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おじいちゃんに恋人が!?【試し読み】坂井希久子さん 『祖父の恋』

(イラスト:三好愛 デザイン:須田杏菜)

■あらすじ
おじいちゃんに恋人が!? 
80歳という年齢からもそんなことが現実に起こっているなんて半信半疑の若菜は、祖父・茂がカラオケでデュエットしていたという目撃談を耳にした母・晴子から真相追究の勅命を受ける。パタンナーの仕事が充実している若菜は渋々、連休に実家に戻ると、身なりも小綺麗になっている茂に問いかけた――「恋人でもできたんじゃない?」。
果たして噂は本当なのか? お相手は? 
老年の恋愛模様と、それを見つめる娘と孫を描く、ほんわか短編小説。

 一

「ねぇ、お願い。どうにかお祖父じいちゃんから、話を聞き出してくれない?」
 電話越しの母の声が、哀願口調に切り替わる。さっきまで鼻息も荒く怒り狂っていたのに、唐突な転調だ。
 指の産毛を抜きながら話を半ば聞き流していた若菜わかなは、思わず「えっ!」と叫んでしまう。その拍子に、毛抜きで少し肉をつまんだ。
 チリッと軽い痛みが走り、毛抜きを手放す。肩と頰で挟んでいたスマホを手に握り直し、反論した。
「なんで私が。一緒に暮らしてるんだから、お母さんが話しなよ」
「無理。こんなこと、お母さん聞けない」
 分かるでしょと言いたげに、母が声を震わせる。
「知るもんか!」と怒鳴りつけてやりたくなったがぐっと堪え、若菜はため息と共に苛立ちを外に逃がした。
 祖父と母はもう何年も、必要なときにしか口を利いていない。
 両親の離婚を機に、若菜が母と共に祖父母の家へ移ったのが十歳のころ。その際に祖父から「子供をあんまり振り回すな」と叱られたのを、母はいまだに根に持っている。
 祖父もまた、己を敵視する娘に対し、かたくなになってしまった。こじれにこじれて十八年。仲直りの糸口はもう、擦り切れて見つけられなくなってしまった。
「でもさ、しょせんは噂でしょ。お祖父ちゃんもう、八十だよ」
「噂だけじゃないのよ。お友達が、たしかに見たって言うんだから」
 よけいなことを吹き込む「お友達」もいたものだ。妻に先立たれた老人の恋路など、放っておけばいいものを。
 なんでも祖父のしげるは、老いらくの恋に身を焦がしているらしい。お相手は老人サークルのマドンナで、ずいぶん鼻の下を伸ばしているとか。実際に母の「お友達」が、カラオケスナックの昼営業、通称「昼カラ」でデュエットしている二人を目撃しており、歌っていたのは「銀座の恋の物語」だという。
「だとしても、放っときなよ。相手も婆さんなんでしょ。若い子なら騙されてるかもって心配になるけど」
「分かんないわよ。悪い婆さんかもしれないじゃない」
 若菜の頭に、鷲鼻の魔女が思い浮かぶ。顔中が揉んで広げた紙のように皺だっており、歯が何本か欠けている。イマドキの「悪い婆さん」が、具体的にイメージできなかった。
「しれっと再婚でもされたら、うちの財産はその婆さんの物になるのよ!」
 母がそう言ったとたん、脳内の魔女がマッチョになった。そんな野望を抱けるなんて、元気な婆さんだなぁという感想しか抱けない。
「いやいや、財産ってなによ」
「家と土地。狙われてるかもよ」
 田舎の土地と、築年数五十年近い家。無価値というわけじゃないけれど、「狙われてる」と怯えるのは自信過剰なように思える。
「相手の婆さんは、どんな人なの。そんなに困窮してるの?」
「それが分からないから、聞いてほしいって言ってるの!」
 見事な逆ギレ。断るという選択肢は、はじめから封じられている。「分かった」と承諾しないかぎり、堂々巡りのやり取りが続くのだろう。
「人形の夢と目覚め」のしらべと共に、「お風呂が沸きました」というアナウンスが聞こえてくる。もはや潮時だ。
「じゃあ、ゴールデンウィークにそっちに帰るよ。それでいい?」
 目黒区の自宅から実家までは、在来線を乗り継いで二時間ほど。その気になればすぐ帰れるが、ちょうど大型連休も近い。どのみち、やるべきことはないのだし――。
「いいけどあなた、ゴールデンウィークになにも予定がないの?」
 胸の内を見透かされたような気がして、どきりとする。予定はないというか、なくなった。その詳細を、母親に告げる気は毛頭ない。
「うん、まぁね」
「『まぁね』じゃないわよ。大丈夫なの?」
 母があえて省略した文言が、聞こえてもいないのに癪に障る。「二十八にもなって、ゴールデンウィークを共に過ごす恋人もいなくて大丈夫なの?」
 大きなお世話である。
「四月の連休だけよ」
 今年は曜日の関係で、カレンダー通りでも四月に三連休がある。五月の連休には予定があるかのように、つい見栄を張ってしまった。
「そう、ならいいけど。いい人がいるなら、そのうち連れてきなさいね」
 そんな人がいるのなら、金曜の夜に自宅で指の毛など抜いていない。母だって、薄々分かっているだろうに。
「そのうちね」
 と応じ、電話を切った。

