成長って、みんな一緒?
この10数年間、頭に浮かぶ言葉があります。
Normal
この言葉は、妊娠定期検診で担当医が口にしていた言葉。
ここのNormalは「普通」と訳さず、「身体が順調に成長している」と、私の脳内翻訳機は自動転換していました。
産婦人科担当医は、口数の少ない方でした。ヒヤッと冷たいジェルを私のお腹にぬり、超音波検査器具を動かしていきます。
暫くの間、真剣にモニターを見つめる医師。
世間話なし。私も静かに待ちます。
医師が言葉を発するまで、緊張したものです。
暫く超音波で胎児の様子を眺めた後、ぶっきらぼうに発する言葉は、
Normal=成長しています。
この単語に、どれだけホッとしたことか。
この言葉を合図に、片付けに入る担当医。私も帰る準備。
育っている。
成長している。
最大の安心感が感じられた言葉…だったはずです。なのに、数年経つと、あらまあ、言葉の魔法が弱まります。
純粋に喜べていた子どもの成長、いつから大人は、満足できなくなるのでしょうか。
「お子さんは、成長しています。以上!」
担当医のように面談時に保護者に伝えたら、どんな顔をされるでしょうか!?
面談での内容は、これだけでは済まされないです。学校での面談は、学力・スポーツ・音楽・アート系、様々なスキルについて報告し、「これからの目標は…」ネクストステップについて話し合う時間。
学校の決めた学年の「枠」で子どものスキルを比べて、もっと、もっとと急き立てる。
人間の神秘で、胎児の成長と出産までの期間は、ある程度足並みがそろっています。けれど、自分で息をし始めたら、彼らの「成長」は個性。内容もスピードもそれぞれ。
メインストリームの学校は、生まれた時期で子ども達をまとめています。同じ時期に生まれたのならば、同じように成長していくという想定のもとに。
この年齢なら、これが出来るべき。
この年齢なら、この知識を得ているべき。
この年齢なら、こう行動するべき。
この「べき」の枠。子どもの時から押し込まれていくんですね。
「べき」の枠にたどり着いていなかったら、「もっともっと、早く早く!」と生徒を追い立てる。「枠」を飛び越えられる実力が身に付いていても、「いやいや、まだ早いから。ちょと待って」と制される。
学びの主役達は、自分のペースで成長しています。
邪魔はしたくないものです。