「ご縁の新陳代謝」について
縁は異なもの。出会いと別れ(死別除く)、等価に有意義と思う今日この頃。
10年以上昔、Aさんの紹介で知り合ったBさんから、2年ほど前にCさんを紹介された。そのCさんから、カリフォルニアで翻訳会社を営む娘さんのDさんに引き合わせていただき、Dさんの会社とは契約を結んですぐに仕事が始まり、2年の月日が流れた後、このほどアメリカに本社がある某マーケティング会社のローカライズ翻訳チームに入ることになった。
で、プライベートではもう10年以上のお付き合いがあった上に、新しい縁結びの元となったBさんとは、ここ半年ほどの仕事のゴタゴタで決別した。私から切り出して全然円満じゃないけど、これ以上仕事を受注するのは無理だと思い、決断した。
Bさんは年配者ということもあるが、ウェブサイトの「保守」という業務を何度説明しても理解してくれない。オンラインショップのシステムの不具合があれば、それはそのシステムを選んだ私が全部直すべきだと言い張る。
「いやいやいや、私が作ったシステムじゃないから問合せが必要だけれども、それには時間も手間もかかります。つまりそれを無償でお引き受けするのは厳しいです」
と説明しても、毎回筋違いな返答が来る。完成した仕事以外に費用が発生するというのは社会通念上ないとまで言い張る。
つまり、誰かのためだけに人が動く、手を動かす、時間を割くという事のひとつひとつが「仕事」であるという認識がBさんにはないのだ。
ショッピングカートのサービスについても、繰り返し説明しても理解が進まない。聞き齧った情報だけで、理解もせずに適当な決断をしては伝えてくるが、いつもふわふわしたことを言うのでその都度膨大な説明が必要になる。でも、どれほど丁寧に噛み砕いて説明したところで、やはり理解してくれるわけではない。
デザインのプロセスも理解してくれず、そこにかかる手間、暇、スキルについても理解がない。結果、平気で値切る。私はともかく、私の先にいる人の見積まで平気で値切るので信頼関係が崩れてモチベーションが下がるからやめてくれと言うと、「見積とは値切るものだと思っていた」くらいのトンデモ回答が返ってきた。その後、値切りは止んだけれども…
毎回送られてくるメールの返信にも、ものすごく初歩的なことから説明をする必要があり、それが何度も何度も繰り返し発生するので、毎回二時間以上の時間がかかる。
そんな状態が半年続いた。
最近は、物事を理解できないままに嫌味を言ってくるようになった。おそらくは、自分の方が上だという意識が抜けないのだろう。そこでもう、潮時だなと。長い付き合いだったとしても、失うものが多すぎる。限界。ここまでよく耐えた方だろう。
一方で、Dさんは違う。お互いの立ち位置とスキルをリスペクトし合う良好な関係が保てている。当たり前かとは思うが、仕事はやはり、対等だと思えている相手とする方が良い結果を出せる。
人生は短いし、時間はお金よりも貴重。そう、そもそも私はBさんの仕事をお金のためにやっていた訳ではなかった。何がイヤかと言うと、私の人生の時間を無価値に扱われることが許せないのだ。
こんな世の中になってきたら本当にいつ死ぬかわからない。だからなおさら、長期的に、誰かに恐ろしいほどの時間やエネルギーを奪われ、仕事の価値と内容をまったく理解されないのならば、「別れ」って健全なことだとあらためて思う。
大人の階段のーぼるー
俺はまだ、死んでないっさ!