カップラーメン顛末
熱湯を注いだのち300年待てとある。
カップラーメンの上蓋にプリントされている調理方法である。
この商品の開発者は不敵な笑みを浮かべて世に向かってこう問うているのだ。
「お前は果たして食することができるのか」
「洒落で発売したのではないのだ」
不意にスーパーの乾麺売り場で挑戦状を突き付けられた俺は
自宅で電気ケトルでお湯を注いだ後に
300年後にタイムトラベルすることにした。
カップラーメンは
容器は風でも吹いたかそこには跡形もなく
その過程においてスープは蒸発したのか粉にでもなって拡散でもしたか。
畳はとうの昔に分解され野生へと帰り
ちゃぶ台は判別可能な錆びついた足の一部がかつてあった面影を語り
家屋の屋根が錆びて空いた穴から雨水が滴りそして内に落ち込み
かつての窓際などから植物が入り込み生い茂りやがては植生が臨界に達し
麺と具は、、、、、
思いもよらぬ事だが
ただナルトだけが、ナルトの本懐に背かぬナルトらしい面影のまま
かくあるべきそれらしい場所に残っていた。
俺は知るものが誰も居なくなっている
300年後の世界、
時間経過のまあまあ自然な帰結が現れているのではないかという空間で、
このナルトを活用しておかなければならぬような気がした。
二枚のナルトを両のホホにあて
「ナ、、ナルトパック美容法、こっこれは無かっただろうなぁ」
と喧騒に満ちた過去の日常を想起し、ひとりごちた。