レイ・ダリオ『インフレと富について』翻訳:「インフレになって驚いているリフレ派は馬鹿じゃないのか」なんて言ってませんよ...
という書き出しで始まる『世界最大のヘッジファンド: インフレになって驚いているリフレ派は馬鹿じゃないのか』というブログ記事を見つけました。(読まなくていいです。後述するようにロクでもないので)。
最初はヘッジファンドの我田引水の「市場原理主義」的スタンスだなぁ、と思ってしげしげと眺めていたんですけど、Wikipediaでレイ・ダリオのキャリアや政治的スタンスを見てみたところ(スティグリッツ的な「政府による適切な介入とルールによる資本主義」の擁護者に見えました)、ホントにこんな事いう人なの、という疑問が徐々に生じてきたので、先述のブログ記事の元ネタを漁ってみたところ、
「インフレになって驚いているリフレ派は馬鹿じゃないのか」なんて一言も言ってねーじゃねーか!
確かに購買力の増加を伴わない名目資産の増加は無意味だよね、っていう話はしているし、現金給付には否定的だ。でも、彼は積極的なインフラ投資は推奨しているし、富裕層への課税に怒り狂っているわけでもない(1970年代の限界税率よりずっと低い、なんて書いている)し、エリザベス・ウォーレンを罵倒したりはしていない。(ちょっとマニアックな話をすると、そもそもウォーレンは「金を取れるから」金融業界/富裕層から取り上げろ、というスタンスではなく、健全な資本主義のルール作りのために金融業界・超富裕層の力の行き過ぎを防ぐための課税制度が必要だ、というスタンスだ。だから、彼女はそもそも「政府の借金が増えたから富裕層から取り上げると主張」などしていない)。
こういう「どうせ誰も原典読まないだろw」ってマインドで、海外著名人の論考を好き勝手つまみ食いして曲解(というよりもはや捏造でしょう)している態度に無性に腹が立ったので、元ネタの"On Inflation and Wealth"を訳してみました。
インフレと富について
レイ・ダリオ
-Bridgewaterの創業者・共同投資責任者・取締役会メンバー
昨日のインフレレポートでは、インフレの猛威とインフレによるあなたの資産の侵食について述べられていましたが、これは驚くべきことではありません。 今の時点において、1)政府は大量のお金を印刷し、2)人々は大量のお金を手に入れ、3)それが大量の買い物を生み出し、さらに大量のインフレを生み出しているからです。一部の人々は、自分の購買力の減損を見ず、自分の資産の値上がりだけを見て、自分が豊かになっていると勘違いしています。そして最も傷つくのは、お金を現金で持っている人たちです。 今日は、私の新刊『変わりゆく世界秩序に対処するための基本原則』の「決定要因」の章の一部を紹介し、今の状況に関わる重要な原則についてお伝えしたいと思います。過去の500年間を研究することは私の助けとなっており、この本であなたにお伝えすることで今現在起こっていることの理解と対処法の一助になると思います。今起きていることに対処するために、お役に立てば幸いです。
覚えておくべき基本原則:
富 = 購買力
富 ≠ 会計上の資産
富を稼ぐ = 生産的である
富の衰退 = 力の衰退
富をもう少し具体的に定義し、富を持つ国・持たざる国に対して富が持つ影響を見てみることが大きなサイクルを理解するために有用です。私は次に挙げる事柄が正しく、今起きていることと大いに関係すると信じています:
富 = 購買力。あまり多義的にならないよう、富を購買力と呼び、お金や口座残高と区別することにしましょう。お金や信用の価値は上下するため、この区別は重要です。例えば、お金や口座残高がたくさん作られた際にはそれらの価値は下がるので、よりたくさんのお金を得ることは、必ずしも富や購買力が増えることにはつながりません。
