『保健室の白いカーテン』書評|狭霧の中に赤い血を(評者:戸田真琴)
〝いままでいったい何十錠の痛み止めを飲んできただろう。いや、百錠は軽く超えるか。バファリン、ナロンエース、イブ、リングルアイビー、ロキソニン、ボルタレン、ゾーミッグ、マクサルト。ドラッグストアで買えるもの、病院で処方されるもの。〟
偏頭痛、生理痛、気象性頭痛、あらゆる理不尽なこめかみの痛みに慢性的に 苛まれたことのある人たちが共感せざるを得ない文字列を読み進めていくと、SM系風俗店の控室に辿り着く。ホスト、投資……店内に飛び交う在籍女性たちのさまざまな会話は、それもまたリアルを意識的に転写しているものだろう。しかし、主人公が風俗店で働く理由はそのどれ でもなく、もっと曖昧で、煩雑 なものだった。
源氏名〝椿〟、気圧の変化で体調不良を予測できるアプリともバイオリズムの合わないその女に、なんだかんだでいつも何かしらの体調不良を抱えている自分以上に、実の姉を重ねてしまう。
気象病も重たいPMSも胃腸の持病もAV女優になるという力技で無為にしてなんとか自分の稼いだお金で生きているアウトサイダーの私よりも 、さらに生きづらい、姉 。 低血圧で朝は起きられず、自律神経は常に乱れて頭痛と吐き気に苛まれ、痛み止めを常用し、効かなくなったら別種類を探し、何科にいっても明確な原因がわからないと言われる姉。アルバイトを始めては、数ヶ月で体がついていかなくなり、欠勤に対する罪悪感でさらに足が遠のき結果退職を繰り返してしまう姉。
私が誰にも言わずにAV女優を始めて1年以上が過ぎた頃、姉は雨の日に子猫を拾った。ペット禁止のアパートで、それでも放っておけないから飼うと言い切る姉に、両親は反対した。お金もなく仕事も続かない自分には猫と共に家を出ることも不可能だと絶望する姿を見かねて、私はこっそり自分の職業と、だからすこしだけお金には余裕があること、必要があれば頼っていいということを話した。さすがに軽蔑されるだろうか、と構えていた私に返ってきたのは、「羨ましい」という言葉だった。
体力もなく、気概もない。生活を変えるために夜の仕事をするような勇気もないらしい。最低装備で始めてしまった人生というゲームで、勝つための方法さえ年々減っていくなかで、姉には私がゲームをついにハッキングした勇敢な人に見えたのだそうだ。
AVと風俗は性的魅力やサービスを売りに出すというところ以外は勤務形態も必要なスキルもかなり異なる別業種だが、この小説に流れる「一般社会に溶け込めるエネルギッシュな人にはわからない世界」を生きている、あの薄暗く心地のいい感覚は、 私も当たり前に知っている。
親には言えないし、一般社会のものさしにかけられたならそもそもまともさの土俵にすら立つことのできない、お天道様の照らす明るい地上を歩くためのチケットを捨ててしまった人の目に映る 、死なない程度の生ぬるい地獄が、この小説では非常に適切な温度で描かれている。そう、 街中の人たちも、漫画アプリの広告も、まとめサイトも、みんな馬鹿みたいに過激な消費物として〝その世界〟 を見るけれど、そこに住んでいるのは、きっと見たことのある誰かでしかないのだ。
〝ずっと不思議だったのだ。自分みたいなタイプはどこにいるのか。学校の朝礼のたびに貧血を起こして倒れていた子や、一日六時間の授業に耐えられず保健室で寝ていた子たちは、社会でどうやって生活しているのか。その一部は、世間から見えづらい遮光カーテンの奥に生息していたのだ。〟
私は、 自分のようなステータス偏向のキャラクターならさまざまなフィクションで目にしてきた けれど、姉のような、ただ人より体力と気力のゲージが少しずつ低い人の住んでいる小説に出会ったのは初めてだった。すこしがんばれそうな日に限って、いつもの頭痛がやってきて床に伏す。足りない何かの代わりに、特別な才能や魔法を持っているわけでもない、あのたくさんの〝誰か〟は、ここにちゃんと描かれていたのだ。
それはそのまま 、成人男性並に働くことのできない女性たちにいかに選択肢がないのか、「女は体を売れば金が稼げるからいいよな」「風俗はセーフティネット」などの言葉がいかに頓珍漢なのか、そしてその果てで実際に起こる差別や加害が、その人にとって一体何度目の精神的蹂躙なのか、というところまで想像力を働かせるための目印となる。そこに描かれる人がキャラクターではなく、すれ違ったことがあるかもしれない〝誰か〟だとわかること自体が、想像力のエンジンだから。
そういう点で著者の人物描写、ひいては取り囲む人々と主人公がどのような関係値にあるのかという描写には、非常に優れたバランス感覚が働いていると感じた。〝椿〟はいつも重たい身体を横たえて、生きるということの面倒臭さから目を逸らすために、目を閉じる。そこには保健室の白いカーテンがゆれている。
〝後ろめたさや焦りをまどろみの心地よさでごまかして、何十年も経ってしまった。〟
そのカーテンを彼女が押しのけるとき、そこには魔法よりも救いよりも確かな、現実としての苦痛があった。ラストシーン、椿が手を取って呼びかける言葉は、そのまま自分自身に対して叫んでいるようだった。狭霧の中にたった一滴の赤い血を見つけるような作品だ。それが何にもならなかったとしても、見つけたというだけで、「何もないかもしれない世界」は、「何かはある世界」になったのだ。全部、霧で隠れていただけだった。
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