烏龍茶における回顧(と日替わりランチ)
父とは数年前に離別している。
死別とかではなく、まだ離婚していないだけの別居だ。わたしたち姉弟が知らなかっただけで、昔から父は浮気性だったらしく、とうとう耐えかねた母との仲が決定的になり、別居へと至った。
わたしたち姉弟はワンオペだった母におおむね育てられ、完全に母寄りで生きていたので、こうなる前からこの父という人に対してあまり感慨を持っていなかった。ほとんど子育てに参加しない人だった。
わたしは今年大学2回生だ。大学に二つある学食それぞれのレギュラーメニューを1回生のときにおおむね制覇してしまったので、なんというか、飽きていた。
今日選んだのは例によって日替わりランチである。例というのは、レギュラーメニューをあまり選ぶ気になれない今のわたしにとって、以前と同じものを未だ見たことがない日替わりランチは指名率が高い、という「例によって」である。
この、大学内で「カフェ」と呼ばれる学食は、ただ「学食」とだけ呼ばれるもう一つの学食と比べて、その呼名の通りカフェ飯に寄っている感じがする。
本日の日替わりランチは、フィッシュフライにエビフライ、カニクリームコロッケ、付け合わせのサラダ、それからたまごスープである。フライにはタルタルソースのようなものがかかっている。
わたしはタルタルソースが嫌いだし、フィッシュフライも好きではないので、いつもなら絶対にこのラインナップで選ぶことはない。
しかしわたしはたまごスープが食べたかった。
この大学の学食の強みは、たまごが美味いというものだ。たまごというか、名物だと推されているオムライスはふわふわとろとろだし、おそらくかきたまというのがうまいのだと思う。わたしはこの学食のたまごスープが好きだが、このスープはレギュラーメニューにはほとんど登場しない。日替わりランチのような、定食っぽいメニューにたびたび顔を出すという、ある意味のレアキャラなのである。これを逃す手はない。
白いソースにはゆで卵がなくみじん程度の大きさのバジルが入っているだけだから、もしかしたらタルタルソースではないのかもしれない。となれば、もしかしたらわたしにも食べられるのかもしれない。そう思った。見本のフィッシュフライに薄くかかって馴染んだ散りばめられたバジルが綺麗に見えたのも、その決断に一役買った。
「今日は特別で、サービスとしてこの緑茶と烏龍茶のどちらかをお付けしますよ。お好きにお選びください」
なぜか日替わりランチの見本に、普段はないプラスチックコップに入ったお茶が添えられていたのはそういうことであるらしかった。
わたしは普段、このどちらのお茶も飲まない。家は確固たる麦茶党であるし、なによりどちらも麦茶と比べると苦い茶である。それをどちらか選べと言う。悩む。
ふと、思い出したことがあった。
父はいつからか、糖質がどうたらとかで家族が飲む麦茶とは別で買ってきた烏龍茶を飲むようになっていた。家でもっとも大きなやかんで麦茶を沸かしている横で、ひとり分の烏龍茶をミルクパンで沸かしていた姿が印象に残っている。
わたしにとって父という人はもう随分遠く、ほとんど考えることもなくなりすっかり頭から忘れていたので、見覚えのあるパッケージを前にして、そういえば……となったのだった。父はもう我が家にいないから、烏龍茶を家で目にすることはない。
今にして思えば、わたしたちが知らなかっただけで父は糖尿病になっていたというから、それで烏龍茶だったのかもしれない。
最後に飲んだのはいつだったか、どんな味だったか。
そうして、わたしは烏龍茶を選んだ。
わたしはご飯時にお茶や水といった飲み物をどっさり飲むのだが、今日は普段飲まない苦いお茶である。こわごわ飲んでみると、飲んだことのある懐かしい味であり、それでいて、すっきりとした飲み口だった。
飲みやすい。これが驚きだった。
昔の、その飲むことがあった頃というのが小学生だったからそりゃそうなのだが、昔は苦くて到底飲めたものではないと思っていた烏龍茶を、飲みやすいどころか、好きかもしれないと感じたのが衝撃だった。
久しいと思うほど食べていなかったからなぜ自分がタルタルソースが嫌いなのかという理由についてすっかり忘れてしまっていたので、特に気負いなく食べたが、やはり嫌いな味だった。からしのようなマスタードのような、そういう味がする。わたしはこれら二つの味が嫌いなので、必然的にその味がするこのソースもやはり嫌いである。だがタルタルソースはまた違った味──そういえば、なんというか甘酸っぱさのようなものであったような──であるように思えるので、やはり別物なのかもしれない、とも思う。嫌いな味であるのはたしかなのだが。
後日談
帰ってから母にこのことを話すと、父が飲んでいたのは烏龍茶ではなく、黒烏龍茶であったという。
そりゃ小学生の口には苦いし、烏龍茶が記憶していたよりずっと飲みやすいはずであると、ずいぶん納得がいった。
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