく何かを話しかけようとし、それを悪く思わない自分がいた。
自分がジムゾンに抱いている気持ちは「尊敬」だ。邪な何かがあるわけではない。
だがそこに入ってきたディーターに対する気持ちは一体何なのだろう。もしかしたら、自分はディーターが羨ましいのかも知れない。
何ものにも縛られず、自由に生き、自分の正義に従う。
だが、それはこの村にとっていいことではない事も分かっている。よそ者が来れば村の流れが変わる……だが、ジムゾンが良くてディーターが悪いという道理はない。
「俺は何を考えているんだ?」
トーマスはゆっくりと瞬きをした後、首を横に振った。今はナイフを研ぐことに集中しよう。揺らいだ気持ちで作った刃をディーターはきっと見抜いてしまうだろう。
それだけは、絶対に避けたい。
三日後ディーターは一人でやってきた。
「ナイフは出来たのか?」
その言葉にトーマスは座っていた椅子から立ち上がった。
「ああ、だが一つ問いたい。お前は何故教会に居着いている? 住む所ならいくらでも世話してやるぞ」
「は? 何でそんな事までお前に詮索されなきゃならねぇんだ」
ディーターの目が少しだけ攻撃的になる。
「じゃあ、詮索されついでに俺からも言わせてもらうけどな、あの時ジムゾン放っておいたら確実に死んでたぜ。知ってるか? あいつ煮るか焼くしか料理出来ねぇんだ。食い物だけあってもそれは世話したことにならねぇ」
「お前に何が分かる」
「分からねぇよ。この村の事情とか、んな事は俺にとっちゃどうでもいい。だけどな、死にかけてる奴をやんわり見捨てるような奴に言われる筋合いもねぇ」
何の事情も知らない癖に……!
そう思った瞬間、トーマスはテーブルの上にあったナイフをディーターの眉間近くに突きつけていた。
「俺は、お前が憎らしい」
少し脅かしてやるぐらいの気持ちだった。
だが、脅かされていたのは自分の方だった。
眉間のすぐ近くにナイフの切っ先があるのに、ディーターは顔を背けず瞬きすらしない。それどころかその瞳には笑みさえ浮かんでいるようだった。
「俺だってお前に好かれたいなんて思ってねぇ」
ナイフを持っているのは自分なのに、油断したらこっちが危ない…トーマスは何故か恐怖した。何だ、この男は、一体……。
「な、何をしているんですか!?」
その緊張を破ったのはジムゾンの叫びだった。慌ててトーマスがナイフを下ろすと、ジムゾンはトーマスをかばうようにディーターの前に立ちはだかる。
「ディーター、あなた一体何をしたんですか?」
そう問われたディーターはフッと肩をすくめるように笑った。
「俺は何もしてねぇよ。それに、ナイフ突きつけられていたのは俺。俺がかばわれるならともかく、何でトーマスがかばわれるんだか分からねぇな」
「でも、あなたが何か言ったからトーマスはあなたに刃先を向けた……違いますか?」
「喧嘩売ってきたのはそっちの方だぜ」
ジムゾンが自分の方を振り返った。その目に浮かぶのは心配の色。トーマスはナイフをテーブルに置いた後二人に向かって頭を下げた。
「神父さん、ディーターの言う通りだ。すまない。俺がディーターにケンカをふっかけたんだ」
「トーマスさん……」
「ディーター、詫びの印と言っては何だがナイフはタダで持って行ってくれ」
ディーターはその言葉に何の感慨もないように二人の横を通り過ぎ、迷わずナイフを手に取った。そしてその刃先をチェックした後、何かを確かめるかのように側面に唇を寄せる。
「いいナイフだ、俺が思った通りのな……間近で見てそう感じてたぜ」
そしてディーターは鞘にナイフをしまい、ポケットから金貨を何枚か出し無造作にナイフのあった場所に置いた。
「いい道具には金を払う、当然の事だ。それで気が済まないのなら、お前の腕で教会に聖母像でも寄付してやってくれ。じゃあジムゾン、俺は先に帰るぜ」
残されたジムゾンとトーマスの間を沈黙が支配した。
一体何を言えばいいのだろう。懺悔か、それとも他の言葉か。それを最初に破ったのはやはりジムゾンからだった。
「トーマスさん、ディーターを許してあげてください」
何も言えないまま俯いている自分に、ジムゾンはいつもと変わらない柔らかな声で話しかける。
「きっとあなたから見たらディーターはよそ者なのかも知れません。でも、私にとっては大事な命の恩人です。好いて欲しいなんて言いません、ディーターは好き嫌いが激しい人ですから。だから……許してあげてください」
「許されなきゃならないのは俺の方だ」
トーマスが顔を上げると、ジムゾンは柔らかく微笑んでいた。
今まで見たことのないような優しい顔……それはいつか何処かで見た聖母像のような優しい微笑み。
「あなたはもう許されてますよ」
その言葉にトーマスは何故か涙が止まらなかった。
今日のことは忘れてはいけない、自分の心に戒めとして残さなければならない。この許しを永遠のものにするために。
トーマスは月光の下聖母像を彫り続ける。
自分が納得できる物が出来るまで、どれだけ時間がかかるか分からない。だけど、納得するまで何度でも彫り続けるだろう。
神を信じているわけではない。ジムゾンを信じよう。
そう思いながら彫った聖母像の顔は、少しだけジムゾンに似ていた。