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「百寿を祝う」の、はなし。#38

祖父の姉は、大伯母と呼ぶそうだ。

祖父の姉妹を指すときには、
姉か妹かで、「大伯母」「大叔母」の使い分けがちゃんとあって、
姉が「大伯母」、妹が「大叔母」となるそうだ。

なので、その人は私の「大伯母」にあたる。

私の大伯母は、先日99歳で亡くなった。
そして葬儀が行われた日は、ちょうど彼女が100歳を迎えるはずの誕生日だった。

あともう少しだったのにね・・!と悔しがってみせながらも、
まるっと1世紀を生き抜き、大往生の末に安らかに眠る大伯母の旅立ちには、
その場にいる誰もが誇らしいような気持ちだったのは間違いなく、
お通夜も葬儀も終始、親族同士で心置きなく語りあえるような、和やかな時間になった。

私は彼女を、「おばちゃん」と呼んでいた。
小学生の頃は、夏休みやお正月に祖父母の家に遊びに行くたびに、隣に住むおばちゃんに会いに行った。

おばちゃんの旦那さんは、私が生まれる前には亡くなっていて、
35年以上もの長い間、旦那さんとの思い出が残る家にひとりで暮らしていた。

とにかく裁縫や手芸の類のものが大好きで、ハギレでもお菓子の箱でもなんでも、素敵な雑貨に生まれ変わらせるひとだった。
私たち家族が遊びにいくと、まずは新作の紹介から始まって、
「これはなにで作ったでしょう?」とお茶目なクイズから始まることがしょっちゅうだった。

軍手から作った犬のぬいぐるみ、トイレットペーパーの芯から作った猫の置物。
そんなアイディア作品もあれば、ビーズで作ったバッグや、真鍮焼きのアクセサリーなど、売りに出されていてもおかしくないようなクオリティの作品もあって、おばちゃんの家はいつも、創作のワクワクに満ちていた。

綺麗に片付いているとはお世辞にも言えないけれど、
こんなふうに好きなものに囲まれているおばちゃんは、いつも楽しげで、何歳のときでも可愛いらしい存在だった。
邪悪なものの一切は、早くに旦那さんが持ち去ってくれたのだろうか。
おばちゃんの家に来る人はみんなその場に落ち着いてしまって、ひとしきりリラックスしていく。そんな不思議な魅力を湛えた空間だった。

葬儀の際、僧侶の方がこんなことを仰っていた。

人生100年時代と一口に言っても、100年生きるということはまだまだ決して当たり前ではなく、成し遂げられる人は圧倒的に少ない。
(30年以上あるキャリアの中でも、5名ほどしかいらっしゃらないそうだ。)
1世紀生き抜いてくれたことへの感謝と、おつかれさまという気持ちを、
心にしっかり宿して、お別れの挨拶をしましょう。

その言葉に巡り会えたことは、親族として本当に光栄なことだと思った。

家族にとって、
好きなものに囲まれて、元気に楽しく、幸せに生き抜いてくれることは、
それだけでありがたいこと。

普段はまったく意識できていなかったけれど、
あの日、あの場にいた親族一人一人の表情が、それを物語っていた。

どんなときでも優しかったおばちゃん。
35年分の作品紹介を、旦那さんにゆっくり聞かせてあげてね。

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