「祠を壊す」ミームに見る「迷信深い老人」はいるか?
2024年10月現在、日本では「祠を壊す」というミームが流行している。
もしあなたが祠を壊す話が大好きなら以下のまとめを見て、この記事を閉じるのをおすすめする。
ではこの記事をおすすめしたい人は誰かと言われれば、
上記のような物語をきっかけに祠や迷信に興味を持つ知的好奇心を持つ人である。
さて、こうした光景はいつなら起こるだろう。
「田舎なら今でもある?」 いやいや、現代でこうした光景は難しい。
そうなると安直に「明治時代ならどうか」「江戸時代ならあるんじゃないか」と古い時代を考えるのが人間だろう。
ではここで賭けをしてみよう。
「平安時代ならこういう祠と、そばに住む老人は見つかるか?」
もしあなたがYesと答えたならあなたは大きな損をすることだろう。
というのも、平安時代というとても古い時代においても人間はいかにも冷めていたからである。
以上は『小右記』、長和5年(西暦1015年)の記録である。
僧侶である深覚が祈りを捧げるというので、この僧侶の弟の藤原公季が不安に思った。「もし(祈りが)失敗すれば、笑いものになるのではないか」
さて、これに対して僧侶深覚は「人々のために試みに祈るのだ」と答えた……というのが衣川仁『神仏と中世人』の解釈である。
「祈りが失敗するのでは」という質問に「試しに祈るから大丈夫だ」と答えるのは豪胆というか、現代から見てもなかなか驚かされる宗教観である。
ここで深覚がなにを大丈夫と回答しているのかと言えば、祈りの成功ではなく「笑われるのでは」を打ち消しているというのも衣川の主張である。
ともかく、このお話でわかるのは「試しに祈る」なんてことが平安時代の貴族や僧侶の会話として一応存在したということである。
さて、もうひとつ事例を紹介しよう。
今度は「奇跡を上手いこと自身の功績にしようとする朝廷」のお話である。
大治5年(西暦1130年)6月以降、この期間は大変な日照りだったそうである。
この日照りに対処するために権大僧都信證(ごんのだいそうずしんしょう)に雨乞いを行うように鳥羽院より命令が下った。
そこで信證は7月14日から行うと返事をした所、雨乞いを始める前から大雨が降った。さて、これで日照りは解決、めでたしめでたし……とはいかない。
信證が雨乞いの中止を鳥羽院に申し出た所、
と一蹴されてしまう。「自然の少雨では駄目だ」という言い方はいかにも面白く、民を癒やす大雨は”朝廷の指示の結果、降らねばならない”という強い信念がうかがえる。
仕方なく信證が雨乞いを始めた所、その時にも雨が降ったそうである。
「結果を出せ」と迫る企業の上層部と現場のお話のようで、世知辛いお話である。
さて、以上のように「祈って失敗しても問題にならない」と語る僧侶と、日照りの後の「恵みの雨」をどうにかして自身の功績にしようと画策する鳥羽院の振る舞いから、現代人が想像するような「昔の時代の迷信深さ」は読み取れるだろうか?
平安時代にもこういう人々はいたのである。
なら仮に祠を壊して怒られるようなことがあれば、
「迷信深い老人が怒る」という事例に加えてもっと現実的な怒りも想定しなければいけない。
たとえばその老人はその祠が地域の人々の信仰対象であり、人々が金を出して作った祠だから怒っているのかもしれない。
あるいはその祠の祭神が地域の有力者の神であり、祠の破壊は反乱の意思表示と感じて恐れおののいたのかもしれない。
あるいはもっと単純に、現代で道端でガードレールを破壊する人を見たら誰でも「なんと乱暴な変人なのだろう」と驚きいぶかしむだろうが、それと同じ視点でよそ者に怒っているのかもしれない。
以上のような連想が可能なように、前掲書『神仏と中世人』は
「昔の人は迷信深かっただろう」という思い込みを解体することを趣旨の一つとしている。
フィクションなんだからどんな世界でも構わないというのもありだが、そうした「常識」を逆用し、祠を壊したことから始まる極めて現実的な政争を描けるということは、創作をする上で、あるいは話を楽しむ上で役に立つかもしれない。