字幕・吹替を含む、日米同時配信はいかに実現した?『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』の舞台裏
全8シーズンを通して、魅力的なキャラクターや衝撃的な展開、現代社会を反映したかのような描写で人気を博した『ゲーム・オブ・スローンズ』。その200年前を描いた新シリーズ『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』が2022年8月に配信開始になりました。U-NEXTでは、本作を見放題で日本独占配信。かつ字幕・吹替ともに米国との同時公開を実現させました。
米国HBOが配信発表をした際には、日本でも「#ハウスオブザドラゴンを世界同時公開にするタグ」というハッシュタグが生まれるなど、ファンにとっては待望の公開。ただ、これを実現した裏には、本国の制作と並走しながら字幕・吹替をつくるという日本独自の挑戦がありました。
今回はその裏側を取材。毎週新作を配信するタイトなスケジュールの合間を縫って、本作の字幕・吹替制作で字幕版・吹替版の日本語版制作を担当した東北新社の池谷加奈さんと、U-NEXTのローカライズ担当・髙下聡郎に聞きました。
配信サービスの開始で変化した字幕・吹替制作の今
──はじめに、前提知識として字幕・吹替の裏側について教えてください。海外作品を日本にローカライズする際には、そもそもどのような流れで制作されるのでしょうか。
池谷:一般的には、「翻訳原稿の作成」と「テロップ入れ/収録・ダビング」の大きく二つの段階で進みます。
翻訳原稿の作成は字幕・吹替もだいたい一緒。映像素材を受け取ったら、まずはセリフの息継ぎ部分や字幕の区切りをわかりやすくした上で、翻訳者が翻訳。その原稿を演出ディレクターとすりあわせ、ブラッシュアップして確定させます。
翻訳原稿が確定した後は、字幕の場合はテロップ入れ。吹替の場合は声優による収録とダビング(※収録した吹替音声・音楽・効果音など、全体の音のレベルのバランスや口の動きに合わせて台詞のタイミングの調整をして吹替版音声を完成させる作業)を行って完成させていく流れです。
──作業時間としてはどれくらいかかるものなのでしょうか?
池谷:作品や内容によってまちまちですが、翻訳作業で言えば、一般的には10分間の映像の翻訳でだいたい一日がかり。60分間の海外ドラマの場合、最低でも1週間ほどかかる計算になります。
ただ、昨今は配信が主流になりつつあることもあり、このスピード感も着実に変化しています。というのも、劇場公開した映画が3ヶ月後にはオンデマンド配信されたり、今回のように海外テレビドラマが世界同時で毎週配信されたりするなど、求められるスピード感が圧倒的に早くなってきている。それに伴い、字幕・吹替制作のスケジュールもよりタイトになってきています。
今までは、完成した映像素材をもらってから制作を始めても、公開日に間に合っていました。ですが、今では完成素材を待っていては、公開日に間に合わないことも少なくない。
例えば、海外ドラマを本国と同時配信するとなると、本国でのドラマ制作と並行して動くことになるので、ギリギリまで完成素材が届くことはありません。制作途中の仮素材をもとに制作を進め、映像の変更を随時反映しながら字幕・吹替を作っていくしかないんです。
──変更というのは、どれくらい変わるものなのでしょうか?
池谷:もちろんその時々ですが、ときにはセリフが丸ごと変更されていたりします。制作側もバタバタしているので、当然差分がどこかを共有してくれることもなく。なのでこちらで見比べながら「ここが変わった」と都度リアルタイムに把握するような状況です。
かつ変更が一度で済むものもあれば、「最終版」をもらっていたはずなのに後から「最終版の最終版」が届くこともあって(笑)。最後まで気が抜けません。
──U-NEXTでは字幕・吹替を担当された作品をいくつもリリースされているかと思います。制作をする上で重視されている点を教えてください。
髙下:シンプルな話ではありますが、とにかく「クオリティを妥協しないこと」です。タイトなスケジュールなものも少なくありませんが、それでも視聴者が没頭し、楽しめる作品を作っていきたい。字幕や吹替は少しでも違和感があると、作品を台無しにしかねませんから。
U-NEXTでは、180作品以上(2022年10月現在)の字幕・吹替を担った独占配信作品がありますが、いずれにおいても言葉のニュアンスや雰囲気をできるかぎり本国に近づけるよう注視してきました。加えて、日本人に伝わりやすい明晰な翻訳も不可欠。これを限られた制作時間のなかで、クオリティ高く制作するのが我々の仕事です。
日米同時配信はビッグタイトルで勝負に出たい
──『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』はU-NEXTとしては初の字幕・吹替を含んだ日米同時配信作品です。これまでも数々のビッグタイトルを展開してきたなか、なぜ今回だったのでしょうか。
髙下:これしかないと思えるタイトルだからです。字幕・吹替を含む日米同時配信は並大抵のことではありません。権利関係はもちろん、制作側、マーケティング、広報など作品に関わるあらゆる面々が一致団結して進行できなければ、実現が難しい。同時配信をやるには誰もが「力を入れたい、いい作品にしたい」と思わせる作品でなければ、と考えていたんです。
