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「さよなら、厄年。」の、はなし。#49
前厄→本厄→後厄と続いてきた“厄”が、今年やっと終わりを迎える。
「本厄」が字面的にいちばん厄介そうだが、とんでもない。
わたしにとっては、後厄のこの1年のダメージが、ダントツで大きかった。
肉体的にも精神的にも年齢を感じながら、他人と比べて落ち込んでは、
日々、自分で自分を追い込む悪循環に囚われてしまっていた。
思うように身体を動かせなくなったし、職場の人間関係にも悩まされた。
どうしても顔を合わせられない相手がいて、
保健室登校さながら、会社へ行っても同僚のいる席に行けなくなった。
「厄だから仕方ない」と言い聞かせることは、
今年一年を諦めさせてくれる、いちばんラクな方法だった。
期待するからダメなんだ、最初からうまくいかないことを前提に構えていればいい。きっと今はそういう時期なだけで、必ずいつか、潮目がかわって良い環境に恵まれるときがやってくる。そう思いながら、求めることをやめて耐え忍んできた。
今でも、この思考法で過ごしてきたことは、全く間違っていないと思う。
社会人になって約10年もの時間、内省を繰り返しては苦しみの受け入れ方を覚えていって、
今年の「後厄」というハードモードも、なんとか乗り切ることができた。
けれど、この1年を振り返ってみたときに、この諦め思考よりも計り知れない苦痛からわたしを救っていたのは、やっぱり「書く」ことだったのではないかと思う。
モヤモヤした嫌な気持ちを、そういうものだと諦めて終わらせるのではなく、文章に落とすことでその正体を言語化してきた。
少しずつ因数分解されていくその気持ちが、実はそんなに重く捉える必要のないことだと気づくこともできたし、何より、自分の気持ちを言葉にしようと努力することは、わたしがわたしを理解しようとする、わたしを大切に労わる行為そのものでもあった。
しかし、「書く」にはそんな効果があると、理解したうえでやっていたわけではない。
今年の年初めにさとゆみゼミを受講して、半ば強制的に「書く」と向き合う時間を作ってきた。それだけでも十分、わたしが書く理由は生まれたのだが、そこで「書く仲間」と出会えたことが、その後のわたしの背中を押してくれた。
人それぞれ「書く」を学びにきた背景は違うけれど、文章がうまくなりたい、何かを表現する側の人間になりたいという同じ熱量を持った仲間が、全国各地に存在している。
わたしの文章なんかは、プロが書くものでもなければ、誰かに届けられるような立派なものでもないけれど、それでも「書く」側の人生を歩みたいと思ったし、隣には、同じ志を持った「書き続ける」仲間がいてくれる。
だから、置いてかれないように書いていれば、わたしはわたしの文章を生み出すことができたし、そうして苦しかった「厄」にも、自然と向き合うことができた。
「厄年」が訪れることは、その後の人生を豊かにするために必要な通過儀礼だったのかもしれないと、今はそう思える。この1年を経て、わたしは「書く」仲間を得ることができたし、1年の経験から、「書く」ことのゆるぎない心強さを実感することができた。それを理解したうえで向き合う仲間たちは、改めて特別な存在なのだと思う。
厄年はやっとわたしから離れていく。
その事実には、やっぱり根拠のない安堵を感じるけれど、
わたしにとってはかけがえのない1年だったし、厄は厄で、必要な役目を果たしていたのだと思う。だから、しっかり送り出そうと思ってこの文章を書くに至った。
来年は「厄」を言い訳できないからこそ、より自分の力が試されるのかもしれない。
この1年で培った言葉を上手に昇華しながら、少しずつ、心豊かな毎日を過ごせたらと思う。
さよなら、厄年!