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サイクリング


 東西に走る高速道路の側道とボックスカルバートを日避けに利用すれば約10キロの往復、せめて1/3程度は強い日差しを避けられないか。どうか

 思惑はハズレて、また一段焼けてしまったけれど。発見もあった。

 水田地帯の農業道路は産業道路とは明らかに体感温度が違うことを実感する。

 南中ふきんの陽の入射角に高速道路の盛土緑地は高さが微妙に不足していた。シェルターの意味でなら、むしろ郷社や郷土の鎮守にたびたび助けられた。

 宅地造成の時期が早ければはやいほど、街区公園は充実している印象がある。

 造成時期が新しい公園はベンチさえも設計思想がモダンだ、と感じる。寝台にされない工夫と聞いた事がある肘かけつき。そういう理由もあってなのか、日除け雨よけの屋根もない。

 遠隔の地で大雨を降らせているであろう台風の影響でところどころ強風のアシストがあった。ランドセーリングは未体験だがこんなだろう。ここぞとばかりに「たち乗り」に切り替えて風を集める。

 その半面、休憩したお宮のサクラから悍ましいほどの数の毛虫が落ちてきて、ことしは「当たり年」だったのかも知れないことに気づいた。孵化にも年次サイクルがあるようだとか聞いた。

 「環境問題は、問題も原因も複合的です。「あなたの問題」と名指しできるならば、それはもう問題は半分くらい解消したようなもので。さしずめ単に、環境ということになりますか」

 こういう構文は流行り、なのだろうか?待ったなしの、打つ手なし。要約は間違っているだろうか。

 設計者の念頭には桜の春爛漫しかない。それはないとは思うけれど、管理の省力性も鑑みればやむを得ず、単一種の列植にまま奔る。

 地面は本来選りすぐってサクラだけを生やしはしない。人工美も悪くはないのだけれど。据え置きされてきた分の相応のコストを請求されつつあるのかも知れない。風倒木のニュースを聴きながら、そう思った。


かたじけなさに涙零るる木陰かな。