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罪人達の船 第九章
罪人達の船 第一章
罪人達の船 第八章
やむを得ざるときの戦いは正しく、武器のほかに希望を絶たれるときは、武器もまた神聖である。
マキャベリ
皆が眠たい目をこすっていた。
「まだ人狼がいるかどうかを確かめたい」というニコラスの提案により、残った村人全員で、宿の広間で朝になるまでお互いを見張っていたのだが、誰も人狼に変わることはなかった。
あくびをかみ殺しながら、パメラとカタリナがホッと息を吐く。
「誰も人狼にならなかったわね」
「そうね。私、こんなに起きてたの初めてだわ。カタリナは大丈夫?」
カタリナはその仕草に微笑みながら頷く。
「私も眠いわ。ペーター達は熟睡してるわね」
長いすではヨアヒムの膝をリーザが枕に、ペーターは肩にもたれかかって寝ている。ヨアヒムも自分の名前が呼ばれれば目を開けるものの、起きているのはかなり辛いらしい。
「皆さん。ミルクを温めてきましたがいかがですか?」
そう言いながらカップを持ってきたのは、ジムゾンだった。その甘く暖かい香りが宿のフロアに広がる。
「トーマスさん、どうぞ」
ジムゾンはそう言って、カップをトーマスとディーターに渡した。トーマスはそれを受け取り口にする。
「…………」
トーマスがミルクを飲んだ。
それを確認し、ジムゾンは自分の手が震えている事を気付かれないように、全部のカップをテーブルに置いた。気付かれてはいけない。ここで全てを台無しには出来ない。
ディーターから囁きが届く。
『ちゃんと薬は入れたのか?』
『ええ、しっかりと』
それは夜明け近くにディーターに言われたことだった。眠気覚ましにカップを下げるジムゾンの手伝いをしながら、ディーターがそっと紙包みをジムゾンに手渡したのだ。
『夜が明けたらこれを湯に浸して、少しずつ皆の飲み物に入れろ。俺とお前のには入れるなよ』
包みの中に入っていたのは、茶色く粘りけを帯びた物だった。ジムゾンは動揺を悟られないように、ディーターにそれを聞く。
『これは何ですか?』
『芥子から取った薬だ。皆が寝てるうちにあいつを襲撃する』
今は確かにチャンスだろう。
誰も夜のうちに人狼にならなかったということで、皆安心している。それにトーマスはディーターを疑っていてこのまま野放しには出来ない。リーダーであるディーターを処刑されるわけにはいかないのだ。それにトーマスは自分を全く疑っていない。
『分かりました。でも、気をつけてください』
それでもジムゾンは不安だった。体の大きいトーマスを襲うのは確かに襲撃慣れしているディーターが適役だろうが、一番疑われていない自分がやった方がいいのではないかとも思う。だがそれをジムゾンが告げると、ディーターはふっと笑いながら煙草を手に取った。
『考えがあるからな、お前だとちょっと困るんだ』
『考えとは?』
カチャカチャと食器が鳴る。皆フロアで眠そうな顔をしており、ジムゾンがそこに目を向けるとトーマスがじっとこっちを見ていた。ディーターは全く顔を上げずに食器を洗いながら笑う。
『トーマスは実直で正直だ、だがそれは時として欠点になる。まあ、見てな。それにそろそろペーターにも手伝ってもらおうと思ってたんだ』
「ニコラス、ミルクは飲まないのか?」
「ああ、すまない。ちょっと考え事をしていたので」
ディーターにそう言われ、ニコラスは慌ててカップを手に取り皆に気付かれないように溜息をついた。
ここに人狼がいることは分かっているのに、その証拠が突き出せない。夜の間に尻尾の一つも見られればと思っていたのだが、流石に今まで処刑をすり抜けているだけあって相手も狡猾だ。
最初にヤコブが襲われたのは痛手だった。ヤコブの力があれば人狼を見分けることが出来ていたのだろうが、自分の力は人を殺さなければ使えない因果な能力だ。せめて死者の声でも聞こえていれば、襲われたヤコブ当人に聞くことも出来るのだろうが、そんな力は生憎持ってはいない。