本当の富 ≠ 会計上の資産。本当の富とは、家、車、ストリーミングサービス等々、人々が持ちたい・使いたいがゆえに購入するもののことです。本当の富は内在的な価値を持っています。会計上の資産は a) 将来継続的に収入を得るため、および/または、b) 将来売却して、欲しい実物資産を買うための資金を得るために保有する、金融資産で構成されています。金融資産には内在的な価値はありません。現在、実物資産に転換できる量よりはるかに多い金融資産が存在するので、金融資産の価値は切り下げられなければなりません。今起こっているように、金融資産が増加しているからといって、購買力が低下しているときに本当の富を得ているとは思わない方がよいでしょう。
富を稼ぐ = 生産的である。長い目で見れば、あなたが持つ富と購買力は、あなたがどれだけ生産したかの関数となります。なぜなら、本当の富というのは長く保存したり、相続したりはできず、それゆえ継続的に生産的であることは非常に大切なのです。金持ちの富を収奪し、それで生活しようとし、生産的でなかった社会(例えば、1917年の革命後のロシア)を見れば、彼らが貧しくなるのにそう時間はかからなかったことがわかるでしょう。生産性の低い社会というのは、裕福でなく、それ故力も持たないのです。ところで、消費よりも投資やインフラにお金を使う方が生産性を高める傾向があるので、投資は繁栄の先行指標として有効です。一方、お金を刷って生産性を向上させないまま分配しても、富は増えません。政策の意義を考える際には、このことを念頭においてください。 お金を刷って配っても、そのお金が生産性の向上に繋がらなければ、豊かにはならないのです。
富 = 権力。なぜなら、十分な富があれば、ほとんど全てのもの―物理的な財産、他人の仕事や忠誠心、教育サービス、医療、あらゆる種類の影響力(政治、軍事など)―を買うことができるからです。時代や国を問わず、歴史は富を持つ者と政治的権力を持つ者の間に共生関係があること、そして両者の間でどのような取り決めが交わされるかが支配秩序を決定すること、そしてその支配秩序は、自身の富と権力を手に入れた他者によって支配者が打倒されるまで続くことを示しています。富と権力は互いに助け合う関係にあります。例えば、1717年にイギリスの東インド会社は、金融資本、商才を持つ人々、軍事能力を持つ人々を効果的に集め、インドのムガル帝国皇帝に貿易をさせました。これは、イギリスのインド植民地化の第一歩であり、18世紀にはムガル帝国は没落し、19世紀には1857年のインド大反乱後、イギリスが皇帝を追放しその子供を処刑して完全に崩壊したのです。富と権力を持っていたため、イギリスはこうした行為を、さらなる富と権力のために行うことができたのです。権力の変化は富の変化から生まれるので、富の変化を生成するために誰が何をしているのか注目しましょう。
富の衰退=力の衰退。購買力を失ってから失敗しなかった個人、組織、国そして帝国は存在しません。成功するためには、少なくとも支出した金額と同額を稼がなければならないのです。控えめに消費して貯蓄をする人は、たくさん稼いでいるのに負債を抱えている人よりも、持続的に成功します。歴史は、個人、組織、国、帝国が、収入以上の支出をすると、不幸と混乱が待ち受けていることを示しています。また、自立した人々の割合が高い国ほど、社会的にも、政治的にも、経済的にも安定する傾向があることも、歴史は示しています。 米国は今、収入よりも遥かに多い支出をしており、その支払いは切り下げられた貨幣を印刷して行っています。 改善のためには、生産性を上げ、協力し合うことが必要です。 今の私たちは間違った道を進んでいます。
どうでしょう。例のブログが言うように、レイ・ダリオは口汚くリフレ派と進歩派を罵っているのでしょうか。彼自身の他のLinkedInを見ると、インフレ抑制のための必要な金融の引き締めは多大な痛みを伴う(が、それでもやるべきである)とか、教育投資は生産性の多大な向上をもたらすとか、是非ともインフラ投資は必要であるとか、トランプ減税的(「平時における市場最大の財政赤字」cf. スティグリッツ)な政策より、バイデンのビルド・バック・ベターと遥かに親和的だと私には感じられるのですが。