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10 月に想ふ

01 居待ち月
09 月に磨く

「日が暮れるのが早くなったな」
 ヴァルターはレジーナの店を出て、自宅へ歩きながらそう思っていた。
 毎日を慌ただしく過ごしていると日が暮れる時間など全く気にならないが、こうやってふと何もない時があると急に時間の流れを感じてしまう。
 自分にもペーターぐらいの頃や娘のパメラぐらいの頃があったはずなのに、その時を全く思い出さずに日々を生きている。それは仕方ないと思うのだが、今日のように昔を思い出さざるをえない事があると妙に苦い。自分も歳をとったものだなとしみじみ感じてしまう。
「ただいま」
 何だか急に疲れた気がしながら玄関を開けると、仕立て用のカウンターの所でパメラとヨアヒム、そしてディーターが楽しそうに話をしているのが見えた。
「あら、お父さんお帰りなさい。外寒かった?」
「いや、そうでもない。今日は何だか繁盛しているな」
 ヴァルターがそう言うとヨアヒムは少し肩をすくめ慌てたような仕草をし、ディーターはフッと笑った。
「あ、僕は大した用事はなかったんですけど……ディーターに仕立てが出来るところがあるか聞かれてそのついでで」
「中に着るしっかりしたシャツを何枚か仕立ててもらおうと思ってな。この村は冬が厳しそうだから……っと、ずいぶん日が暮れてるな。帰りにヤコブの所に行って野菜買う気だったのにすっかり長居しちまった」
 そう言うとディーターは椅子から立ち上がり帰り支度をし始める。
「ゆっくりしていても良かったのに、私が邪魔してしまったかな?」
「いや飯作る時間もあるし、丁度良かった。ジムゾンも教会で腹減らせてそうだしな」
 何だかディーターというこの男は、ずっと昔からこの村にいたように自然に皆の間に入っている。ヴァルターとしてはそれが何だか不思議でたまらない。目的のある旅をしているから春には出て行くというのが信じられないぐらいだ。
「じゃ、よろしく頼むわ」
「お邪魔しました」
「はーい、出来たら取りに来て頂戴ね。ヨアヒムはちゃんとご飯食べるのよ」
 ディーターとヨアヒムは会釈をして出て行った。家にはいつものようにパメラとヴァルターが残される。
「お父さん、ご飯出来てるけどすぐ食べる?」
「いや、もう少し後でいい」
 定規などを片づけながらそう言うパメラを見ながら、ヴァルターはディーターが座っていた椅子に腰掛けた。こうして見るとパメラもずいぶん大きくなったものだ。つい最近まで子供だと思っていたのに、すっかり仕事も覚えて一人前になっている。
「楽しそうに何を話してたんだ?」
 ヴァルターがそう言うとパメラはフフッと微笑んだ。その笑い方が妹であるユーディットにそっくりだということにヴァルターはハッと気づく。
「ディーターさんが街で色んな仕事してたって話。仕立ての仕事も少し手伝ったことがあるみたいね。寸法の測り方とか良く知ってたもの」
「そうか…」
「で、その後、私と一緒にヨアヒムに簡単な料理教えてたの。ヨアヒムってば放っておくとパンしか食べなかったりするから。ディーターさんって一見怖そうな感じだけど、話したら結構気さくな人だったわ。いい人なのね、神父様の看病もしてくれたし」
 そう言われてヴァルターはディーターに覚えていた違和感の謎が解けた。
 彼は人に対する垣根が低いのだ。同じ旅人であるはずなのに、宿屋にいたニコラスと違うと感じたのはそのせいだ。だがそう思うと何だか不安がよぎる。パメラもユーディットと同じように、何処かへ行ってしまうのではないかという不安が。
「どうしたの? お父さん。何か恐い顔」
「いや、何でもない」
 考え事をするとつい眉間にしわが寄る。若い頃からの癖だ。さっきレジーナに言われた言葉が急に胸に突き刺さる。
『あんたは昔っからそうだね、考えて考えてどん詰まっていくんだ』
 全くその通りだ。心配性だの頑固だの言われても、それをどう直していいのかが分からない。楽観的な思考というのが自分には出来ないのだ。自分が村長になった今でもそれは全然変わっていない。
 思わず溜息をつくと、パメラが焼き菓子と一緒に紅茶を入れて持ってきた。
「はいお茶。これぐらいならご飯の邪魔にならないでしょ」
「ああ、すまんな」
 パメラはヴァルターの正面に座って紅茶を一口飲んで小首をかしげて微笑んだ。
「お父さんが思ってること当ててあげようか?『私が村を出て行ったらどうしよう』とか思ってるんでしょ」
