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なんのために靴を履くのか

改めて考えてみる。

一部靴を必要としない地域に住まわれている人種の方達もいらっしゃるとは思うが、
大概は何らかのフットウェアを使用していると考えられる。

私も類に漏れず、
「行ってきまーす」
と家を出る直前、種類はいろいろあれど「靴を履く」という動作をしている。
それこそあんよは上手と歩き始めた時からずっとだ。

最初はいわゆる「ズック」だった。
記憶は定かではないが、当時の写真がそれを物語っている。
ここまで書いて、ズックってなんだ?何語?

ズック(〈オランダ〉doek)

1 綿または麻を用いた厚地の平織り布。帆布・テント・かばん・靴などに用いる。
2 1で作ったゴム底の運動靴。ズック靴。
[類語]靴・シューズ・短靴・長靴・雨靴・革靴・ゴム靴・ゴム長・運動靴・どた靴・編み上げ靴・ブーツ・軍靴・藁沓・雪沓・スパイク・パンプス・ハイヒール・ローヒール・ローファー・スリップオン・ミュール・スニーカー・トーシューズ・レインシューズ・オーバーシューズ

デジタル大辞泉

元々厚地の平織り布を指すオランダ語だったが、1970年代には運動靴全般を指すようになったらしい。
現在では東北・北陸地方で言葉が残っているようだ。
…するってぇと何かい?
今でも私はずっとビニール製のスリッポンをズックって言っているのは、もしかして通じてなかったのか?
私の周囲の方達は、私が福島の方言と標準語のバイリンガル(訛りが抜けていない)であることで、話の前後と言動を鑑みて話を進めてくれる方たちばかりなので訛っていることに気づけない事が多い。
上履きも通じないのかな。もしかして。

話を戻そう。
最近でもあるのだろうか。アニメのキャラクターの描かれたシューズだった。
シャンクもカウンターも何もない、それこそつま先トントンして踵を引っ張り上げる仕草で玄関から出る。
足指の成長とかアーチの形成とか全くと言っていいほどに何も考えられていないシュースでなんでもやる。
走る・跳ぶ・木に登る・水たまりに入る・ガードレールの上を歩くなどなど
大人になったら圧倒的にしなくなることをしていた。
靴の履き替えは、上履きと外履きくらいしかない時代。
小学校は体育の授業でも、甲にゴムのある布製の上履きだった。
要するに普段履きであらゆる運動をしていたのだ。
小学3年生の頃からバレーボールを始めたことで、バレーボールシューズという存在を知り。
体育館シューズなるものの存在を知ったのは、中学校の時だ。
学校指定の体育館シューズがあった。
ヒモ靴だったがシャンクもカウンターも以下省略。

今にして思えば、「足の皮膚を傷つけない」という目的のみのために靴を履いていたのかと思う。
これはもしかして、今でいうところベアフットだったのか?
いや違うな。
この段階で足がちゃんと支えてたら、今頃変形に悩まされることもなかったはず。
しかしながら、当時は扁平足は指摘されても特段手立てはなく。
そういうものだと思われてきていた。
というか。周りに揶揄われて終わっていた。
情報も知識も全く確立されておらず、今のように簡単に検索かけられるものでもない。
痛みがないならそれでよしとされた古き時代の話。

そして。今。
昭和も遠くなった令和の今でさえも、靴は相変わらず疎かになっている。
様々なメーカーの靴が輸入されてきて、様々な靴が目につくようになった。

靴が身体的な問題を引き起こしている一因になっているにも関わらず。
あれだけ「合わない靴は問題だ」と言われているにも関わらず。
新製品の開発とともに靴の機能の情報は溢れるばかり。
混乱しないほうが嘘だ。
そして、人は自分の欲しい情報が目につくようにできている。
しかしながら、その情報に飛びついて損をした経験があればあるほど、
「どうせ私には合わないわ」
と諦めている人がどれだけいるのか。
市井の人々にとって、靴がパフォーマンスを阻害している可能性も認識されていない現状は、もういい加減に無くしていかなければならない。

何が言いたいのかというと。
靴は、自分の足と目的が明確になっている上できちんと選べていれば、
単なる「ウェア」ではなく、「ギア」になるはずなのだ。
足を守り、己の持つパフォーマンスを引き出すことができるツール。
それが「靴」だ。

だからこそ、足元を見直してみてほしい。
今履いている靴は
自分の足に合っているのか。
そして、その靴の目的は何なのか。

靴を買うときに
その2点は、最低限抑えて欲しい。
そしてできるならば
時間をかけて自分に合った靴を選んで欲しい。

自分の感覚を信じること

その時に気をつけて欲しいのは
「自分の足から送られてくる情報を疑わない」
ということだ。
足を入れてみて、何かちょっとでも引っかかることがあったら、
それは合っていないという、足からの答えだ。
人はどうしても経験がある分、その経験を元に入ってきた情報を「解釈」してしまう。
合わないものは合わないし
嫌なものは嫌なのだ。
他人の意見どころか、自分の経験則こそ邪魔になる。
痛いことや嫌なことは決して気のせいではない。
そんなのは、命の危機に迫られた時だけ発揮すればいい解釈だ。
その証拠に、快適だったり良いものは否定しないでしょう?
良いもんはいいし
美味しいものは美味しいでいいのだ。
誰がなんと言おうと関係ない。
「自分がどう感じたのか」を正直に受け止めてほしいと常々考えている。
その上で、「自分に合った靴」を選んでほしい。

靴ってどうやって選ぶ?

よく聞くのは
「靴を選ぶときは、メガネを合わせるときのようにせよ」
ということ。
眼鏡を買うときは、メガネ専門店で度数を合わせて買うはずだ。
ああそれなのにそれなのに。
靴を100円均一で老眼鏡を選ぶようになってしまうとしたら
それは人間の足と身体をを甘く見過ぎている。
100均の老眼鏡はその時一瞬だけだからまだ分からなくもないが、靴はそうはいかない。
尤も、眼鏡専門の方から言わせたら
「眼鏡も同じ。ちゃんと合わせるのが基本設定!」
と言われる可能性が大いにある。
何故ならそもそもちゃんと合わせないと生活そのものに支障が出るからだ。
それは靴も同じことが言える。

それこそ靴の選び方については色々な情報が流れている。
インターネットに繋げられることが当たり前になった現在の日本。
ちょっとGoogle先生にお伺いを立てたら、それこそ数多の情報が流れているので、
それをいくつか見てほしい。
大概、おんなじことを表現を変えて書いていることが見て取れる。
ということは。原則はそう変わらないということだ。
あとはこちらが選ぶ眼を持つこと。←結局これが大事。

相談する人を選ぼう

医者を選ぶように、靴屋も選んでほしい。
人間なので合う合わないは絶対にある。
それこそ遠慮はいらない。
専門家の意見を上手に取り入れて、自分に合った靴を探してほしい。

専門家って言ったって、誰に相談したらいいか分からない?
であれば。こちらをお勧めする。


「足環境研究所」


ここの情報は、ピカイチだ。
とにかくシンプル。論理的。そして分かり易い。

私がコンセプトとして掲げる「医靴同源」の源になっているこの団体は、靴で困っている人のためになるのなら、全力で向き合ってくれる。
そしてここに集まる方達は、非常に謙虚で勉強家だというから恐れ入るばかりだ。
私自身、いつも良い刺激をいただいている。

靴のことで困っている方。
ぜひ一度ご相談してみてください!

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