ボタンがあったならツツツイと押してしまう人類といふもの
人類史における最も卑近な例としての例えばヤッターマンである。タツノコプロでシリーズ化したこの物語では、
ドロンジョ、ブツクサ・ボヤッキー、スタコラ・トンズラーの悪玉トリオがヤッターマンにメカ搭乗戦で敗色濃厚確定となったとき、ボヤッキーの役どころだったと思うのだけれど、
「ポチッとな」
チュドーンと髑髏の形の噴煙をあげて自爆していたことはもうお約束。
仕掛けが施されている風情の突起物に、人類は興味を抱かずにはいられないようだ。押すか押すまいか懊悩とし、押してなんら変化が見られなかったこと、巨大な岩が洞窟内を転げ落ちてきたり地球が二つに割れてしまったりしなかった事にホッと安堵のため息をつく。
幾度か「ポチッとな」の繰り返しを経験観察しているうちに、この世界にはどうやらやる気スイッチと連鎖連動している種類のボタンがあるらしいことに気付くこともあるだろう。
なにもすることが無い 誰かやることをくれないか
「ヒコーキ」
小さな黒い虫が 部屋に入り込む
手紙を読み返して 返事でもとペンをとった
電話の前に立つ 誰かからかかってこないかな
今かかって来たなら俺 夢中で話すのに
「何もしない日」
90年代の偉大なジャズソウルファンクバンド 時代のシラケてふざけた空気を切り取っていた。(The CHANG G.石井まさゆき)
嗚呼、あの人投稿しないかなあ すると暇が薄れてくれるのに って稀有な相当の重症者であろうけれど(笑)、歌詞にある「低め安定で運行してる自分」が気づいてしまう日常の感情、そんな風になることは実際には週末の午後のほんのヒトトキだけだろう。
それぞれの精神の糧に何かが必要で 何かが何かを知りゆくのはそのひとだけで そんなことでいいのだったら そんなものさ って。
坂田明というミジンコ研究家兼サックス奏者の演奏会に行った時の事、サイドをバカボン鈴木と黒田京子という凄腕が固めていたのだが、ライブが終わりCDへのサイン会がありザッと概観30人以上の観客が列を連ねていたと思う。
わたしは手薄ノーマークだったベース界の至宝バカボン鈴木さんからはなんとしてもサインを戴きたく坂田の列に並ぶのは後回しにしたのだが、坂田からサインをもらったときにそれはもうミミズが面倒くさくて意味をなさずにのたうち回っているだけの、なんだかよくわからぬモノになり果てていた。
(のちにサインを戴かなかった黒田京子さんの演奏を検索し、例えが古くて申し訳ないのだがESPのマリリン・クリスペルのような和声が解体され歴史的文脈の外部で再構築されてゆくことを指向する演奏が素晴らしく、サインもらえるものならもらっとけばと不謹慎ながら。ブラームスのピアノトリオBメジャーOp.8の演奏(#が五つの調性)もとてもよく。読譜が大変でと黒田さん零してました)箇条書きの取り消し操作わからず。
グライダーが滑空するように文字に視線を走らせること、飛行機を操縦し文字列上空を飛ぶように意識的に文章を読み込むこと、ウインドウを並べやっつけ仕事のようにボタンを連打すること。
北斗百裂拳かっ!!!(笑)塩梅是大事かなっ。
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