社会的臨死と思うこと
あ、と言う間もなく2年以上が経ち、大学院の頃の記憶の色が抜けようとしている。
1年間の放浪の末、どこかの小さい会社に就職し、事務として生きている現実をあの頃は考えもしなかっただろう。
その間、アルバイトで働いていた雑貨屋が倒産し、それも事前連絡もない唐突な倒れ方だったので後始末が大変だった。
あの時、一緒に働いていたSさんは元気だろうか。猫を具現化したような人で、愛想があるように見えるのに深入りさせない冷たさもあった。
まさか自分が結婚するとは思わなかったと自分で笑いながら、器用に生きていた彼女と、店舗をクローズしながら最後にしっかりと話せてよかったと今でも思う。
店舗に置き去りにしてきた在庫の観葉植物は、どうなったのだろう。水をたっぷりと与え、段ボールの蓋を閉めきらずに、早く引き取ってもらえるように願いながら。
売掛金とか、不渡とか、債権債務とか、そこられへんの類で在庫には手を出さない。当たり前だ。だけど、あの店舗で世話をしていた植物が、暗い段ボール箱の中で枯れていくのは辛かった。
今働いている職場は、昭和の時代のように男女という区別が差別とないまぜになっている。
ここではわたしの知識は役に立たない。小説もみんな読まないし、学歴も関係ない。むしろ女枠でいるようなものだと感じる。傷つくことも多く、面白いと思う瞬間もある。だから拾ってくれた事に感謝しつつ、静かに去りたい。
社会的にあの1年は死んでいたし、わたし自身の内奥も死んでいた。今感じる感情も、明るさも、あの時には感じられず真っ暗だった。
今があるからこそ、臨死体験のような非日常のふわふわした感覚で、しかししっかりと傷として残っている。触れても以前よりは痛くないほどに。
HSPという言葉を知った。そのまま自分だった。繊細であることは罪ではないと強く思う。
子どもの頃の内気さと繊細さを揶揄われてきたが、小学校時代の先生がその繊細さを芸術として昇華できることを教えてくれた。
それは原点となり、支えとなって、倒れて、また戻ってきている。焦らず、じりじりと進み、世界を構築する為に使えるものは使っていく。