男磨きが流行っている最近の風潮について思うこと
こんばんは。間口です。
最近と言っても少し前から、男磨きをすることが流行っているように感じる。
20代の前半は自分にも彼女がいたのでそういった人たちに同調しようとは思わなかったし、否定もしないし肯定もしないといった感じだった。それに、人間に必要なのは外見ではなく内面であるという確固たる自信があったため、必要性を感じなかったというのもある。
ところが、愛する人もいなくなり、現代の自由恋愛という市場に解き放たれた時に、内面などはあまり意味をなさないだろうということに薄々気づき始めた。もちろん大事なことではあるし大切にしていきたい部分ではあるが、出会いの場としての選択肢であるマッチングアプリ、合コン、相席、街コンなどで必要になってくるのはやはり外見やステータスによるものが大きい。
社会的身分はある程度安定した職業に就いたこともあり、保証されているので、自己投資にお金を費やそうと考え始めた。
その時、初めて
厳しいって
という声が心に響いてきた。友達の間では流行っていたが、内心ではくだらないと思っていたのに。
筋トレやスキンケア、脱毛などにお金をかけ始め、自分の価値を高めることが楽しいという思いがどんどん強くなってきた。
ところが、それと同時に人を愛するという気持ちが希薄になっていっているような違和感を覚えた。
そこで、立ち返って周囲の人間のことを思い直してみると、自分を向上させようと必死な人間ほど愛に希薄なように感じるのだ。
一つ一つの恋愛に真摯でなかったり、ワンナイトを平気で繰り返したり、、、
前までは恋愛や人を愛することに真剣だった自分も、男磨きをしながら出会いの場に積極的に参加していた結果、いつしかそちら側の人間になってしまっているような気がした。
少しそんな自分が怖くなってきた頃に、
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」
に本屋で出会った。
自分が今まさに悩んでいたり考えていることが言語化されているような感動を覚えた。(内容については、今度友達にプレゼンしたいので noteに要約したものをまとめたい。)
人を愛することや、相手のために愛を与えたいという思いは間違っていないし失ってはいけないんだ。
男磨きや自己投資自体は間違っていることではないし、何もせずくだらないことに時間を費やしている人間よりは何倍もマシだと思う。
ただ、それに費やしすぎて本質を見失ってしまわないように、人を愛することに重きを置けるように、、、
ベンチプレスを今日も頑張っていきたいと思う。
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