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《ひとつしかない祖国のために》朝鮮戦争の英雄 李寿福(リ・スボク)

先日のnote記事では朝鮮戦争の《1211高地》の逸話とスローガンへの転用について書いた。

記事中では高地防衛の戦いで犠牲となった李寿福(리수복 リ・スボク)英雄について取り上げた。今回は彼に纏わる逸話をもう少しだけ紹介する。

李寿福の生涯

彼は1932年4月12日に現在の平安南道順川で生まれた。順川小学校、順川中学校、そして順川高級中学校を卒業。1950年7月に朝鮮人民軍へ入隊した。
朝鮮戦争の膠着する東部戦線(江原道金剛郡)において最も苛烈な戦いであったと言われる《1211高地》防衛の戦いで、彼は高地奪還のための血路を拓く突撃隊として敵の火口を己の身体でふさぎ友軍を反撃へと導いた。
1951年10月30日、戦死。18才だった。

共和国英雄称号を授与

彼の死後、1952年4月に共和国英雄の称号を授与され、遺骸は平壌郊外にある愛国烈士稜に安置された。
彼の故郷の順川(スンチョン)は石灰や石炭を多く産出するとともにセメント工場、ビニロン工場と同敷地内の火力発電所を擁する。そして2020年には順川リン酸肥料工場が竣工した。まさしく鉱業と化学工業の街だ。
順川出身の李寿福の功績を讃え、同市内にある化学工業の専門学校は1987年に李寿福順川化学専門学校として改称された。地域の住所にも寿福洞として名前が冠された。

(写真)2020年5月、順川リン肥料工場竣工式のテープカット

詩《一つしかない祖国のために》

李寿福英雄が残した詩がある。
《1211高地》の戦いの前日に彼が手帳に書き残したものだ。

나는 해방된 조선의 청년이다
私は解放された朝鮮の青年だ

생명도 귀중하다
生命も貴重だ

찬란한 래일의 희망도 귀중하다
燦爛たる明日の希望も貴重だ

그러나 나의 생명, 나의 희망, 나의 행복
しかし私の生命、私の希望、私の幸せ

그것은 조국의 운명보다 귀중치 않다
それは祖国の運命より貴重ではない

하나밖에 없는 조국을 위하여
ひとつしかない祖国のために

둘도 없는 목숨이지만
ふたつもない生命だけれど

나의 청춘을 바치는것처럼
私の青春を捧げることのように

그렇게 고귀한 생명, 아름다운 희망
そのように高貴なる生命、美しい希望

위대한 행복이 또 어디 있으랴
偉大なる幸福がどこにあろうか

彼の詩を高く評価した金正日総書記の指示によりチョ・ギョンジュンが作曲し歌謡となった。

ある日、朝鮮人民軍の一部隊を現地指導した金正日総書記は李寿福英雄の勇姿を描いた絵画を見ながら以前より創作家(作曲家)たちに出していた課題、李寿福英雄の誌に曲をつけることがまだ未達であると語った。
人民軍協奏団からは曲が提出されたものの出来栄えは満足のいくものではなく総書記によって否決されていた。
功勲国家合唱団の作曲家チョ・ギョンジュンは自責と使命感に駆られ「歌謡創作戦闘」を繰り広げた。
総書記の「歌謡を三部形式で作曲しなければならない」という教示は彼を鼓舞し英雄の高貴な精神世界を表現し格調高い曲の創作に成功した。

(写真)李寿福の勇姿と歌謡をモチーフとした記念切手

現代にも受け継がれる「英雄精神」

前回のnote記事でも紹介した通り、朝鮮では経済建設を戦闘に例える。現代でも《1211高地》を「必ず達成すべき目標」という意味でスローガンとして掲げ、祖国に尽くした朝鮮戦争の英雄たちを見習おうとする運動を繰り広げる。
我々は今後も新聞の社説で、建設現場のスローガンで、会議の討論で、《1211高地》の戦いと朝鮮戦争で功績を残した戦士たちの「英雄精神」を目にすることができるであろう。

(写真)咸鏡北道端川市の発電所建設現場内の直観扇動(スローガン掲示物)、労働者を鼓舞するスローガンとして李寿福の詩が書かれている

参考資料

우리민족강당 - 1211고지를 영원히 조국의 고지로

https://ournation-school.com/lecture/440
조선의 오늘 - 하나밖에 없는 조국을 위하여

https://dprktoday.com/news/46323

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李銀河(り・うな)
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