日記は1日ぼうず ^-^
2024年8月13日晴れ36度
広島市の郊外の山の端っこ。
今日は日記を書いておきたいと思い、パソコンを開けた。
日記、、、今日から書こう!
と1日分書いては メモ紙になっているノートが部屋の中には沢山ある。
3日坊主にもなっていない。こんな人は多いかな。
日記、今日の出来事、を書こうかなと思いながらも、
ここ数年、私の中での気になっている事から書いている。
数年前、
原爆で若くして亡くなった祖母の手紙が見つかった。
その手紙は戦時中の紙も不足する中、そこらへんにあったペラペラの紙や
お店を営んでいたのでお店の便箋などに、それは書かれていた。
母から聞く母が生まれ育った家の話はいつも
商売をしていたから躾が厳しく言葉も広島弁は使えず標準語の教育係がいた、とか
江戸時代から続く足袋の製造販売の商売をしていて宮中にも収めていたとか
という家の話ばかりで
どんな人たちが居たのか?人物像は伝わってきておらず
母の話からは厳しくて嫌なイメージを抱いてしまっていたのだ。
しかし、その手紙からはおちゃめでユーモアに富んでいて
しっかりと世の中を見つめながらも温かい
筆跡や文体からその人がありありと目の前に現れた。
優しく強い母の母(私の祖母)の人物像が浮かんできた。
何十通にもおよぶ手紙を読んだ後は、まるで会った様だった。
祖母の声を聞いたのだ。そして、うんと嬉しい気持ちになった。
その手紙を友人にも見せたところ
「サユリさんはこのおばあちゃんにあたる人とは会ったことはないよね。
でも、似てる。言われていることとか。まるでサユリさんみたい。不思議だね。」って言われた。
その言葉はとても嬉しい感想だった。
私は小さな頃から母とか姉妹とかに自分の心を理解してもらうのが難しく
誤解されて批判されたり、身内には風変わりな人物だと思われていた。
お金持ちの花持ちならない人なのか?という印象があった先祖の人が
こんな人間味がある人で良かった。
と思ったそんな手紙を書いた祖母と似ていると言われてとても嬉しく、
かなりホッとした。
世間とずれているらしい自分の人間性に自信がなかったので。
その手紙が見つかった時、母に見せるかどうか迷った。
母は原子爆弾で突然7歳の時に両親を失っているので
同じく広島の中心地に暮らしていた父も両親を失い
親を亡くしたもの同士、助け合って本当に仲良く
戦争の話は一切せずに、私たちの家族は楽しく温かく暮らしたいた。
私が40歳くらいの時に何かの話で母は精神が少し気弱になっていた時、
「お母さんのところにいきたいわぁ」と泣いたことがあり、びっくりした。
それまで、小さな頃の母の心の傷を垣間見る出来事はなかったから。
私たち、子どもが知ることはない心の傷。
そんな母に、この手紙を見せていいのだろうか?
現代の暮らしの中で薄れてきた戦争の原爆による悲しい出来事。
また、蘇らせてしまうのではないのか。
会いたくてたまらなくなり、
どうしようもなく寂しくなってしまったらどうしよう。
とかなり躊躇した。
母に聞いてみた。
「お母さん(母の母)がばあば(私の母)のお兄さんに送った手紙が出てきたよ。
読みたい ? 今は読みたくない ? 」
「・・・・読みたいわ」
読んだ後に泣きながら
「お母さんに会えた気がしたわ、嬉しい。。。
蓉子(母)のことが沢山書いてある、あーー、思い出してきたわ」
「お母さんが亡くなった後に佐賀のお婆さまから
『蓉子ちゃん、お母さんの肩身だから送るわね』って
17歳の時の日記を送っていただいているのよ」
と日記を一冊見せてくれた。