AC当事者がピーター・パンに救われた話
映画『ピーター・パン』→アトラクション『ピーターパンのネバーランドアドベンチャー』→映画『ピーター・パン2』の順で観て(乗って)、心を救われました。
「救われた」と大袈裟な表現をするのは私がアダルトチルドレン当事者だからです。
この記事ではアダルトチルドレンを自覚する私がピーター・パンシリーズとネバーランドアドベンチャーによって子供の頃の喜びを取り戻した経験を書いています。
※作品やアトラクションの詳細なレポを期待する方や、それらの世界観を特定の概念で汚したくない方は、読まずにお戻りくださいますようお願いいたします。
大きなネタバレは極力ないように表現していますが、何も情報を入れずに楽しみたいという人も回れ右をおすすめします。
アダルトチルドレンとは
育った環境に問題があり、子供時代を子供らしく過ごすことが出来なかった人は、大人になったとき対人関係や仕事に困難さを抱える傾向があるらしいのです。
私は10年前にADHDの診断を受け、自身の生きづらさは発達障害のせいだと思っていました。
しかし、30代に入って真剣に人間関係を考えるようになってからアダルトチルドレンという概念を知り、幼少期の愛着形成不足が原因で深刻な認知の歪みを生んでいるのではないかと思い始めました。
具体的に言えば、過剰な不安によって上司に相談してからでないと取引先に依頼の電話ができないとか、自分の意思を伝える力が無くて友人の気になるところを注意できずコップの水が溢れてから急に絶縁するといったことです。
若気の至りで済んでいたことがどんどん「いい年になって」と言われるようになるのだろうかと怖くなり、自分の未熟さに気づく度に歳をとることも時間が過ぎることも怖くなりました。
子供でいたいと思ったことはありません。
子供の頃は辛い思い出が多くて、自分で稼げるようになって初めて本当の人生が始まったと思っています。
でも、自分ができないことが何故みんな当たり前にできているのかと考えた時「子供の頃に安心してのびのび過ごした経験」の差であると知り、私はかなりの周回遅れであることがわかりました。
周回遅れを取り戻すために自助会やスキーマ療法、セルフコーチングを進めていく中で、子供の頃にしたかったことや辛かったことをありのまま認めて、自分の中にいる子供の頃の自分をうんと楽しませてあげることが大事なのだとわかってきました。
そうしたこともあり、子供の頃に観ていたエンタメを大人になってから思いっきり楽しむことにしました。
そうして観るディズニー作品は格別でした。
親の目を気にせず甘いものとしょっぱいものを交互に酒で流し込みながらロジャー・ラビットを指差して笑った時、嬉しくて涙が出ました。
『ピーター・パン』が私にくれたもの
映画『ピーター・パン』を観直しました。
ウェンディが親の心配することは弟たちにさせたくないと長女として葛藤する姿に共感しました。ピーター・パンの登場人物だってそんな気持ちがあったんだ、と思いました。
子供の頃は「楽しいことで頭をいっぱいにしたら空だって飛べる」なんて、とんだおとぎばなしだと思って観ていましたが、数多くの成功者や偉人たちの逸話を知った今はあながち嘘でもないと思いました。
彼らはいつでも苦労の中に楽しさや輝かしい未来を思い描いていて、自分のいる地点より何倍も高い所へ進んでいくのです。
空を飛ぶことも、出世することも、素晴らしい家庭を築くことも、メジャーリーガーになることも、楽しいことを考えなければできないことなのかもしれません。
作中では、ティンカー・ベルはウェンディを殺そうとしているし、人魚もウェンディには塩対応だし、ネバーランドは思いのほか世知辛いところでした。
それでもウェンディは腐ることなく、勇気を持って船から突き出た板の上を堂々と歩きます。
自分の運命を信じる強い心。自己肯定感の塊。
これぞ私が目指す姿だと思いました。
フック船長は義手の種類を色々持っていてハンデを楽しむ気持ちを持っていますし、ロストキッズたちも自分達の過ちをすぐに認める素直さがあります。
昔だったら嫌いになりそうなキャラクターにも良いところを見つけることができて、大好きな作品になりました。
『ネバーランドアドベンチャー』はインナーチャイルドとの二人乗り
※見出しの「二人乗り」は心理的表現であり、実際は12人乗りのライドアトラクションです
32歳の誕生日を迎えた翌日、『ピーターパンのネバーランドアドベンチャー』に運良く乗ることができました。
待機列を進む時から秘密基地を探検するようなワクワク感があり、子供の頃ちょっと危ないところに好奇心が向いてしまう気持ちを思い出しました。
これは大人気なく楽しんだしたもん勝ちだ、と思いました。
