老鴉柿
先端のそれがうすく黄色に色抜けて木製棚にこじんまりと落ち葉を散らかすのでああ何年かたったのだあれから長いな、植物園にセンニチコウやオキナグサを卸す際には儲けをほとんど掛けなかった精霊がその眼に宿っているご主人は「はじめの樹にロウヤガキを選ぶなんてお勧めしないなあ」その主幹と張り出した脇枝に名人芸をして針金が巻かれていたその鉢は今は拘束も解けひこばえがツンと伸びる。
主だった姿形は林檎の果実ほどの容積でありながら老木のようであり、すておきほうって経過した時節の多さにひこばえは素直に若々しい雰囲気で湛えている葉の数も多い。
わたしはおまえを救荒植物として買いもとめたのだよ そう思い込んでみる。いったい一粒をならせるのは何時のことだろう。
不食者界隈で著名なオーストラリアのジャスムヒーンを想いおこしてみる。一粒でも数か月ほどは生きられる気になる。思い込み是肝心である。
梅干しやプルーンやピーナッツ、天津甘栗を頬張っていると、ロウヤガキがさも何かをいいたげにしていることがあった。その都度どうかしたのか?と尋ねるのだが
「わたしは梅干しよりも苦いから」
「プルーンは人気者。わたしは隙間産業の申し子のようなもの」
「食べすぎると鼻血が飛び散るから・・・」
「たかだかあぶられるくらいで身が引き締まるなんて素敵。天津甘栗さん憧れます」
なにやらロウヤガキであることは単純ではないこと、一筋縄ではないようなのである。スクールカースト同様のようななにかがロウヤガキの意識に影を落としているのだろうか。
秋の日差しは空の低い位置から家屋の奥まで光をさしかけている。
わたしは更に念入り入念細心の注意を払って、ロウヤガキを放っておくことにした。
原産:中国 正式にはロウアガキ(老鴉柿)、ロウヤガキ。鴉はカラス、真っ黒に熟す実をカラスになぞらえて。萼(ヘタ)を羽根つき遊びの羽根になぞらえ、ツクバネガキとの別名もある。
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