今確実に分かっているのはカタリナが人間であるということと、人狼を一匹も退治できていないということだけだ。しかも後者の方は、自分しか知らない事実だ。
「人狼は、本当に退治できたのだろうか」
そう呟くと、ディーターは最後の煙草を口にくわえ火を付ける。
「じゃあニコラスは、まだ人狼がいると思ってるのか?」
「……!」
心臓が大きく鳴った。
しまった。もしディーターが人狼だったら、自分は『人狼が残っていることを知っている』事を明かしてしまったことになる。もしただの人間だったとしても、ディーターのように勘が鋭ければ気付かれているかも知れない。
だが、ディーターは黙って天を仰ぎながら煙草の煙を吐く。
「退治できてたらいいんだけどな。ここで手放しで喜べねぇだろ」
「そうだな。人狼が、必ず夜に変身するとは限らない」
気付かれていなかったことに、ニコラスはホッとする。だが、ディーターは心の中で笑っていた。
ニコラスは焦っている。
オッドアイのせいかそれとも別の方法かは分からないが、人狼が退治できないことを知っていれば不安になるのも仕方がない。しかしニコラスはそれを言い出せない。言い出すためには『何故、人狼が退治できていないことが自分に分かるのか』を皆に証明しなければならないのだ。その勇気があるのなら、アルビンを処刑したときに言い出しているだろう。
まだ風は自分達に吹いている。ディーターは無言でミルクを飲み干した。
「さて、朝になって言うのも変だけど、そろそろ寝ようかね」
レジーナがミルクの入っていたカップを片づけながら、そう言った。ヴァルターも手伝いながら頷き、大きくあくびをする。
「そうだな……若いときはそうでもなかったが、ずっと起きてると何だか体がだるい。全く、年は取りたくないものだ」
そう溜息をついたヴァルターに、レジーナが笑って肩を叩く。
「何言ってるんだい。急に年寄りになったみたいに言わないでおくれよ」
ヨアヒムは一度大きく伸びをした後、ふらふらしながら部屋に行こうとした。それを心配そうに、パメラが支える。
「ヨアヒム大丈夫?」
「うん。熟睡してないからすごく眠い。あと、座ったままで腰が痛いよ」
そのヨアヒムにもたれて眠っていたリーザとペーターを、ディーターとニコラスが部屋に連れて行った。起こしてもいいのだろうが、まだゆっくり寝かせてやりたい。
カタリナは皆に挨拶をして部屋に入っていく。
「おやすみなさい。起きたら羊やモーント達にご飯をあげないと」
「そうですね、ヤコブの所にいる牛や鶏たちにも餌をあげなくてはいけませんね。起きたら、皆で手分けしてやりましょう。お疲れ様でした、おやすみなさい」
「おやすみなさい、神父様」
トーマスは全員が部屋に入っていくのを見届けていた。ディーターやニコラスも、挨拶を交わし部屋に入っていく。レジーナとヴァルターは台所にあった食器を片づけ、トーマスに声をかけた。
「トーマス、あんたは寝ないのかい? 部屋なら開いてるよ」
「いや、まだ眠くないんだ」
「そうか? あんまり起きてると体に毒だから早めに休んだ方がいい。寝不足で倒れてしまっては困るからな」
本当はまぶたが重かった。刃物を作ったりするときは夜通し作業することもあるので体には自信があるのだが、何故か今日は体が重い。
だが、トーマスはここにいたい理由があった。
「ディーターは、人狼なのではないか」
夜通し考えたがその思いは強くなっていた。上手く村に溶け込み、よそ者嫌いのヴァルターでさえディーターを信用しているが自分は騙されない。
思えばディーターにナイフを作った時、ちょっとしたことがきっかけで口論になり、ディーターに向かってナイフを眉間近くに突きつけたことがあった。脅かしてやるつもりだったのにディーターは全くそれに怯まず、その姿はトーマスに恐怖感すら感じさせた。
それもディーターが人狼であれば納得がいく。
