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ぼくには なにもない

カメラに助けられた。10代の頃、学校にも社会にも居場所を見つけられない時に、カメラに助けられた。
レンズ越しに見える”世界”と初めて接点が持てるように感じた。
カメラ屋さんでバイトを始め学費を稼ぎ、芸大の写真学部に通ってどっぷり写真に陶酔した。

日々の移ろいの中に「美しさ」と「光」を求めて過ごすようになり、いつしか自分自身の心の移ろいを写真で表現するようになった。
私にとってレンズ越しに見える”世界”とは「窓」であり、「鏡」だった。

“その写真は「窓か鏡か」”

MoMAの写真部門キュレーターをしていたジョン・シャーカフスキーの有名な言葉になる。

写真における「窓か鏡か」とは?

写真における「窓」という行為

写真における「窓」とは、ざっくり言うと新しいものや珍しいものなど見せたい世界を見せる行為だ。窓枠に囲んだ限定された場所を見るという行為を写真に課せているという方法になる。
日常の延長という意味では、美しい夕焼け、雲海風景、秘境の土地の景色、肉眼では捉えられない星の写真など。社会的な意味では、一般的でない特定の現場や隠れた社会の実情などが含まれる。
多くの人が一目ですごいと思ってしまうような写真は、大抵この「窓」の機能を使っている。

https://at-leica.com/shooting/window_mirror/

写真における「鏡」という行為

一方「鏡」はというと、自分の心情や心理描写、心の揺れ動きを映しとるタイプだ。
被写体の関係性、時代性から見えてくる意味、写真として記録される文脈、対象の表情から想起されるイメージなど。
「窓」とは対照的に、一見して特別な被写体が写っていなくとも「鏡」の写真は読み解いていけば深い景色を広げてくれる。

https://at-leica.com/shooting/window_mirror/


あれから、14年ほど経って
あの頃のように夢中になれるものもなく、
時間だけが流れて、老いていく感覚。

「居場所がない」

あの時の気持ちがフラッシュバックした。
その時にたまたま見つけた本がこちら。(amazon prime会員は無料で読めます - 2024年6月現在)

夜風に吹かれながら、田んぼの畦道で虫の音色を聞きながら、大事なことをわすれていたとハッとした🍃

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