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予算0円で反応経路探索(AFIR)を実装する:①モチベーション


1. はじめに

先月来の記事で、OMat24という新たなニューラルネットワークポテンシャル力場に対し、その能力がどれほどのものか、幾つかの意地悪な(何しろ、学習データになさそうなケースばかりを試してきましたから)例で調査してきました。結論としてこの力場は、勿論その正確性を手放しで学界が受け入れるには時間と検証と改善を要するであろう(これこそが学界の存在意義の一つとしても過言ではありません)ものの、ひとまず実験化学者が初手として打つのに魅力的な特長を数多く持ち合わせている、と言わざるを得ないと考えるに至りました(私のように、趣味として材料化学を学ぶ者にとってはPS5をタダで配給されるに等しいプレゼントでした)。

当方の過去記事より引用。クルチウス転位に関する反応経路探索(NEB)の結果をOMat24とPFP(PreFerred Potential)とで比較した例。


同じく当方の過去記事より引用。Rh表面におけるNOの解離反応に関するNEB計算結果をOMat24とPFPで比較したもの。

特に上記の例が示すように、当力場をもとにした反応経路探索(NEB)の結果に、ある程度の(毎度恐縮ですが、このある程度、という用語にはかなりの多義性を含むこととします)妥当性を有する物理化学的情報が期待される、という点に至っては、この力場の登場は材料化学にとってある種の歴史的転換点であると感ぜざるを得ません。この凄味は、当力場が無償であるという点に集約されています(AlphaFold2がタンパク質にとってそうであるように、この手の力場は化学にとってのロゼッタストーンとして機能していくのでしょう)。

ことここに至っては、OMat24を単に検証するという立場を離れて、いよいよ未知の研究に乗り出そうという気持ちがわいてきました。そこで手を出したのが「予算0円でAFIRを用いた自動反応経路探索手法を実装する」という新たなる研究テーマです。

2. モチベーション

2-1 反応経路探索法ならNEBがあるじゃない?

さてここからは、どうしてそんなテーマに手を出すのか、というモチベーションの話に移ります。タイトルに記載したように(というか直前の記事2本がまさにそうであったように)、ミクロな系における反応経路探索手法として我々はNEB(Nudged-Elastic-Band)法を保有しています。この手法は、はじめに反応の始状態(IS)と終状態(FS)を入力して

国家錬金術師なら気づいて当然。

そう、NEBって終状態を作る必要があるんです。もちろん、原理的にそうならざるを得ないという事情は分かります。でも実験屋からしたら「入れたものが何になるかわかってる系」じゃないと使えない、と言われると、計算をやることに対するモチベーションは下がることが多いです。不均一触媒反応であれば、元の触媒材料に対して何某か別の元素を添加したとき、反応がどう変わるかが見たい。でも別の元素を添加する以上、はじめに仮定していたISとFSは(たとえそれが元の系については分かっていたとしても)今後も妥当であるとは限らない。もしかしたら、元々とは異なる終状態により落ちやすくなるかもしれない。さあどうしたものか? というのが、自動反応経路探索という手法を開発するモチベーションの一つです。

2-2 FSが分からないならMD(分子動力学シミュレーション)を回せばいいじゃない?

分子動力学シミュレーションは、与えられた力場のもとで系をしばらくなすがままとし、何が起こるかを観察するという手法です。終状態(FS)が分からないのであれば、始状態(IS)を仮定して放っておこう。そうしたらいつか何等かの反応が起こるし、それはこの系におけるもっともらしい反応であるはずだ、と考える方はいるかもしれません。しかし、MDで反応解析を行うというアイデアは確率論的に厳しい問題を抱えています。

というのも、我々が普段経験する化学反応というのは、少なくとも10^23個スケールの分子同士の間で、秒~時間スケールの観察時間の中で起こるものであるためです。一方で、これまで行ってきた原子シミュレーションはせいぜい数百個の原子を、数ナノ秒のスケールで観察することしかできません。すなわち、反応が観察できる確率が、現実系に比して天文学的に少ないのです。

2-3 我々が欲しい手法

ということで、実験化学者が求める反応経路探索手法というのは大まかに以下の2点を併せ持つ必要があります。

  • FSが未知でも、系に対して起こりうる反応とその経路を計算できること

  • 現実的な計算時間で収まること

3. AFIR法(次回の内容)

これらを充たす手法としてここ数年注目を集めているのが、AFIR法です。次回は、AFIR法の原理について説明を進めてまいります。

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