育児に「尊厳」という身ぐるみを剥がされて
出産後の生活は、これまでの自分とは全く違うものになった。
例えば、これまで隠すべきものだと思っていた乳房を夫の前でも晒すことが当たり前になったり、外出が減ることで自分の身なりに気を使わない日々が続いたり。
これらはほんの些末な変化に思えるかもしれないけど(実際、生命が誕生したことと比べると些末ではある。変化することが多すぎる)、自分の尊厳を無視するこの生活には戸惑いを覚えた。
自分の尊厳は、「新しい生活の最適化」のために、いきなり無くなってしまったのだった。
化粧品会社に勤めていた私は、身なりにはそれなりに気を遣っていた。商談の場において、私の身なりはその会社を代表するものだからだ。
しかし、産後は外出も減り、人と会う機会も激減した。慣れない育児の疲れと、自分の時間がほとんどなくなったことで、鏡に映る疲れ果てた自分の姿を見るのが辛くなり、写真に映るのもいやになった。
「自分を大切にする時間も気力もない」「自分を大切にすることの優先順位が低い」これは私にとっては大きな苦痛だった。
睡眠が取れないこと、身なりに気を使わなくなること、(自分のためでなく)母乳のために食事を考えること、人と自由に会えなくなること、子どもの生活リズムに会わせること…などなど。これらが少なくとも数ヶ月は続く。
「母乳をあげる以外の育児、家事はパートナーにもできる(だから積極的に参画しましょう)」とよく啓蒙されている。これ自体は事実だと思う。ただ上述のように、尊厳や自由な意思決定権を失うのはどうしても母体である私の方ばかりなのだ。出産した瞬間から、このどうしようもない温度差に苦しめられる。誰をも責めようがない。この点に関して夫に罪はないのだから。(すべて私のオキモチに合わせろ、というのは支離滅裂な話だと思う)
話は変わるが、出産は心身に想像以上の変化をもたらす。「変化」だけでもストレスなのに、その後不調が何年も続く人も多い。
最近、タイムラインで「いつまで産後なんだ」と夫に言われたという話を見たが、無知無理解もいいところだ。
回復のスピードとレベルには個人差があって、一概にどれくらいで元の生活に戻れるかは言えない。単純に努力に比例するものでもない。
だからこそ周りの人には理解を示してほしい。もちろん、産後すぐに社会へ復帰するスーパーマムもいる。でもそれは限られたごく一部の人の話だ。それも、きっと必要に迫られていた人の話だ。
目の前にいる当人(妻や友人、親戚かもしれない)をちゃんと見てほしい。厳しい言葉をかけるのではなく、その辛さを少しでも和らげる手助けをしてほしいと思う。
我が子には何の罪もない。目の前の宝物を幸せにするために、母は強くあらねばならない。でも、母が強くあるためには、このような苦しみの中で常にもがいているのだという周囲の理解が必要不可欠だと思う。