得手聞き手
皆さんは会話をするときに話し手聞き手というものを意識するでしょうか。私は少し意識していますね。私は自分から話題を振るの苦手なんですよ。私はあまり人生で話や価値観について共感されることがなくてですね、これがいいと言ったら受け流され、これが面白かったなどと言うと更に面白いとされるものを紹介されるというような、そんな人生を送ってきております。そういうわけで、流されることに少し恐怖心が湧いてしまって、特に女性に恐怖心を持っていて、あまり自己開示することができないんですね。そもそも、私が大学で経験した話って誰が興味あるのでしょうか。まず私は魅力のある人間ではないのですよ。話題がどのようであれ、なんでも話せばきちんとした回答を相手が自然と考えるくれるような人間ではないのです。一方私は面白い、思わず目を引かれてしまう魅力を持った友人に恵まれていましてね、そんな彼らの話を聞いていると、何故こんなにも面白いのか、何故こうも私と人生の面白さが違うのか、という思考が頭を離れなくなることがあります。
果たして何が私と彼らに違いを生むのか。思うにそれは人生に対する真剣さではないでしょうか。私は何か人生で真剣になったことはありますか。誰かに認められようとして体力をつけたり、テストで良い成績を取ろうと試みたり、生物分野や歴史に詳しくなるなど、ある分野に特化した知識を手に入れるために独学しようという高邁な精神は持ち合わせていましたか。いませんね。他者に教えることのできる技術や知識に乏しく、限りなく受動的。私が聞き手なのはそうです、なにも魅力がないせいだけではありません。というより寧ろ、私の他者から話題を提供してもらうおうとする搾取気質によるものでしょう。なぜ人に対してそこまで自分本位に考えられるのですか。自分ながら恐ろしいです。皆さんが人生をかけて温めた話をただ聞くだけで上手く会話した気分になっている私の姿はお笑いですよ。それは面白い人生であるはずがありませんよ。他者から貰ってばかりの人生なんて独創性も物語性もなにもあるわけがありません。惹かれませんよ、当然です。
では、主体的な行動を試み、利他的な精神性を心に宿せば、上手く話せるようになるでしょうか。個人的にはなるんじゃないかと思いますね。この2つに依って、ということではなくて、この2つがあれば自信がつくと思うからです。主体的に行動できる人間って格好いいじゃないですか。利他的な人間って格好いいじゃないですか。これらがあるだけでそれはもう立派な人間だと思うのです。それさえあれば、私でさえ話し手に回っていいんだと自信を持って言えるようになると思うのです。しかしそもそも、私は愚かな人間ですけれどもね、本当にこれは心の底から、友人の話を聞くのってとても楽しいんです。利己とか置いておいて、その人の生活に思いを馳せるのってワクワクするんですよ。それだけは嘘でもなく保身でもなく、ただただ失わずにいられたら多少は暗い人生がマシになるような感性だと思います。皆さんはどうでしょうか。人の話を聞くの、楽しいですか?もしも楽しくないという方がいたら、この他者の生活を想像する楽しみを伝えたいですね。想像しないと足りないですよ、地球は広いですしね。私も限りない想像の提供を行えるように、雅趣に富んだ体験をし、素敵な言葉のセンスを享受して生活していきたいと思います。
では、言葉は都度都度学んでいくとして、体験はどうしましょうか。最近私はようやく「弊学って馬鹿大学のくせに(だからか)こなさなければならない事が多くて遊べないぞ」と気づきました。前期の間は天気の良い水曜日に自転車で出かけていたのですが、後期のその曜日は6限に民法の授業が入ってしまいまして…。午前中に赴けば良いじゃないかと思う方もいらっしゃると思いますが、後にやるべきことを残しておくと感傷に浸れないんですよね。あの脳内報酬系ドバドバタイムが欲しいんですよ。あれ本当にやめられなくてですね、死に至る感覚すらします。ものすごいんですよあれ。自転車である地に赴くだけで虚妄の18年間の記憶の乱流がもうね、口から自ずと嗚咽が出るほどに私の身体をギタギタに引き摺り回すんですよ。それを水曜日に味わえないとなると、別日に求めてしまいますね。日曜日になるでしょうかね。しかし日曜日は道路が混んでいて走っていて気持ちが良くないですし、そもそもバイトやる予定なんですよね。どうしましょう。話の芽なんて生えてくるわけないですよ。僅かな変化を捉える能力さえあれば、種なんていくらでも地面に落ちてるのに、こういう能力は皆無に等しいんですよねぇ。まぁいうて私が何処かに赴いた話って面白くないんですけどね。
まぁ、このまま話す能力がなくても生きてはいけるのです。「障害は個性!」みたく「話せないんじゃない、聞き上手なんだ!」という逃避でも交友関係は保てるのかもしれません。それで満足したくはないですがね。目指すのはタダですから。話す力を磨くというよりは、思わず話を伺いたくなるような素敵な話を拵えられるように、感性を良いものにしていきたいと思いました。そんな深夜2時半です。おやすみなさい。
ご読了ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?