ホロス宇宙塾第三期Vol.02【楽園学序章】レポートver.パン長
さて
今月のテーマは「楽園学序章」
楽園ってなんだろう?
お二人の話を聞いて僕なりに感じたことをシェア。
「ホロス宇宙塾」は実験寺院寳幢寺僧院長の松波龍源師と、京都芸術大学教授で放送作家の谷崎テトラ先生の対談企画です。2019年より毎月続いている人気イベントで、今年は第三期です。今期は「霊的進化のカルチュラルスタディズ《ホロス的心身セラピー》」 と題し、様々なテーマを西洋哲学・仏教哲学から読み解き思索します。
我々は原罪を抱え生まれ
失楽園から生が始まる。
みたいなキリスト教世界的な観点からの楽園についての説明や、その無理を指摘するカウンターの紹介。
岬の信仰
海の向こうの楽園
東の果ての楽園
西の果ての楽園
岬の向こう側はカミの世界
これって、縄文から続く「サ+k音」に表される神域の認識。
この世界観の延長にある信仰だな〜なんて思いながら聞いてました。
東の果て、西の果て
これは何を意味するのか?
日の出と日の入りの方角
陰陽五行で言うと木と金
誕生と死の方角
表面的には物理世界の延長に実在するエリアとして楽園が想定されている
だけど
実際の楽園と言うのは「ここではないどこか」に対しての憧憬みたいなもので、緯度経度で指定できるような特定の場所ではないのかもしれませんね。
密教は仏教哲学の中では特殊な印象だなぁと僕は思ってます。
理趣経のような煩悩即成仏みたいな世界観も独特だしね。
だけど
煩悩にまみれて獣のように生きろ!と言うことではなく
空性の観点で世界を捉えることが重要だと説いているわけです。
身体性を重視しつつ、そこに「依存しない」という感じかな。
そんな密教哲学から浄土、楽園をどの様に捉えるのか?
物理的な楽園ではなく
概念としての楽園があって
個人的な楽園を超えたところに
慈悲的な世界が現れて
日常がリニューアルするんだろうな、と。
それぞれの話を聞いて
僕が思ったのは以下の様なものです。
胎内回帰的な楽園への方向性は
無条件の安心への希求。
それは生前の記憶が無意識領域に残っているからであり、ぼくらは何の意図も持たないのにそこを目指しちゃう。
えら呼吸から肺呼吸に変わり
食べ物は口を使って食べなければならず
身体を維持するために脚で立たなければならない。
この世は苦しみから始まるとも言えるけど
言い換えると
自分の体を使って自発的に行うことは究極、苦しみを伴うものなんじゃないでしょうか?
苦と言う名前をつけてはいるけど
それがそもそも生きると言うことの骨格になっているのかもしれません。
そして、苦しみはそのうちに恐怖や不安を生みます。
安心が欲しい。
安心はどこにある?
絶対的安心。
それは、きっと生まれる前の世界の記憶であり、
それが楽園の原型なのかな?って思いました。
無条件楽園にいられた時期を経て
苦しみ(自主性)を伴うこの世界に生まれ落ち
そして
親から離れ、人と交わり
魂を成長させることで
周りの環境や条件は変わらずとも
居ながらにしてそこは楽園たり得るのではないか?
そんな事を思いました。
おわり。
文章: パン長=柏原 修(日本仏教徒協会会友・パンダ整体院院長)
昭和52年生まれで2児の父親です。
北京中医薬大学提携校・東洋醫学療術専門学院 元師範講師
中医整体師・推拿整体師・レイキティーチャー
シータヒーリング基礎DNAプラクティショナー
占い師(ルーン石、タロット、オラクルカード、マヤ暦など)
【誕生日】12月21日。
同じ誕生日の人は
フランク・ザッパ(天才的音楽家)
本木雅弘(超絶男前)
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【性格】オタクです。知的好奇心のかたまり。
【好きな食べ物】茄子のてんぷら・納豆・たまご
【好きな味噌汁の具】玉子とわかめ
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