 その言葉にヴァルターは目を丸くした。そう、その通りだ。だが何故それをパメラが気づいたのだろう。そう思うと何とも言えない。パメラは笑いながら焼き菓子を手に取っている。
「フフッ、何で分かったんだって顔してる、お父さん」
「バカ、親をからかうんじゃない」
 慌ててそうは言ったものの動揺は隠しきれない。変な汗が額に流れる。
「大丈夫よ。私はこの村が好きだから出ていく気はないわ」
「…………」
 ユーディットもそう言っていた。だが外から来た男に恋をし、そのまま一緒に出て行った。そういえば妹が出て行ったのは、彼女が十六歳の時だった。気が付けばパメラはその歳を二年も前に越している。
 今でもユーディットがどうしてリーザ一人を置き去りにして行ったのか、何故自分の所に来なかったのか考えている。そんなに自分が信用出来なかったのか、それとも自分に怒られるとでも思ったのだろうか。子供の頃は歳は少し離れていたが仲の良い兄妹だったはずなのに、あの日からずっと自分は考えっぱなしだ。
 沈黙したままでいると、パメラは少し怒ったような顔をしてヴァルターの顔を見つめていた。
「お父さんまた考え事して、何かあるなら私に相談してちょうだい。お父さんから見れば私はまだ子供なのかも知れないけど、一人で考えるより私に話したらスッキリするかも知れないから」
「いや、大したことじゃないんだ」
「またそう言う。お父さんずっと黙り込んでたら、私だって心配なのよ」
 ああ、まただ。また考え込んで黙り込み心配させている。ヴァルターは思わず苦笑した。目の前にいるパメラがふくれっ面をする。
「何で笑うの」
「お前も大人になったんだなと思ってな」
 そう言ってヴァルターは紅茶を一口飲んだ。暖かく優しい香りのそれは自分の考え事を解きほぐしていくように体に染み渡る。
 パメラにはリーザが従姉妹だということを教えておいたほうがいいかも知れない。今まで自分に妹がいたことも、リーザのことも言いそびれていたが、今日なら何となく言えそうな気がする。そうすれば自分がリーザについ取ってしまう余所余所しい態度も変えられるかも知れない。
「パメラ、お前に言っておきたいことがあるんだ。今まで言いそびれていたんだが……」
 そう言った瞬間だった。パメラはヴァルターの方を見てはっきりとこう言った。
「それ、もしかしてリーザのこと?」
「なっ」
 ヴァルターはその言葉を聞いた途端、肩から血が抜けていくような不思議な感覚にとらわれた。心臓の鼓動が耳元で聞こえるぐらい近く響く。
 パメラは何だか怒られる前のような少し泣きそうな表情をしていた。
「ごめんなさい、お父さん……私、リーザのことずっと前から知ってたの。リーザがレジーナの所に来た時ね、私レジーナの店にいたのよ」
「そうなのか」
「うん。その時レジーナはユーディットさんと話をしに行って、私はリーザと一緒にお菓子を作ってたの。そこにあるお菓子、その時作ったのと同じなの。私、その頃お菓子ってそれしか作れなかったから」
 紅茶と共に出された焼き菓子はカトゥルカール……パメラの母親がよく作っていた。確かバター、卵、粉、砂糖を四分の一ずつ入れて作る素朴だが味わい深い焼き菓子で、これだけは村のパン屋も作らないほど自分の家の定番になっていた。一口かじるとその味はちゃんとパメラに伝えられていることが分かる。
「その時にリーザから聞いてたの。『ここにママのお兄さんがいる』って。もしかしたらお父さんのことかと思って、後でレジーナにも聞いたの。トーマスさんとかは考えにくかったし。ごめんなさい。私、もっと早くお父さんに言えば良かった」
「パメラが謝ることはない。悪いのは私だ」
 何て自分は馬鹿だったのだろう。
 一人で考えて行き詰まり、一人娘にまで心配をかけている。きっとパメラは自分とリーザの間で板挟みになっていたのだろう。思えばリーザにもユーディットにも何の罪はないのに、自分の態度が原因で辛い思いをさせてしまっている。
 本当はユーディットを祝福したかった。リーザを歓迎したかった。
 なのに全て自分がそれを遠ざけていたのだ。
 色々なことを考える前にもっと動けば良かった。そうしていたらユーディットとあんな別れ方をすることもなく、ハインツのことももっと分かり合えていたかも知れない。
 ヴァルターは自分の額の上で指を組んで頭を抱えた。
「パメラ、私はまだ間に合うと思うか? リーザは私のことを好いてくれるだろうか」
「大丈夫よ。お父さんが不器用だって事、みんなよく知ってるから」
 パメラはにっこりと柔らかい微笑みを浮かべながら白いハンカチを差し出した。

