さよなら全てのエヴァンゲリオンを観て
先日、同僚から「unicoさんってエヴァとか観るんでしたっけ?新しいの観ましたか?」と言われた。
エヴァは全部観てるけど新作はまだ観てない。なんか泣ける、感動するらしいね。
と答えた。すると同僚は「感動は、うーん、しないけど、エヴァはやっぱりシンジくんの成長物語なんだなって思いましたね」と言う。
エヴァを初めて知ったのは1996年
当時私は中学生。深夜の再放送で観たことを覚えているけど、単なるロボットアニメだと思い全話観ることはなかった。
それから数年、社会人になりマスコミ関係で働いている時、同僚に観てないことを伝えたら驚かれた。汎用人型ロボットの汎用という言葉も知らず、ネットで調べた。
シンジが逃げちゃダメだといってた頃、私は思春期真っ盛りで世の中に対する不満や鬱憤は積み重なり危険思考さえ持っていた。
あの頃、シンジに出会っていたら私はエヴァにハマっていたかもしれない。
でも私は大人になってからエヴァに出会った。だから共感なんてできなかった。あの頃の気持ちを思い出してノスタルジーに浸ることもなく、シンジのような甘ったれの臆病者にイライラしてしてしまった。
父親があーだこーだとか言ってないでとりあえず全力で闘えよー
そう思っていた。
結局、エヴァは全話見た。
そして
庵野秀明とスタッフは天才でエヴァは面白く最高だということわかった。
私のエヴァの好きなところは演出やデザイン、アニメーション、キャラデザ。内容を抜きにしてもアニメーション作品として好きなのだ。サイレントでもいいかもしれない。
エヴァの内容は簡単に言えば
愛に飢えた人が各自それぞれの愛のために成長していく物語。
私達は彼らの成長物語を何度も、何度も、心折れながらも見守ってきた。
庵野監督が伝えたい物語と表現は、エヴァというフィルターを通し各自に受け入れられる。監督の思いは、そのまま言語化すればいいというものではない。観客には楽しんでもらいたい、そしてそのうえで作品を通し思いを受け、各自の人生の糧にして欲しい。そう、監督は思うのだろう。私達はエヴァを観て何を得たのか。得たものを表現するのも、また難しいことだ。
さよなら全てのエヴァンゲリオンという庵野秀明のドキュメンタリーを観た。
制作者は最高の作品を作ることに命を削る。監督は自分の表現と思いを作品に込めたい。そしてその思いを受け入れてくれる観客。
自分を受け入れてくれた観客に、満足して欲しい。満足するものを届けたい。そういう優しさがある天才は、心を病む。
庵野秀明は
俺を受け入れないなら、そんな観客は必要ないというタイプではない。
そして、
みんなが納得する、満足するエヴァンゲリオンを作ることを決めた庵野秀明が、作り上げた最期のエヴァンゲリオンが、今全世界無料配信されている。
どんな結末だったのか是非観て欲しい。
スタッフも演者も監督も、未来を、次の一歩を出せる、
幸せな結末だったと私は思う。
庵野監督、お疲れ様でした。