DEATH 死とは何か
DEATH 死とは何か シェリー・ケーガン
イェール大学で23年連続の人気講義
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誰もがいつか死ぬ以上、どんな生き方をするか、どんな目標を設定するかを決めなければなりません。僕達は何者なのか。与えられたわずかな時間をどう使うかを意識しながら考える必要があります。
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●人生の意義とは
そもそもなぜ生き続けることが重要なのでしょうか。簡単に想像できるのは、将来に自分が存在するというのが答えだと思います。ただこの考えは単純すぎるので、もう少し考えてみる必要があります。
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例えば、10年後の自分が記憶喪失になり、全くこれまでのことを覚えてない、人格もなにもなくなったとすると、生き続けたところで意味があるのでしょうか。
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あるいは、現実的ではないが1000年生きるとすると、50歳くらいの時の記憶は忘れてしまうでしょう。いろんな経験から人格が普通にゆっくり変わり(成長し)、1000歳になる頃にはまるで別人のような人格になっているでしょう。
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つまり、生き続けるが、生き続けることから得たいと思ってるものを得られないということです。ちょっと難しいですね。簡単に言うと、ただ存在し続けることには意味がないんじゃない?ということだと思います。少なくとも僕は長生きしたいとは思っても、1000年も生きたいとは思わない(1000年先はもはや自分なのか)です。
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ただ存在し続けることだけではなくて、自分が今持ってるものと同じ人格を持った人に将来も存在してもらいたいのではないかというシェリー・ケーガンの主張です。生き続けることに関して何が自分にとって究極的に大切なのか、なんで生きたいのかを考えるとよいそうです。
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結論から言うと、人格説(身体と心は切り離せる)や身体説(身体と心は一体)など考え方の違いはありますが、最終的にはシンプルに身体は壊れます=死ということです。思ったよりシンプルですが、身体活動が停止したら死ぬのですね。
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●死はなぜ悪いのか
死のどこがどのように悪いのか。死ぬと自分は存在しなくなるので、本人にとって死んでいることのどこが悪いのか。そんな話が語られています。
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死が悪いことかどうかを語るためには、悪いことのパターンを整理する必要があります。それは3パターンです。
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①本質的に悪い
これは単純に直接的に痛みを伴うことを指しています。例えば、頭痛だったり、指を挟んだりと、そのこと自体が本人にとって痛みを与えることを全て本質的に悪いとしています。
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②間接的に悪い
それ自体は本質的に悪いことではないが、そのことによって悪いことにつながる場合を間接的に悪いとしています。例えば、職を失うこと自体は悪くはないが、職を失うことによって借金に繋がり、それが本人に痛みや苦しみを与えるとなると、間接的に悪いことになります。
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③相対的に悪い
相対的に悪いとは、簡単に言うと機会損失のことです。あることを選択したとこによって、もっとよい選択肢を見送ってしまった場合、相対的に悪いとなります。
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例えば、2つ差し出された封筒に現金が入っており、好きな方をどうぞと言われ片方を取ったとします。そこに10000円が入っていたら喜びますが、もう片方には10万円が入っていた場合、相対的に悪いと言うことになります。10万円を手にするチャンスを逃したという意味でです。
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これを死に当てはめると、死ぬこと自体は本質的にも間接的にも悪くはないが、相対的には悪いということになります。死ぬことによって、生きていたら得られていた良いことが得られなくなる(機会損失)からです。
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死がどう悪いかを理解することも大切ですが、悪いには3つのパターンがあるという考え方は勉強になりました。日常生活にも活用できそうです。
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試しに「飲み会」で考えてみると、本質的には楽しければ悪いことではありません。しかし、お酒をたくさん飲めば健康に悪影響を与えるので、間接的には悪いかもしれません。また、飲み会に行かなければその時間を英語の勉強に当てれる場合は相対的に悪い(より自分の為になる機会を失った)ことになるかもしれません。
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人によって状況が異なりますが、どう悪いのかを1度考えてみると、選択が変わるかもしれないなと思いました。
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●不死が可能だとしたら
死が相対的に悪いとすると、最終的には不死にたどり着きます。では、不死は良いことなのでしょうか。
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もちろん、永遠の人生を楽しむ人も絶対に存在します。
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しかし、例えば自分が不死になったとして、どんな活動でも何か1つのことを永遠にやり続けるでしょうか?おそらく、途中で飽きると思いますし、永遠に続けたいと思えることは思いつかない人がほとんどだと思います。むしろ、永遠にやらないといけないと考えた瞬間、嫌になってきます。
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例えば、脳に電極を繋いで直接刺激を与える場面を想像します。レバーを引くと電気が流れる仕組みを作ると、ラットはひたすらレバーを倒し続けます。幸福を感じれるので、本質的にはこれ以上望ましいことはありません。
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自分の脳で行った場合どうなるでしょうか。最初は快感を楽しむと思いますが、しばらくすると「この快感はさっきのと同じだし、明日も明後日も続くのか。人生って本当にこれだけなのか?」と思い始めると思います。
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つまり、永遠に幸せでいられることがあるかどうかではなく、自分の人生として何を望むかが大切です。脳に刺激を与え続けることで人生は幸せになるかもしれませんが、僕たちはそれを望むでしょうか。極論を考えるとなるほどなと思いました。大切なのは、自分がどんな人生を送りたいかを考えて実現していくことでしょう。
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そして、人間にとって1番辛いのが「退屈」なのだと思います。永遠に生きることを想像すると、数年〜数十年単位で仕事や趣味を変えていかないと飽きてしまいます。そう考えると、100年程度しかない自分の人生の中で、1つの仕事をやり続けることは相当退屈なのかもしれません。
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●結論
死が良いか悪いかは、今後経験するであろう体験が、良い体験か悪い体験かで決まります。良い体験の総数が悪い体験の総数を上回れば死は悪いこと(良い体験を逃した)で、その逆なら死は良いこと(悪い体験をしなくて済んだ)という解釈になるそうです。
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ただし、おそらく大切なのは、死が良い悪いではなく、僕たちが死を理解した先に何があるかだと思います。つまり、死を理解することで行動を変えていかなければ、ただの知識で終わってしまうということです。
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寿命があと1年しかないとしたら、いまの仕事を続けるでしょうか。今やってることを続けるでしょうか。もちろん、転職などには恐怖を伴いますが、変化には恐怖が付き物で、それを乗り越えていかなければなりません。
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僕も行動をして変化していきたいと思いました。そして、いつか死ぬ日がくるので、好きなことができる人生を目指します。
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