「10回目の春」の、はなし。#29
社会人になって丸10年。
それは私にとって、大切な人が亡くなってから丸10年が経ったことを意味します。
具体的な関係値の言及は控えますが、
彼女は、私を広告仕事の世界へ導いてくれた人でした。
出会いは、私がリクルートスーツ姿で駆け回っていた大学生の頃。
悩み多き就活生には、たくさんの先輩方が励ましとアドバイスをくれました。
その一つ一つに勇気と知恵をもらいながら、私は日々の選考に立ち向かっていくことができました。
けれどそんな戦いの中にあって、
「私も、あんな素敵な女性になりたい」という気持ちが芽生えたことは、
ほかの何にもかえがたい力を与えてくれました。
やんわりと抱いていた業界への憧れが、具体的な目標になったとき。
お祈りメールが続いて心が折れそうになったとき。
内定をいただいた2社のうち、どちらに進むべきかを決めきれずにいたとき。
就職活動の節目には必ず、彼女の姿が脳裏に浮かんできていました。
彼女は、「あれもこれもやってみたい!」と、仕事の未来を楽しく語る人でした。
数多の学生と出会っていたことと思いますが、私の下の名前までを覚えてくれて、声をかけてくれた人でした。
叶えることはできませんでしたが、「仕事はじまったら一緒に飲みに行こうね」と気さくに誘ってくれる人でした。
そして静かに、私の前からいなくなってしまいました。
働きはじめてから、しばらくは彼女のことを思い出さない日はありませんでした。
彼女の分もちゃんと楽しまないと!明るく前向きに頑張らないと!と思える日もあれば、
彼女がいなくなってしまったというのに、どうしてこんなにも無意味な仕事に追われて、
苦しいまま淡々と時間が過ぎてしまうのだろうかと、眠れなくなることもありました。
ガチガチに緊張しながら、初めて一人でプレゼンをしたとき。
会食中、先輩に容姿を否定されて何も言い返せなかったとき。
クライアントのお局さまから、「担当を外れてくれ」と面と向かって言われたとき。
協力機関の方に、「あなたがいてくれたから仕事が楽しくできた」と言ってもらえたとき。
仕事で浮き沈みするたび、心にはいつも彼女が寄り添っていました。
私の中から彼女への憧れが消えることは、ただの一度もありませんでした。
10年が経ち、今年もまた手を合わせに行きました。
正直に言えば、時間の経過と共に彼女がいなくなってしまった衝撃や悲しみは少しずつ和らいできています。
そのことに自分の薄情さを感じることもありますが、
私は彼女との出会いを振り返りながら、時々こんなふうに文章にしてきました。
過去の文を読み返してみると、ある年は「片道切符を切られてしまったようだ」と書いていたこともありました。
私がそちらに行かない限りは、絶対に戻ってきてくれない。
その実感は、春を迎えるたびに胸に差し迫ってきます。
しかし、手を合わせているあいだ、
私の情けない近況報告を聞きながら、面白おかしくリアクションをしてくれる彼女の存在を感じます。
それはきっと、今の私が会いたいと願うままに浮かぶ幻想でしかないのかもしれませんが、
大学生の頃に抱いていた憧れが、ふつふつと呼び起こされていくこの時間が、私はとても好きです。
彼女がいなかったら出会えなかった人たち。
彼女がいなかったら得られなかった思い出。
久しぶりに立ち止まって、10年間の出来事を振り返っていました。
そして、今年も思いました。
「今の私は、彼女のように未来を楽しく語れているだろうか?」と。
もっともっと頑張れるんじゃないの?
悲観的になって、諦めてしまってることはない?
来年はもっと、面白い話を聞かせてね。
憧れの人にはやっぱり敵わないと思う、10回目の春でした。