『観音様の環』書評|想像と超克(評者:東山彰良)
2021年10月15日に配信開始した芥川作家・李琴峰さんの小説『観音様の環』を、同じ台湾出身の作家・東山彰良さんに読んでいただき、寄稿いただきました。
「名付けえない感情とアイデンティティ、それらをありのままに受け入れる美しさと孤独」
李琴峰の『ポラリスが降り注ぐ夜』に、私はそのように推薦文を寄せた。どこにも身の置き場のない女性たちが不意に出会うオアシス、それが「ポラリス」という名のバーだった。彼女たちはそこで名付けえないものを名付けえないままにしておく強さと孤独を学び、たえず内省しながらもつぎの一歩を踏み出してゆく。それが『ポラリス~』に収められた七つの短篇に通底する切ない不協和音だった。
今作の「観音様の環」も、このポラリスに訪れたもうひとつの夜なのだと言える。コロナ禍のただなか、マヤはパートナーと結婚するために同性婚が認められている台湾へ渡る。物語は瀬戸内海の小島で生まれ育ったマヤが母親の束縛と支配から逃れて上京し、不思議な縁でポラリスへ流れ着き、やがて台湾へ渡って自分の魂につけられた家族の刻印と対峙するまでを描き出す。彼女はパートナーを愛しつつも、依存してしまうことを潔しとしない。そのせいで、内面に大きな葛藤を抱えている。
台北での年越しイベントの場面が、とりわけ印象的だ。帰り道でマヤはパートナーに対して激しく心中を吐露する。内側に抱え込んだ不安と恐怖が一気に噴出する。そのなりふりかまわない姿に、彼女を歪めてきたものの凶暴さ、それでもどうにかバランスを保とうとするギリギリの精神が垣間見える。そしてまさにここから、マヤの記憶の奥底に沈んでいた不穏な影がゆっくりと形を成していく。
葛藤、対決(あるいは直視)、超克の図式にかなっている今作は、李琴峰作品のなかでは比較的わかりやすい部類に入るかもしれない。言い換えれば、娯楽性が高い。マヤは自分の過去と向き合い、それをきちんと言語化してパートナーに伝える。そうすることで母親の束縛と支配の生まれいずる場所まで下りていき、ついに母親の干渉の善意の部分をすくい上げることに成功する。その上で、涙ながらにこう訴える。
「ただ、幸せというものに対する母親の想像力があまりにも偏っていて、あまりにも限られていた」
まさにこのひと言にたどり着くために、この小説は在るのだと言っても過言ではない。なぜなら、この世の不幸を突き詰めれば、けっきょくこのひと言に尽きるのだから。誰かを不幸せにしたくないなら、ちゃんと想像しろ。そして、自分自身を縛りつけているものを越えていけ。この作品から聞こえてくる声は、まさにそれなのだ。
東山 彰良(ひがしやま・あきら)
1968年台湾生まれ。福岡在住。2002年、『逃亡作法 TURD ON THE RUN』 で「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞しデビュー。2009年『路傍』で大藪春彦賞、2015年『流』で直木賞、2016年『罪の終わり』で中央公論文芸賞、2017年『僕が殺した人と僕を殺した人』で織田作之助賞、読売文学賞、渡辺純一文学賞を受賞。
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