最近のこと ”ジャッジ”について
本職しながらコーチングするってマジで休みがないな…とヘロヘロになってきたところですこんばんは。
それはさておき、私にとって”ジャッジ・評価されること”について
今日はクライアントとしてのコーチング
仕事や趣味などなにがしかの評価をされた後に、よく「言い訳する私」がでてくる話をしていた。
名を「いいわけさん」というサブパだ。
「いいわけさん」は何を言っているかというと「●●という原因があったんだから私は悪くないよね!?」である。
それを本体の私に聞き入れてもらいたいが、本体が聞く耳を持たないので数十分~数時間にかけて頭の中でずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと言い訳となる文言をわんわわわん
コーチから
「悪くないよ、といわれたら何を感じますか?」
と問いを投げられた瞬間
その「いいわけさん」が急におとなしくなり、本当に悪くない?とこちら(本体の私)を見てくるのが分かった。
言い訳が頭を駆け巡っている中、本体の私は常に「私が悪いのだから言い訳するな」とどうにか「いいわけさん」の口をふさごうとしていた。
なぜそんなことが起こるのか
どうやら私のある思い込みが関係しているようだ
私にとって”ジャッジ・評価される”ことは=”お前には悪い部分がある”、と言い当てられてしまうこと
もしくは、悪いところ(不都合なところ?)に焦点を当てられてしまうこと
さらに深ぼっていけば「お前は悪い子だ」と言われている感覚が襲ってくるのだ。
ジャッジ・評価された瞬間、相手にそのつもりがなくても「悪い子だと言われた!私は悪い子なんだ…」という気持ちと
「でもこれは●●という理由があって、悪いことをしようとしたんじゃなくてしょうがなかったんだよ!私は悪くないんだよ!」とその気持ちに対抗したい気持ちも強く現れてくる
その言い訳を否定すること=悪い子だと思い続けることが正しいことだ、そう思い込むべきだ。なぜなら私は悪い子なんだから……
そんなことを考えている本体の私に対して
「本当は悪くなんて思ってなかった!その声も聴いてよ!!!!!」
と言っているのが「いいわけさん」なんだろうな
全ての言い訳を鎮めようとする結果、逆に言い訳の声が大きくなる。
そりゃ「悪い子じゃない!」って自分自身に認めてほしいわけだしね。
事実としてジャッジ・評価した人たちは評価内容を口にしただけで、「だからお前は悪いんだ」とは誰もいっておらず、私が評価内容を受け取る際に想像で付け加えているだけなんだよな。
つまり私が私自身を「悪い子だ」と思い込んでいるだけなんだよ。
きみきみ、書いておくが
きみは悪くないんだよ
悪い子なんかじゃなかったよ
もう知っているでしょう?
そう思い込むようになった過程に、子どものころに「言い訳」をちゃんと聞いてもらえなかったことがあるんだろうな~~と思う。
思い起こせば「言い訳するな」ってよく言われてたしね
言い訳したかった子どもの私には、その正当な理由や感情があったんだろうね~~~~~
自己対話することでしか私は救われないのだ、という勘はどうにも当たっているようである。
自己理解オタクの道をゆっくり進もう……
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?