見出し画像

他人の感情なんて受け取れませんよ!

昨日の記事の続きのようなもの。

結論から書くと

自分の感情を認めてもらってないのに他人の感情なんて認めてらんないんだよ!!!

だと思う。
(「受け取る」から「認める」にすり替わってるて?まぁ読んでってみてよ…長いわ……)

ここで問いを一つ。
他人の感情を受け取る必要があるか?
「いいやない」と私は答えるだろう。
そもそも私が相手の感情だと思ったものは”私”というフィルターを通し、私が解釈したものなので、言い換えれば「相手の様子から私が感じた”私の”感情」であり相手自身の感情ではない。

だからこそ、コーチングの場(それ以外もだが)ではクライアント自身にこそ自分の感情を理解し解体してもらえるような(自分を真に理解するのは”自分”のみだと思うから)問いやI Messageが必要だし、「あくまでこれはコーチ(私)が受けた印象ですが…」という文句が大切だと思う。

どうやたって混じりあわない”自分以外の人間”を勝手に解釈するな。
受け取るのではなく、その感情がある事実を事実として認めるだけでいいんだ。

……と、私は私に強く言い聞かせている。

なぜかと言えば、私は言外の気持ちを勝手に私の「非難」として受け取り勝手に傷つくからである。
想像だけでだいぶ傷つく。その癖が一番ひどかった頃は私自身が生きていること自体間違いではないか…ぐらいには感じていた。
(私へ、辛かったね……)

ここまで書いていて思ったが、そうか私は、他人が私を「非難」していると感じた時だけ相手の感情にフォーカスを当てているかもしれない。

私自身の感情も私を「非難」する感情はよく見つけることができる。(ダメなヤツだなとか、馬鹿なことをするなとか、もっとちゃんとしろとか…感情ってか誰かのセリフっぽいな?)

私にとって「非難」を感じる言葉は、悲しいとか不安とか怒っているとかどうしようもないと考えている…とかそんな感じのもの。
逆に嬉しいとか、楽しいとか不思議に思っているとかそういう感情にはアンテナが立たず好奇心もわかないので「ふーんそうなんですね」とスルーすることが多い。
そこにクライアントの「いまここ」や真の願い、「今」聴いて欲しかったんです!てのがあったりするだろうに…

あ、あと、特に嬉しいとか楽しい、ワクワクする、好き!、スゴくない!?とか目をキラキラさせるような感情(私のイメージ)の存在を認められないというか、あえて感じないようにしているきらいがあると気づいた。

たぶん、私自身が慣れていない感情たちだからだ。
自分を否定するとか非難することは慣れているのに、自分自身に「そっか!楽しかったんだね!」と声をかけることにものすごーーーーーーーーーーーーーーーーーく抵抗がある。(途中で、「私へ、辛かったね…」と書いたが、自分を労うのにも非常に抵抗がある。から、あえて書いている。)
え?それ言っていいやつ…??となぜか不安になっている”私”が見えるな…
いったい私は誰の気持ちから自分を見ようとしているんだ?

うーん、そもそも否定とか非難てそれ私の気持ちなんか?
非難されて怖かったとか悲しかったとか怒ったとか…それこそ私の”感情”ではないのか?

私よ、君は「非難する側の気持ち」を「私の気持ち」だと勘違いしていないか?

「私に優しくしたい」と思い始めているのだから、非難する言葉に斬られる前に斬り捨ててったらいいのか?
うーん、違うかぁ…もうなんか自分の沸き起こる感情と闘って負けじとシャンとするのも疲れているんだよな…
世間に後ろ指さされない形に私自身をはめ込もうとするのに疲れてんだよね……
誰にも迷惑かけずテキパキと失敗なく人当たりよく怖気づかずなんでもこなす…そういう人間にならないといけないと思ってたけど、もうさぁそういうフリをするのもそうなることを目指すのも疲れちゃったよね

限界来たんスよ 
疲労困憊っスよ
よくやってきました、自分👏👏👏👏👏👏👏

認めようぜ私、君はテキパキと怖いものなく何かできる人間じゃないよ
怖いものがいっぱいあって出来ないこともたくさんある。天賦の才はもちろんなく手先は不器用だし、勉強だってそこそこ、取り繕っているだけで会話するのも苦手でしょう
でもさぁ、できることだってあるじゃん
「こんなんじゃ駄目だ」って思ってがむしゃらにやってきたことがあるからこそ生き続けていられたんでしょう?
自分にないものや足りないものを見るのをいったん止めよう
今、私自身が持っているもの愛でる時ではないか
それは感情だってそうだ。
私は何が好きで楽しいと感じる?どんなことでワクワクする?それがなきゃ創作活動なんて続けてこなかったでしょう。
知ってるはずなんだよ自分の感情を
あとは認めてあげるだけだよ
今の自分が好きだって言っていいんだよ

そうしたら他人の感情だって強張らずに見つめることができる。
何かの型にはまるために、それこそ「非難」されないために頑張るのを止める時が来たんだよ。


んあーーここまでたどり着くのに時間がかかった!!
noteに向かっている時間は4時間ほどだが、朝から悶々と「感情」について考え続けていたので実質丸1日分の時間をかけた気がする。
それだけ私が私の感情に降りていくのは時間がかかるんだよな…
1回のコーチングのそれもトライポットの15分でここまでは行かれんはなぁ…
見えないブロック多すぎ問題……


思ったんだけど、私がコーチやっていて疲れてきたのって会話に集中し続けることかもな~~
noteとか書いてるとよく分かるけど、決めたテーマからどんどんそれて別のこと考え始めちゃう癖が私にはある。時にはめちゃくちゃ飛躍をしてしまう。(公開する前にあんまりにも関係ないことは消すけどね)
「集中しなきゃ」の自分を手放してコーチングやったらあまりうまくいかなかったので、集中はしないとかなぁ…
いや?集中というより好奇心を保持しておくことかもな?
私は興味対象が 
自分>>>>>他人 
なもんで好奇心を保持しておくって結構難しいのかもな
でも「ちゃんとしなきゃ」て思っているから無理やり集中してコーチングを継続していると気づけば疲れている…のかも

最近、私は誰にどんなコーチングを提供したいんだろう?そもそもセルフコーチング目的以外のコーチングを続ける気があるんだろうか???
と悩むようになったのも疲れを自覚してきたからだと思う。
他人への興味か…あるときゃめっちゃあるんだけど…瞬間風速的に消えてしまうこともあり……興味あるフリをしていると疲労してくるし…

自分の感情を認めらるようになれば他人の感情を認めやすくなり、その構造(どうしてそう思うのか)が知りたくなれば好奇心が持続するか!?
という仮説検証が必要…てか実験したい!
ので、相互セッションでがっつりBe withやりたい。
完全に私得にしかならないでの、相手が見つかるか分からないが趣旨に賛同してくれそうな人を探そう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?