ボートに乗ってウェンディの弟、ジョンを助けに行きます。
ボートに乗ってからのことはここでは割愛します。
ただ、心の中の子供の自分がぴょこっと出てきて、32歳の私の膝の上で「うおー!」とか「あぶなーい!」とか「がんばれー!」とか言って思いっきりはしゃいでいました。
32歳の私はそれを観ながら、ずっとこうしたかったんだよね、と子供の私の頭を撫でてあげました。
ライドも終わろうという頃、ピーターパンがある言葉を私に言いました。
その時、膝の上にいた幼い私が32歳の私の中に吸い込まれていき二人が一緒になりました。
いくつになっても、私はこうしてはしゃいだりバカみたいに泣いたりしていいんだ。
そう思ったら涙が溢れて止まりませんでした。
ボートを降りた後、キャストさんが私たちにむけてかけてくれた一言も、深く心に突き刺さって尚更泣いてしまいました。
その時のことを綴っている今でも思い出して涙が出てしまいます。
『ピーター・パン2』が予感を確信に変える瞬間
後日、『ピーター・パン2』を観ました。
第二次世界大戦中のロンドン、ウェンディの娘ジェーンが空襲の激しい夜に「ピーター・パンは存在しない」と言い放つところから物語は始まります。
ピーター・パン2を未視聴のファンの方はこの一文だけで大きなショックを受けると思います。
私も食べていた玉こんにゃくを膝の上に落としてしまいました。
戦時中に二児の母になってもピーター・パンの存在を信じているウェンディとは裏腹に、常に手帳にToDoリストをしたためて現実を生きるジェーンの姿はあまりにアダルトチルドレン然としすぎていて、心が痛みます。
もっと子供らしくして良いんだよ、と言いたくなりますが、本人だって好きでそうしているわけではないし、本当は何も考えず外を走り回って遊びたい年頃のはずです。
親が毒親じゃなくても育つ環境が悪ければアダルトチルドレンになってしまうという典型的な例になっていると思います。
(アダルトチルドレン当事者の中には学校での苦しい経験や塾の先生による卑劣な扱いでトラウマを抱える人もいます。)
本作では変わらぬ姿のピーター・パンとネバーランドを旅するうちにジェーンの考え方も変わっていきます。
それはまさに私が『ネバーランドアドベンチャー』でした経験であり、インナーチャイルドの癒し体験であることに違いないのでした。
そして最後のシーンでは、『ピーター・パン』『ネバーランドアドベンチャー』『ピーター・パン2』で感じたこと全てが確信に変わり、
私は周回遅れの人生を満喫してやるんだと強く決意しました。
いまや私のインナーチャイルドはプリンセスの冠と戦隊ヒーローのベルトとピーターパンの短剣を持った重装備でめちゃくちゃに胸を張っています。
いいぞ、かわいいぞ、かっこいいぞ、頑張れ私。
さいごに
以下、大変個人的な見解が続きますのでご注意ください。
アダルトチルドレンに関連した用語として「ピーターパン症候群」というものがあります。
これは成長を拒む大人を指す言葉で「年齢に対して成長が伴なわない未熟な状態」を示すことが多いようです。
「ピーターパン症候群」が提唱されたのは1983年、「ピーター・パン2』は2002年公開。2の公開はこの言葉が生まれたかなり後ということになります。
アダルトチルドレンもピーターパン症候群も、困難から逃げてきたモラトリアムの結果であり自己責任であるかのように言われることが多いのですが、むしろそうした人たちに必要なのは、子供の頃にしたかったことを思いっきりさせてあげることなのだと思います。
『ピーター・パン2』はピーターパン症候群予備軍である子供をピーターパン自身が救う物語であり、『ネバーランドアドベンチャー』はピーターパン症候群と言われてしまうような大人たちを、今一度ピーターパンが救いにきたような体験だと思うのです。
私には子供がいないのですが、今の子供たちにも、かつて子供になりきれなかった子供たちにも、すっかり成熟した大人たちにも、多くの人たちに素晴らしい経験を与えてくれる素敵な体験だと思います。
ありがとう、ピーターパン。
考えてみよう、楽しいことを。
ウェンディのような気持ちで明日からまた頑張って生きていこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【関連情報】
ネバーランドアドベンチャーに関する公式ページ(なぜか埋め込みできない)
https://www.tokyodisneyresort.jp/tds/attraction/detail/257/
【関連note】
成人してから初めてトゥーンタウンが大好きになった話
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