見捨てられ不安
親子関係の不安定さが原因だと思いますが、私は親しくなった友達に「すがってしまう」ところがあるようです。これは、親からの「見捨てられ不安」からきているようです。無意識ですが、人との関わりで良くない癖やパターンがあるようなので、綴っていきたいと思います。
母親との関係
私が幼い頃、おばあちゃん子だったのを母親側に奪還されたにも関わらず、母親が弟しか見ておらず、私は二人の近くについでに居る感じなのが当たり前でした。父親も一緒に居たら、私はお父さん子だったため、父親の近くに居てバランスが取れていたと思います。でも、子ども時代は必然的に父親より母親と過ごす時間の方が長い訳で、この頃の母親との関係性やその頃の心の奥にあった心理状態が、対人関係でも影響を与えるようになりました。そのことに気付いたのも、成人してからです。たぶん、両親のことを毒親と自覚した頃だと思います。
母親に遠慮しながらも愛されたい子ども時代
元が(同居していた父親側の)おばあちゃん子で、就学を機に母親側に付くようになりました。そうは言っても、元々母親に対して遠慮する気持ちがあった上に、育ててもらうために、気まずくても母親と仲良くなるために一生懸命だったと思います。そのために身に着けたのが、「母親の愚痴を聞く」「母親の味方になる」「母親に共感する」「母親の期待に応える」、このあたりのスキルでした。当時は、大人の言うことがわかる賢い子どもとして褒められて、上手くいってたんだと思います。
でも、成長するにつれて、親とずっと同じ価値観ではいられなくなります。それは社会性を身に着け、成長している証なんですが、その違和感が大きくなり、ようやく最近自分の対人関係での癖に気づきました。それは、「自分が大事にしたい関係の友達には、我慢しながら関わっている」ことです。母親との関係からくる「見捨てられ不安」から、「迎合する」形で関係を築いてしまうんです。そのため、自分が雑に扱われても怒りを示せず、相手中心の関係になり、私が常に合わせがちで期待に応える付き合い方になりがちでした。
困った時にあてにされる
社会人になると、友達と会う頻度は学生時代に比べて減ります。上手くいっていて、普段は連絡してこないのに、困った時に連絡してくる人がいます。私に連絡するまでに、他に相手にされなかったのか、詳しいことはわかりませんが、友達が多い人が「なんで私に?」ということがありました。医療業界で働いていた頃も、普段は私のことを嫌っている癖に、困った時だけ頼ってくる先輩がいて、「結局は、あてにしてるんですか?」と常に感じていました。
共通してるのは、「相手の方が上」という関係性です。仕事の上下関係は仕方ありませんが、友達でも対等ではなく、「自分を下に置いて」関わってしまっているんです。無意識ですが、母親との関わり方が影響していると思います。
これからの自分に宣言
この癖に気づいて、私の中で関わり方を変える決心をしました。「我慢しない」「期待に応えすぎない」宣言です。
昨年、「自分は雑に扱われてたなぁ。可哀想に思われてたんだなぁ。」と思うことがあったんですが、最近になって、珍しく連絡がありました。その友達は悩んでいるから連絡してきた様子。(実際は微笑ましい内容でした)いつもの流れならそのままお茶の約束をしていたと思います。でも、今回は普段と違う流れの対応ができました。
「相手を落ち着かせる言葉かけはしつつ、こちらから会う提案はしない。相手が希望してきたら考える」
これは、私にとって自分軸や自分の気持ちを守れた行動でした。
今までは、自分の気持ちを優先すれば「人に合わせようとしない」「ワガママ」と母親からうるさく言われていましたが、そうじゃない。
「いつも相手の感情につきあう必要はない」
「合わせるかどうかは自分が決めていい」
共感力があるから困った時に頼られるのかもしれないけど、余裕がない時まで相手のためになる必要はないですよね。今回みたいな積み重ねが、これからの私の対人関係を築き直すきっかけになるのかなと思えました。とはいえ、不器用には変わりないので、人に疲れるなら1人の時間を優先して、心の平穏を保つつもりです。孤独に強くなると、プラスな面もあります。まずは、自分で自分の機嫌を取ることが大事ですね。
自分の育ち方から振り返って綴って客観視してみました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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