ポックリ死ぬためのダイエット
私は幾度となくダイエットに失敗している。
厳密に言えばダイエットに成功してはリバウンドしてを繰り返している。
目標のところまで痩せたらゴールテープを切ったように満足して、これまでの鬱憤を晴らすように食べては寝て、元の生活に戻ってしまう。
ダイエットは基本的に苦痛だ。
牛脂を食べるくらい脂質が好きな私は低脂質なものを選ぶ生活が辛いし、友達との外食にも罪悪感がつきまとう。
自分で痩せたくて始めたダイエットでも「いつまでこんなことしなきゃならないんだよ!」と誰にもぶつけられない苛立ちや腹立たしさが隠せなくなる。
美しくなりたいというモチベーションで始めるものの、
私が痩せたからって何なの?
誰かが喜ぶの?そんな訳なくない?
そう思って急ブレーキがかかってしまう。
結果、痩せたとしても達成感よりもしんどかった想いやまた太ってしまうという恐怖感が勝つ。
そもそも、私は基本的にいつでも死にたい。
普通のことが普通にできない苦しみや、ありふれた悩みをずっと手放せない不器用さに嫌気がさしている。
生きてるからって何なの?こんな苦しんでまで生きてる意味なくね?
心からそう思った時、死ねばよくない?と思う。
しかし、人に迷惑をかけすに死ぬというこだわりの強さから成功した試しがなく、結局今もこうして息をしてしまっている。
心が回復してくると欲が出る。
良いものを食べたい、素敵なものを見たい、着飾って出かけたい。
そのうち手に入らないもののことを考えては病んでしまう。
努力と疲労の割に手に入れた現実が想像よりもみすぼらしかった時、「意味ねぇー」と思う。
欲が出ては鬱になり、鬱が軽快すればまた欲が出て、という負のループである。
話は変わるが、私は看護師だった。
8年間病棟やら外来やらで働いて、人の死に際に遭ったのは1度だけだ。
しかし、死にそうになりながら生きている人を沢山見てきた。
それは素晴らしいことである一方残酷なことだった。
「こんなになるまで生きるつもりはなかった」
「こうなる前に死ねると思ってた」
そんな言葉を患者さんの口から何度も聞いて、未来が怖くなった。
私は思った。
健康とは自分の未来を決める権利なのではないか。
不健康とは道が閉ざされていく有様なのではないか。
心身ともに健康でなければできないことは沢山ある。
若いうちにやっておけ、と言われる経験の多くは、不健康であれば縁が切れていく。
だから、自己実現や美容のためだけでなく、できるだけ多くのことを自分の手でできるように保つために、出来るだけピンピンしていたいと思った。
痩せたら死にたくなくなるわけではない。
私の生きづらさは痩せたくらいで変わらない。
だけど、いつでも悔いなくポックリ死ねるように、私はダイエットを続けることにした。
死にたくなったらスクワット。
太ももの乳酸が素敵な未来に導いてくれることを信じて。
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