だから皆が眠っている間、自分はここでディーターの動向を見張るつもりだった。皆が油断している今が一番危ない。誰も人狼に変化はしなかったが、だからといって人狼がいないという証拠にはならない。
『トーマスさん、ディーターを許してあげてください』
ジムゾンがその時に言った言葉が蘇る。
もしかしたら、自分の疑問はただの言いがかりなのかも知れない。ジムゾンが信頼していて、村人達にも受け入れられているディーターを嫉妬しているのかも知れない。考えるほどその迷宮は深く、トーマスの思考を絡め取っていく。
ジムゾンが信用しているディーターを疑うということは、ジムゾンを疑っていることになるのか。寝不足のせいか上手く考えがまとまらない。その時だった。
「トーマス、まだ起きてるのかよ」
そう言って部屋からそっと出てきたのは、ディーターだった。トーマスはくらくらする頭を振り、ディーターの方を見た。あれから一体どれぐらいの時間が経っているのか分からないが、太陽はずいぶん高くなっている。
ディーターはふっと笑うと、宿の入り口を指さした。
「煙草なくなったから、教会まで取りに行ってくる」
「俺も行こう」
そう言いながら、何とか立ち上がる。頭がぐらぐらするが、何故か心の底はすーっと醒めていた。それを見たディーターがニヤッと笑う。
「別にいいけどな。煙草取りに行くだけだし」
二人は皆を起こさないよう静かに宿を出て、教会に向かって歩いた。薄日は差しているが吹き付ける風は冷たく、容赦なく体温を奪っていく。
しばらく無言で歩き宿が遠くなった頃、トーマスはゆっくりとこう言った。
「ディーター、お前は人狼だろう」
ディーターは無言だった。
風が強く吹き抜け、地面の雪を舞いあげる。
一瞬それでディーターの姿が見えなくなった。それと共に風を切る音がし、トーマスは腰に下げていた斧を反射的に身構える。
「……ご名答」
斧に伝わる重たい衝撃。身構えていなかったら、その鋭い爪が身に食い込んでいただろう。ディーターは不敵にニヤッと笑う。その口元からは、鋭い牙が覗いていた。
『ディーター、死なないでください』
ジムゾンは必死に祈っていた。本当は今すぐ出て行って、ディーターを助けたかった。だがディーターがそれを許さない。
ディーターとトーマスは戦っていた。トーマスは持っていた斧を振り、ディーターに襲いかかる。
「お前がヤコブやオットー達を……!」
だがディーターはそれを上手くかわし、トーマスから器用に逃げ回るだけだった。雪は足跡が残るほど積もっていない。ディーターは時々血が流れ出さない程度にトーマスに傷を付けるだけで、後は押されているようにも見える。
「だからどうした。そんな斧で皆の仇でも取るつもりか?」
ミルクに入れた薬のせいでトーマスの動きはいつもより鈍く、攻撃を避けるのもたやすい。本当なら一気に襲い殺してもいいのだが、ここでトーマスを人狼に仕立て上げなければわざわざこうやって釣られてやった意味がない。ただ襲撃するだけなら薬など必要ないのだ。
「どうしたディーター。俺を殺すんじゃなかったのか?」
自分が動いている方向が罠だと気付かずに、トーマスは斧を振り回しディーターを追う。それが上手く行っているのを確認し、ディーターはリーザにこう囁いた。
『リーザ! ペーターを起こせ! そして宿の裏の崖で待ってろって伝えろ!』
リーザはその囁きを聞いていた。
ディーターが外で戦っている気配も、ジムゾンが必死に祈っているのもちゃんと分かっていた。しっかりと眠っていたせいで、もう眠気はない。
「ディーターお兄ちゃんを助けなきゃ」
ここでディーターを殺させるわけにはいかない。そうなればジムゾンは生きる気力を失うだろうし、自分もどうしたらいいのか分からなくなる。皆に気付かれるかも知れない危険を冒してまで戦っているディーターを、自分は助けなければならない。
リーザは隣にいるペーターをそっと起こした。ペーターは既に起きていたようで、リーザの顔を見てにっこりと微笑む。
