時間を持て余し、欲求不満な人達
私の日常は
夫婦の時間
親子の時間
生活の準備の時間
生活の時間
自分の時間
仕事の時間
趣味の時間
で、毎日が何年も続いてて『ママ友とランチ』とか家族以外との時間はほぼない。たまに他人と立ち話程度では関わるが、わざわざ時間を割いてまで関わろうとは思えないし、その時間が必要だとも思わなくなった。
十数年前までは、ママ友との関りもあったが、そこで得た経験は、他人との会話には『タラれば』が多く、成長や情報のワクワク感やドキドキ感が感じられず楽しくない。とにかく共感を得られない。知的好奇心も満たされないので『何やってんだろう私』感が否めず、空虚感という不快な感情が大半を占めた。なので、取り留めて必要以上の時間を他者に割くことをしなくなった。
それでも、たまに子供の繋がりで関わる人がいる。
内容は『タラれば』に次いで多いのが自分の不安感を煽られる話しをする、だ。「子供が家で寝てばかりいる」とか「部活をやめた」とか「進路が」とか、ここで記載してると伝わりにくいと思うが、表情や語尾や口調や前後の会話から、子供の事が不安オーラを発して話してくる。子供不安症候群と呼ぶべきだろうか。
子供不安症候群にタイでつけてるのが夫不満症候群だ。
夫不満症候群は、飲酒についての不満が多い。子供の件と同様だが、「お酒を毎日飲む」とか「zoom飲み会」とか言語的には何ら伝わらないと思われるが、そのセリフを言ってる時の表情や態度が不満だと物語ってる。
こんなプンプンで話したり
こんな呆れた感じで(夫を見下してる?)話したりする。
その他には、他人との関りが生活の一部の人もいる。もちろん、それが重要な人もいると思うが、私が謎に感じるのは、
相手に対して何の思い入れもなく、
会話する必要も重要性もなく、
向き合う必要性もないが、
持て余す時間と退屈な毎日を埋めるために、
強いて会いたいと思う相手でもない人と
何とかスケジュールを埋めて生きていく人達が謎に感じる。
Z世代特有のタムパがわかる。
世代は違うが『タムパ』が理解できる。むしろ、私の日常はタムパで判断されてるかもしれない。自分の時間を有意義に活用できるかどうかは大切だ。家族の不満や不安で日常の脳内を埋めて、他人と関わってもなお自分の家族の不満や不安を話題にする。とても、狭い世界観や固定観念を持ち、無駄な時間の使い方のように感じる。
この人達のコミュニケーションは不満と不安の共感なのであろう。そして、そのコミュニケーションが正しいコミュニケーションだと信じてやまない。
『合うわけないか。』
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