 仮縫いした衣装を、トルソーに着付けてゆく。
 たっぷりのフリルがあしらわれた、アイドル衣装だ。十代のアイドルのサイズに合わせて作っているため、感心するほどウエストが細い。その華奢なところを強調するため、スカートにはチュールを合わせ、ボリュームを出している。
 週が明けて月曜日、若菜はデザイナーで大先輩でもある佐々木ささきあかねと職場で向かい合っていた。仮縫いのサンプルをトルソーに着せて、全体の仕上がりを見る、トワルチェックの工程である。
 茜は四十代半ばのベテランだ。顎先で切り揃えた髪を揺らし、首を軽く左に傾ける。
「悪くはないけど脇のところ、あと二ミリ詰められる?」
 その指示に従って、マチ針を使って脇をちょっと詰めてみる。袖口が広がったデザインだから、脇がタイトなほうが見栄えがする。
「でもこれだと、踊るときに窮屈だと思います」
「そうだね。脇のところだけ、ストレッチ素材に変えてみる?」
「それならこの範囲を、菱形にパターン切りますか」
「うん、色はなるべく揃えて」
「分かりました。後で生地のサンプルを提出します」
 ああでもない、こうでもないと話し合いながら、少しずつ修正を加えてゆく。
 若菜は舞台衣装制作会社に所属する、パタンナーだ。デザイン画を元にして、型紙(パターン)を作るのが仕事である。小さな会社だから、縫製まで一人で手がけることも多い。今作っているのは、CDデビューを間近に控えた女性アイドルグループの衣装である。
 一般的な洋服とは違い、舞台衣装には考慮するべき点がいくつかある。一つはもちろん、ステージ上の見栄え。遠くから見ても存在感のあるデザインや、コンセプトが求められる。
 それと同時に、動きやすさも重要だ。パフォーマーは激しく踊ったり、身振り手振りを大きく見せたりもする。体の可動域が制限されてしまうような衣装は失格だし、照明による暑さも懸念材料だ。クライアントのこだわりに寄り添いつつも、予算内でデザインや素材の選定をする必要があった。
 デザイナーの茜はそのあたりのことをしっかり心得ているから、一緒に仕事をしていて勉強になる。ミリ単位の修正を加えていきながら、これらの指摘をすべてマスターパターンに落とし込む。
 平面から、立体を作り出す作業である。若菜の脳内で、衣装はよりいっそう完成形へと近づいていった。
 見習いからはじめ、七年経っても、この瞬間はわくわくする。熟練のデザイナーの目が入ることで、新たな視点でパターンと向き合える。いつかパタンナーとして、独立するのが若菜の夢でもあった。
「よし、これでいいね」
 アイドルは五人グループだから、衣装も五種類。すべてのチェックを終えて、片づけに入る。ところどころにマチ針が刺さっているから、手つきは慎重だ。
「あ、真壁まかべくんだ。おーい!」
 換気のため、デザイン制作部の戸は開けっ放しにしてあった。廊下を通りかかった営業部の社員に気づき、茜が大きく手を振った。
 真壁達樹たつき。若菜より二歳下の、若手である。
 茜の呼びかけにぎこちなく会釈を返し、達樹はそのまま去って行った。
「最近あの子、よそよそしいよね。なにかあった?」
 アイドル衣装を制作しているのを見かけると、達樹はいつも嬉々として寄り道をしていった。学生時代から追いかけているグループがいるらしく、いつか彼女らの衣装の受注を取るのが夢だという。そのぶんステージ衣装には詳しくて、ファンの目から見た意見を若菜が求めたこともある。
 子犬みたいで可愛いと、茜は達樹を気に入っていた。たぶん彼の目当てが、衣装だけでなかったことを承知で聞いている。
 手元に集中するふりをしながら、若菜は短く答えた。
「彼女、できたみたいですよ」
「えっ、そうなの?」
 声を裏返らせてまで、驚くことか。二十六歳の男に恋人ができた、ただそれだけのこと。達樹はモテるタイプではないかもしれないが、素直ないい子だ。なにもおかしなことはない。
 トルソーから、次々に衣装を脱がしてゆく。茜の顔は、極力見ないようにした。
「若菜ちゃんは、それでいいの?」
 聞かれたとたん、指先にチクリと痛みが走った。気をつけていたつもりだったのに、マチ針で突いてしまった。
「あら大変、絆創膏」
「大丈夫です。このくらい、すぐ止まります」
 傷口から、赤い珠がぷくりと盛り上がる。
 痛みはほんの一瞬で、ティッシュに血を吸わせてしまうともう、そこに傷があることすら忘れてしまった。

坂井 希久子(さかい・きくこ)
1977年和歌山県生まれ。同志社女子大学学芸学部日本語日本文学科卒業。2008年「虫のいどころ」で第88回オール讀物新人賞を受賞。2015年『ヒーローインタビュー』が「本の雑誌増刊 おすすめ文庫王国2016」のエンターテインメント部門第1位に選ばれる。2017年『ほかほか蕗ご飯 居酒屋ぜんや』で第六回歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞。著書に『妻の終活』『虹猫喫茶店』『ウィメンズマラソン』『泣いたらアカンで通天閣』、「居酒屋ぜんや」シリーズなどがある。

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