「どうしたの、リーザ」
「お願い、ディーターお兄ちゃんを助けて。トーマスさんはリーザ達の敵なの」
「いいよ」
その言葉にペーターは、何の疑問もなくこくっと頷いた。
人狼騒ぎが始まる前から気付いていた。リーザはおそらく人狼だと。そして、その仲間が誰であるのかも。
ペーターにとっては誰が襲われても、処刑されても全く興味がなかった。ただリーザが幸せになればそれで良かった。
祖父であるモーリッツが死んだ時は本当に悲しかったが、それとこれとは別の話だ。モーリッツを殺したヤコブへの復讐は人狼が既にやっているし、モーリッツを悪魔扱いしたフリーデルも処刑されている。人狼に感謝する理由はあれど、憎む理由は全くない。
「待ってて、リーザ。僕がトーマスさんを退治してくるからね」
リーザからディーターの伝言を聞き、ペーターは皆を起こさないようにそっと宿の裏に向かった。風が冷たく吹き抜けるが、それに構わずペーターは指定された場所に向かう。
「僕は、リーザが幸せだったらいいんだ」
やっと自分の出番が来た。ペーターは遠くから走ってくるディーターを確認して、崖の近くにぺたりと座り込んだ。ディーターがその脇をすり抜けながら一言だけこういう。
「ニコラスはこの後で何とかしてやる」
ペーターはそれに返事をせずに、ただ黙って頷いた。
「ディーターめ、宿に向かったか」
トーマスは逃げ回るディーターを追っていた。まさかとは思うが、このまま宿に行き全員を襲うとも限らない。だがディーターは宿の扉を開けず裏の崖に向かう。
「崖から逃げる気か?」
もつれる足を何とか前へと動かし、トーマスがそこへ向かったときだった。ペーターが崖の所にぺたりと座り込んで、泣いているのが見える。
「どうした、ペーター!」
ペーターは小刻みに震えながら、ぽろぽろと涙を零した。
「水飲みに来たら……」
宿の裏には水瓶が置いてある。ペーターはそれを飲みに来て、人狼を見てしまったのだろう。辺りを見回すがディーターの姿は見えない。
「大丈夫か、こっちに来るんだ」
トーマスがそう言うと、ペーターはぷるぷると首を横に振る。
「怖くて立てないよ。どうしよう、そこに……」
そう言いながら、ペーターは宿の影を見る。そこにはディーターが悪魔のような笑みを浮かべて立っていた。このままではペーターが殺される。トーマスはそのままペーターに駆け寄った。
そして、後一歩でペーターを抱き留められると思った瞬間、いきなり地面が揺れた。
「…………!」
何が起こったのか、全く分からなかった。ただ気が付いたときには自分の体が崖すれすれに倒れていた。地面に結ばれていた枯れ草に、足を取られたことにも気付いていなかった。
ペーターはそれを確認したかのように、すっと立ち上がる。先ほどまでか弱く泣いていたのが嘘だというように、その顔には無邪気な笑みさえ浮かんでいる。
「トーマスさんは敵だから、死んじゃうといいよ」
「何?」
その言葉の意味を理解する前に、ペーターの後ろからディーターが現れる。そして二人は、倒れたままのトーマスを思いきり崖下に突き落とした。
「敵は、俺だけじゃなかったって事だ。あの世でゆっくり考えな」
ディーターが人狼だと思っていたが、まさか仲間がいたとは。しかもそれが、この騒ぎが起こって一番最初に祖父を失ったペーターだったとは。
トーマスが最期に見たのは、自分が落ちていくのを見つめているペーターの天使のような微笑みだった。
「トーマスさん、死んだかな」
ペーターは崖下をのぞき込み、トーマスが動かなくなったのを笑いながら見ていた。ディーターは、その後ろからそれを覗き込む。
「そこまで高い崖でもねえが、体が変な方向いてるから確実に死んでるだろうな」
ディーターはペーターのその微笑みにうすら寒いものを感じていた。本当にペーターは、リーザの幸せのことしか考えていないのだ。その為なら嘘泣きだってするし、目の前で人が死ぬことすら構わないのだから恐ろしい。
「ディーター兄ちゃん、これで良かった?」