 その夜ヴァルターは一人部屋で捜し物をしていた。
 ユーディットの物はあの後ほとんど処分してしまった。ユーディットは必要最低限の物しか持っていかず、それを残していると自分が思い出して辛かったからだ。
 だが一つだけ処分出来ない物があった。
「……見つけた」
 それは色々な型紙や布の切れ端の下で、綺麗に薄紙でくるまれた状態で残っていた。包み紙は色あせて黄色っぽくなっているが、それをそっと開くと綺麗な若草色の子供用ワンピースが出てきた。これは父や母が亡くなった後、仕立屋の修行をし始めたヴァルターが、初めて生地を買って妹に作ってやった思い出の服だ。
 ユーディットはこれをとても大事にしてとっておきの日にしか着なかったので、ほぼ新品同様のまま残っている。これをリーザのサイズに直せばきっと着てもらえるに違いない。
「リーザは私を許してくれるだろうか?」
 いや、考えてはいけない。もし嫌われたままだったとしたら今までの自分の行いが悪いのだ。考えて動けないままでいたら今度は本当に後悔する。
 ふと窓の外を見るとユーディットが出て行ったときと同じような月が出ていた。
 あの時も、本当は知っていた。ユーディットがそっと村を出て行ったことを。だがそれを止めることが出来なかった。いや、止めなくても一言だけ「幸せに」と言うべきだったのだろう。そうすれば……。
「いや、考えても仕方ないな」
 そう。考えても時間は戻らない。
 だったらこれからのことを大事にしていかなければ。
 ヴァルターはしつけ用の糸を手に取り、慣れた手つきでワンピースを直し始めた。

 宿屋の入り口のベルが鳴る。
「おや、ヴァルターいらっしゃい。パメラも一緒かい? 親子揃ってここに来るなんて珍しいね」
 ヴァルターはパメラと一緒に子供用の小さなバスケットを持ってレジーナの所にやってきた。バスケットはパメラが子供の時に買ってやった物だ。ワンピースを持って行くことをパメラに告げたときに「じゃあこれに入れてあげて、私からもリーザにプレゼント。きっと喜んでくれると思うから」と渡されたのだ。
「こんにちは、レジーナ。リーザはいるかしら」
「今、ちょっとカタリナの所におつかいに行ってもらってるけど……なんだい、ヴァルターは妙に緊張して。まるでプロポーズにでも行くみたいにさ」
 苦笑するレジーナにパメラは何だか楽しそうにこう答えた。
「お父さんね、今日は一世一代の勝負をしに来たの」
 その言葉でレジーナは何か感づいたのか、ヴァルターの顔をしげしげと見ながらうんうんと頷く。
「やっとどん詰まりから抜けたんだね。久々にあんたのそんな顔見たよ」
「ああ、長かったがな」
 これからどうなるかは分からない。もしかしたらこんな物で子供の機嫌を取ろうとする自分は間違っているのかも知れない。
 だが、一歩踏み出せばきっと何かが変わる。もし何も変わらなければ、今度は自分が変えればいい。
「あ、リーザ帰ってきたみたい。私迎えに行ってくるね」
 遠くに赤い帽子と手袋のリーザが見える。パメラはドアから走っていって、リーザに近づいていく。
 ヴァルターは一つ大きく咳払いをした。こんな緊張したのはいつ以来だろう。そんなヴァルターをレジーナが笑って見つめている。
「リーザを傷つけたらあたしが許さないよ。あたしはユーディットからリーザのことしっかり頼まれてるんだからね」
「あまり脅かさないでくれ。今すごく緊張してるんだ」
「プロポーズの時と今と、どっちが緊張してるんだい?」
「そんな事は忘れた」
 リーザとパメラが仲良く笑いながらドアに向かってきている。
 ヴァルターはドアの横で二人が帰ってくるのを待って一言こう切り出した。
「二人ともおかえり。さて、何から話そうか……」

11 星のささやき


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