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声劇2021 声劇の台本作成の方法について

はじめに


この記事は以下の動画の配役の決め方を記録したものです。

声劇2021 "Dens eventyr, Die Ballade, An adventure"

指針

  1. 新メンバーを優先して主役に割り当てること

  2. 台本を古典作品メインで固めること

    1. 私が台本を書く動機として古典作品の啓発があったため

時系列は逆だが先に説明すべき部分。

タイトルについて

「声劇2021 "Dens eventyr, Die Ballade, An adventure"」

引用符内の単語の意味は「ある童話(デンマーク語)、あるバラード(ドイツ語)、ある冒険(英語)」、言葉はそれぞれの作品の出生地から。

「菌糸組合」

  1. ホームズからは一作は出したい

  2. 出すなら「赤毛組合」がきれいにまとまって使いやすい

  3. 新メンバーで「赤毛」に相当する外見を有するVは誰か?

  4. そのさんに決定

あとは流れで、
探偵:龍遊さん→声の力量がほぼ声優で長台詞に耐えられそうだから。
探偵助手:メイさん→違和感がないから
犯人:栄酒蔵さん→怪演に定評があるから
警部:アクセラさん→いい意味で平凡で落ち着いた声色だから

台本の流れもそのさんの外見(種族?)を指定して後は流れで「菌糸組合」に。
組合内の仕事はそのさんに「好きな棋士は」と聞いて「佐藤会長」との解答を得て動画のようになった。

なお、参加者に私が知っている限りでも二人シャーロキアンがいて、そこはちょっと緊張した(メイさんと栄酒蔵さん)。
また余談だが、台本で龍遊さんのしっぽの話を強めに書いたら龍遊さんがリアルしっぽで収録してきて驚いた(あとで効果音を入れる用に書いておいた)。

「藤井システムの弟子」

  1. 新メンバーと使いたい台本を眺める

  2. ゲーテのバラード『魔法使いの弟子』はぜひとも使いたい

  3. 帽子くん&まーちゃんさんと鹿角ほたるさんがどう見ても魔法使いなので配役はほぼ決定

  4. 「楽をしようとして失敗」「文句を忘れる」という原作の部分とほたるさん参加をみて「藤井システムの弟子」にタイトル決定

原作『魔法使いの弟子』はドイツでは慣用句になるぐらい有名で、ディズニーアニメ化もされていて、「西洋の教養」としてぜひ使いたかった。
しかし実際に『魔法使いの弟子―評釈・ゲーテのバラード名作集』を取り寄せてみると短くてなかなか難しい。
この辺は帽子くんと編集のぽやーじゅさんに助けられることになった。

「ブリ姫」

  1. 最後は知名度の高い童話が良い

  2. はまブリさん、ザキさんを主役に据えたかったので「人魚姫」を射程に入れる

  3. あとは流れで

改めて配役理由
人魚姫:はまブリさん→水と関係があって声質が安定している
王子:ザキさん→新メンバーかつ男性Vということで指名
隣国の姫:十六夜桜花さん→中性的でさっぱりした演技が期待できるので
人魚姫の姉:ラパニスさん→クライマックスシーンの演技力を期待して
魔法使い:栄酒蔵さん→怪しげな演技力ならこの人
ナレーター:ほたるさん→「藤井システムの弟子」だけではセリフ量が少ないのに気づき、お願いした

ブリ姫の台本について

この部分は章を独立させて構わないだろう。
さて、今回の台本は基本、各原作の個別の要素を将棋っぽく改変している。
ただし、唯一「ブリ姫」だけ原作の進行から逸脱している。

そもそも原作の進行はどうだったか?

原本が2パターンあるのである。

  1. 人魚姫は泡になって消えた

  2. 人魚姫は死後? 「大気の精」になった

さて、ここからアンデルセン研究の話になる。参考図書。
森 省二『アンデルセン童話の深層』筑摩書房 1998年

なぜ2パターンあるのか?

前掲書籍によればアンデルセンはまずパターン1で書き終えた後、パターン2を書き足したとされている。この部分は筆跡やペンの乾き具合、何より物語の構造によって判別できるとされている。

『人魚姫』の欠陥

パターン2の「大気の精」の伏線が一切ないことは前掲の森により指摘されている。そして当時のアンデルセンの心境を伺わせるもとのとして同時期に書き上げられた『しっかり者のスズの兵隊』という作品がある。
これらの情報を総合するとわかるのは

  1. 人魚姫はアンデルセン自身

  2. 陸とは都会であるパリ

  3. アンデルセンはパリの貴婦人に恋をするが「言葉がでなくて」恋を逃す

  4. 貴婦人が結婚をする

  5. アンデルセンは失意のままパリを去る

という史実がややストーカーじみた『しっかり者のスズの兵隊』と『人魚姫』を彼に書かせた動機なのである。彼は自身の失恋体験を童話にしたのである。でも君、声もかけてないよね?

さて、ここでアンデルセンはらしくない変節をする。
すでに完成していた『人魚姫』は人魚は泡になって死んでいた。これでは人魚姫は、いや”アンデルセン自身が”報われないのである。

という訳で急遽『人魚姫』はハッピーエンドに書き換えられるのだが、ここの評価は専門家の評価の通り「雑」につきる。

  1. 大気の精の事前説明がない

  2. また大気の精はクライマックスまで一切登場しない

  3. にも関わらずクライマックスで唐突に人魚姫は大気の精に「昇格」し、魂を得る

大気の精ってなんだよ」は素直に読むと必ず思う部分で、しかも「魂ってなんだよ」とクライマックスで疑問点を増やしてくる。
この点を突かれ、アンデルセン研究において『人魚姫』は未完の作品、あるいは「若さを感じさせる作品」となる。
これとは対になる晩年の作品『マッチ売りの少女』では、悲痛なクライマックスを変節することなく書ききっている。

どちらの底本を使うか?

要するに『人魚姫』は未完であり、前掲の2パターンどちらを使ってもアンデルセン研究としては不満が出る作りになっている。しかも今回は声劇台本であって、基本的に演者にはハッピーエンドを渡したいと考えていた。
なのでアンデルセンのヤケクソハッピーエンドに代わるなにかを作る必要があった。
というわけで注目したのは私自身の台本である。

  1. 恋愛云々を将棋に置き換えた関係で「愛される」が「強い想いを抱かれる」に変わっている

  2. 原作の人魚姫と違い、こちらの「人魚姫」は王子とすでに心を通わせている(将棋的な意味で)。なのでスマートな解決策は「喋れること」

というわけで魔法使いの魔法には期限があり、喋れることにした。
もちろん呪いは残ったわけだが、そこは原作と違い三人でこの呪いに対抗することとした。
以上の展開でも強引な感は否めないが、原作はもっと強引なのでアンデルセンのパロディとしては及第点と言えるだろう。

おわりに

声劇の脚本側として書くべき点は以上である。
最後に謝辞を。
参加してくださった演者のみなさま、編集に尽力してくださったぽやーじゅさん、そして視聴してくださったみなみなさま。
ありがとうございました。

このサムネもぽやーじゅさんが作ってくださいました