「ああ、上出来だ」
それを聞くと、ペーターはディーターの右腕に生えていた狼の毛を引っ張った。
「人狼に襲われた証拠がなくちゃね」
その毛を手に取り、ペーターはにこっと笑った。この様子だとペーターには何か考えがあるのだろう。それに口出しをする権利はない。
『ディーター、大丈夫でしたか?』
そう囁くジムゾンの声は今にも泣きそうだった。確かに今日の襲撃は賭けだった。誰かが気付いて起きれば確実に処刑されるだろうし、ペーターの動きが悪くても同じだ。だが、それに勝てば次の勝負所が待っている。休んでいる暇はない。
『大丈夫だ。上手く始末できた』
『良かった……』
ジムゾンは本当にホッとしていた。トーマスが自分に対して尊敬や好意を抱いていたのは分かっていたが、そんなものよりも自分に生きる目的を与え、ここまで導いてきたディーターの方が大事だった。思えば自分が病で伏せっていたときにも一番側にいてくれたのはディーターだ。その事実は何よりも重い。
『ペーターに、ありがとうって言っておいてね』
リーザの囁きを聞き、ディーターはペーターに声をかける。
「ペーター、リーザから『ありがとう』だとよ。これからどうする気だ?」
それを聞いたペーターは、一瞬目を丸くしたあと本当に嬉しそうな顔をする。
「リーザが喜んでくれて良かった。ディーター兄ちゃんは、皆に気付かれないように部屋に戻ってよ。後は僕が何とかするから」
「死ぬなよ」
思わずそんな言葉が出た。
ペーターは自分達の味方だ。だがこれからペーターがやること次第では、ペーターが処刑されるかも知れないのだ。自分達に協力してくれた者として、それを黙って見過ごすことは出来ない。
ペーターはそれを聞き、また笑う。
「大丈夫だよ。それに僕はニコラスより先に死ねないから。早く行って、ディーター兄ちゃん」
そう言ったペーターは、既に一人前の男の顔をしていた。
ディーターが宿の中に行ったことを確認すると、ペーターは狼の毛をしっかりと持ったまま、何度か冷たい地面に転がった。そして膝や手に擦り傷を付ける。
「痛い……でも、これぐらいでいいかな」
自分の服を泥で汚し、結んでいた草を元通りに直す。
「………」
リーザが喜んでくれた。
ありがとうと言ってくれた。
それを心に思いながら大きく深呼吸をしたあと、ペーターは息を止めたまま宿まで走る。そして、裏口のドアを開けると大きな声でこう叫んだ。
「助けて! トーマスさんが……!」
重だるそうに起きてきた皆は、ペーターの話を聞いて青ざめていた。
ペーターが水を飲もうと起きた時に、トーマスがその後をついてきてペーターを襲おうとしたらしい。だが水瓶に映る人狼に変わったトーマスの姿を見て何とか逃げだし、崖の側でもみ合っているうちに、足を滑らせて落ちたのだという。
その言葉の通り、崖下にはトーマスの死体があった。
「トーマスさんが、人狼になって僕を食べようとしたんだ。ほら、証拠もあるよ」
そう言って差し出された毛を見て、カタリナがレジーナにしがみついて怯える。
「トーマスさんが人狼だったなんて」
そんなカタリナの肩を抱きながら、レジーナとヴァルターは朝のことを思い出していた。確かにトーマスは「まだ眠くない」と言って、ずっと広間にいた。それは全員が寝たことを確認するためだったのか。
「あたしやヴァルターが寝ようとしたときに、確かにトーマスは広間に残ってたよ。もしかして、もう少しあたし達が寝るのが遅かったら……」
そう思うとレジーナの背筋が冷たくなる。ヴァルターも息を飲みながら、ペーターの話を聞いている。
「…………」
ざわついている皆から少し離れ、ニコラスはトーマスの姿を見ていた。トーマスは恨めしそうに何かを言おうとしているが、その声は届かない。
だが一つだけはっきりしている事があった。
ニコラスは何かを決意したように皆の前に一歩出て、ペーターを指さしはっきりとこう言った。
「待ってくれ、その少年は嘘をついている」