気持ちだけでは如何ともし難い
よしよし、昨日の宣言通り今日は仕事を休めたぞ。
朝になったら絶っっっ対、「休まないでも頑張れば出勤できるのでは…?」とか決意が揺らぐと思ったので昨夜決意表明をしていて良かったなと思う。
休んで思うけど、これ、私が正社員だから”気持ち”さえあれば休めるんだよなぁとしみじみ思った。
バイトや派遣社員で出勤しないとそもそも賃金にならないのなら今日の選択ができたかとても怪しい。
気持ちの変化があったとしても現職がコンビニバイトだったら休まなかったろうなと思う。
こんだけ物価上がって1000円以下の賃金で生活なんてできねーのよ
(私の9年前のコンビニバイト時代は時給650円だった。当時ですら実家暮らしじゃないと生きてけねぇよ…)
やはりというか、さもありなんと言えばいいのか、この世というもの、”個人の努力”、”気持ちの持ちよう”でどうにもならんこともたんまりある。
気持ちで麻痺がなくなったりしないし、切断した足は生えないし、線維化した肺はそのままだし、完全損傷した神経は再生しないし、難治性の病気がスパッと治ったりもしない。
生まれる家庭や地域、国、宗教……一定の年齢になるまで生育環境も選べない。
いや、いくつになろうとも自分が生きる場所を、生きやすさの選択をできない環境に置かれる人もいる。
性別だってそうと選んで生まれてきたわけじゃない。なりたい性別、もしくは性別二元論以外を選択することも全員ができるわけじゃない。
ただ生きていただけで、どうして殺されなくちゃならないんだ。
様々な環境の変化によって、「しんどい時は仕事休もうぜ」と思う私とそれを実行できる私がいるわけだが、そういう私が今ここに在るのは、ただ強運なだっただけと思う。
ぶつくさ考えているとなんだかなーなんでこんな不平等、不公平なんだろうかと思う。
不平等を温存しているのは君自身でしょ、と言われればその通りで……
「普通」の定義って色々あるけど、こと仕事に関しては日本社会全体が1日8時間×週5日働ける人間を基準としているでしょう。しかも遅刻はなく突発休もほとんどとらない人間を。
もっと短時間でも成果を出せばそんなに働かなくても良い仕事もあるんだろうけど、そもそもなんでそんなに「労働」というものに努力させられなければならないんだ?
生産性?なに????はぁ???????存在しているだけで十分だよ!
(存在しているだけでは気力体力ありあまり労働そのものが趣味の人はどんどん労働を楽しんでいただいてとも思う。皮肉ではなくマジで、そういう人もいるもんね)
これぜってー”個人の気持ち”の問題じゃないじゃんね
…とか威勢よく文章にはできるけど、実生活の私は、自分も含めて労働者には”ちゃんと”して欲しいとか思ってんだから困ったもんだ
そこはやっぱ私の気持ちを変えるところだなと思う。
結局なにを言わんとしていたのか不明の文章になった。
日本どころか世界情勢が不安過ぎるおかげだね……
社会を変える一つの方法として私自身が変わる必要があるのはその通りなんだけど、社会…というより国家かな?の方から私の人生を捻じ曲げにやってきたらどうにも太刀打ちできないよなぁ……
あ、そうか、私が占いやコーチングの無力感を感じることがある要因は
「あなたの感じ方ががどうとか言うけどさ、国家が”私”を殺しに(それは心だけかもしれないが)来たらどんな心持だろうと押しつぶされるよね…」と思っているからだな
国家は暴力装置であるってのはまさにそうなのだと思う昨今である。
生き延びたいけど、不平等のままに誰かを押しのけて生き続けることに果たして後悔しないのか…て不安はずっとあるね……
よく分からんまま終わる。
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