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朝日のような夕日をつれて2024
この作品を見るのは初めてだった。高校の演劇部で、当時、鴻上尚史氏率いる第三舞台の台本は身近な存在だった。この作品のセリフを先輩がかっこよく叫んでいた。意味がわからなかったのでほとんど覚えていない。先輩は「たぶんほとんど意味ねーよ」と言い、それを聞いて私は「わからん!カッコいい!」と目をキラキラさせていた。内容はなにも覚えていない。でも「朝日のような夕日をつれて」というタイトルと、太極拳のようなダンス、詩はなんとなくイメージとして残っていた。タイトルの文字列を見るだけで懐かしさが溢れた。「今なら何かわかるかも」という期待もあり、「光る君へ」の道兼役で玉置玲央さんのファンになったこともあり、とにかく観てみたかった。17歳の頃にかすった作品を、当時の仲間と、34歳の今になって初めて「観た」。観劇後の感想は、「わからん」「あの良席であれほどわからんのだから、あれが『わかる』の最大値」「役者の体力が凄すぎる」「玉置さんとにかくかっこいい」「わからん」だった。
倒産寸前のおもちゃ会社「立花トーイ」を立て直すべく、アイデア出しをするウラヤマ部長とエスカワ社長。子供のように無邪気に遊ぶ2人。途中、巨大化するドッジボールやフラフープは、「夢」を見させられている感覚に。その後、大喜利が続き、もしかして「暇つぶし」を見せられているのか?という疑念に変わる。やがて2人は、誰かを待っていたことを思い出す。
少年が来て、「ゴドーさんは来ませんよ」と言う。「ゴドーを待ちながら」という演劇はあまりにも有名なので説明は省くが、一般的には「ゴドー」は神、救済、希望などを表すと言われている。そのため、ウラヤマ部長とエスカワ社長は「救済」を求めていると解釈した。
その後、2人のゴドーが現れ、お互いを偽者だと罵り合う。2人は立花トーイの研究員・マーケッターでもある。2人のゴドーは、マルチ商法、新興宗教、マッチングアプリ、ぼっちの会、2.5次元舞台などなど様々な「救済」をサジェストしてくる。しかし、そのどれもが空虚で、虚構である。(それでいて誰かにとっての「本物の救済」でもある…)
立花トーイの起死回生を狙って、「AIによる寄り添い」を売りにした仮想現実空間でのゲームを開発する。どうやらこのゲームは社長の娘「みよこ」のために開発したものらしい。「みよこ」は俺のものだと主張し合う4人の男。
途中のセリフで、コンピュータとDNAの類似性が繰り返される。
2種類で全てを表現するコンピュータ
→虚構である2人のゴドー
4種類で全てを表現する「DNA」
→人間味がある4人。そこには2人のゴドー(AI的なもの)も含まれているのかなぁと解釈した(わからん)。
実体として登場しないみよこ。少年が「みよこさんは来ませんよ」と言う。みよこ自身が「虚構の寄り添いマシーン(=AI的な存在)」となって、「救済」として男たちに消費されていたのだろうか。そんなみよこがAIによる虚構の寄り添いに癒され、バーチャルソウルメイトの出現に絶望し、希望を持って輪廻転生へ…??(わからん)
医者の場面で、主体と客体、あちらとこちらがコロコロ入れ替えられた。この場面が「演出装置」として機能し、みよこの存在がより曖昧になった感覚があった。みよこは実体のある人間なのか?もしかして仮想世界の人格なのか?
みよこがシンギュラリティを起こして自死を選んだバーチャル人格だと考えた場合、より切なく、自分に寄せて悲しみを感じるのはなぜだろう???(わからん)
朝日のような夕日をつれて
僕は立ち続ける
つなぎあうこともなく
流れあうこともなく
きらめく恒星のように
立ち続けることは苦しいから
立ち続けることは楽しいから
朝日のような夕日をつれて
ぼくはひとり
ひとりでは耐えられないから
ひとりでは何もできないから
ひとりであることを認めあうことは
たくさんの人と手をつなぐことだから
たくさんの人と手をつなぐことは
とても悲しいことだから
朝日のような夕日をつれて
冬空の流星のように
ぼくは ひとり
冒頭のユニゾンでは、相反するモチーフを並べて繰り返し語る。「相反するものは、お互いがお互いを内包しているんだよ、あるいは、表裏一体なんだよ」と語られているような気分になってくる。虚構、仮想現実、現実、人間、AI、救済、どん底、暇つぶし、人生つぶし、、、、
わからん。わかりたい。わかったかも?わからんて……。。。
でもこの感覚こそが、体験の価値だなぁと思う。「人間は17歳の時の感性に回帰するんだと…17歳の時に愛した文化に残りの人生は支えられるんだと。ゾッとする話じゃないか」という作中のセリフに、自分のことを言われてるみたいで本当にゾッとした。台風で諦めなくてよかった。すご〜くよかった!!!