『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』は、世界中で社会現象にまでなった『ゲーム・オブ・スローンズ』の新シリーズ。この作品でやらないわけにはいかないだろうと思いました。
──話題作ゆえに、求められるクオリティや視聴者からの期待も大きかったと思います。
髙下:そうですね。だからこそ制作は、東北新社さんしかいないと思っていました。『ゲーム・オブ・スローンズ』の字幕・吹替制作を担当し、シーズン7と最終章となるシーズン8は字幕の世界同時配信も経験されていましたから。
池谷:お声がけいただいたときは、本当にワクワクしました。大作の字幕・吹替を制作できるのか!と。
同時に、不安もありました。というのも、U-NEXTさんから「字幕・吹替ともに日米同時配信の達成が絶対です」と念押しされていました。髙下さんの言うように、『ゲーム・オブ・スローンズ』では字幕版の同時配信はやっていましたが吹替版もというのははじめて。「本当にできるのか」という不安がなかったといえば嘘になりますが、「ぜひ、うちで」とお返事させていただきました。
短い制作期間に立ちはだかる3つの難題
──制作を進めていくなかで、苦労された部分や難しさを感じた点はありますか。
池谷:それはもうたくさん(笑)。とにかく大変だったのは終始、「決まってない/わからない」ことばかりだったこと……でしょうか。まずは、「そもそも制作開始時期が明確ではなかったこと」。
髙下:その節は、東北新社さんを不安にさせてしまったと思います。通常であれば放送局が素材提供スケジュールを明確に提示した上で制作会社に依頼をするのですが、今回はイレギュラー。本国で並行して制作が進行している状態だったので、いつ素材が揃うかを確定情報にできなかったんです。
ですが、それでは制作チームのリソースを押さえられない。難しい状態でのご相談になってしまいましたね。
池谷:そうでしたね。当時はスケジュールの不安は大きかったものの、その時々にできることを進めるほかありません。そこでまずはチームを組成。『ゲーム・オブ・スローンズ』に携わった全制作スタッフのリソースを確保していきました。前作の世界観に精通していて、知見のあるスタッフを集めることが、同時配信の成功と映像のクオリティを担保することにつながると考えたからです。
ホッとしたのもつかの間、次の難題はキャスティングでした。というのも原作こそあるものの、ストーリー展開や個々の登場人物のキャラクターが読めないなかで声優をキャスティングする必要があったんです。
──それぞれの人物像が見えきれない中でも、声優を決めなければいけなかった、と。
池谷:素材や周辺情報がほぼない状態で、声優の候補出しをしました。どんなキャラクター像なのか、どのように演じているのかもほぼ想像がつかない。正直、これには「どうしよう......」と思いました。
ここで救世主となったのが、前作の演出ディレクターを務めた依田孝利です。もちろん、登場人物等はほぼ違うので前作を踏襲することはできないのですが、数少ない情報をもとに声優の候補をあげてくれました。これは前作の世界観を作り上げてきたからこそだなと。
髙下:映像がきていないのに、声優の候補出しなんて、めちゃくちゃですよね……。とはいえ、映像がきてから声優を検討していては間に合わない。無理を承知のうえでのお願いでした。ですが、提案していただいた声優の方々は、みなさん素晴らしく。本国俳優やわずかなキャラクター情報と対比してもイメージが膨らむ方々でしたので、U-NEXTとしてもOKを出せました。東北新社さんのご尽力のおかげで想像以上に豪華な声優陣が集まってくれて、とても嬉しかったです。
ただ、声優の皆さんにお願いする収録もまた中々の難題でしたね…。
池谷:映像素材ですね(笑)。最初は面食らいました。届いた素材を見てみたところ、映像がモノクロなうえに、中央に大きくHBOのロゴが入っており画面のかなりの割合が隠れてしまっていました。『ゲーム・オブ・スローンズ』もそうでしたが人気作はセキュリティの関係で、素材にもかなりの制限がかかるんです。ただ、いただいた素材では衣装の色も、昼なのか夜なのかもわからない。
キャラクターの本質や特性を掴みづらいですし、不正確な部分が多いため、人間関係も捉えきれない。それに大きなロゴが邪魔をして、演者の口の動きが読み取りづらい。これは声優の方々に演じてもらうのが大変だぞと感じました。
髙下:誰と誰がいつ仲違いして、誰がいつ死んでしまう予定なのか、展開が読めないのも演じづらいですよね。
池谷:そうですね。一応原作を参考にはするものの、ドラマにしていくと設定や時系列を変更したりしますから。吹替の収録は、演出ディレクターが原作や前作をもとに「おそらくこういう展開で進んでいくはずだから」と声優陣に説明したり、一緒にディスカッションしたりしながら進めています。
髙下:臨機応変さが求められる現場でも、声優の方々が楽しく演じてくれていたなと感じます。いいチームワークで作品に向き合えました。
チームの雰囲気が作品にも反映される
──シーズン1もちょうど先日、10月24日に終わりを迎えました。最後に、これまでを踏まえて、今後へ繋がる学びやご経験があれば教えてください。
池谷:今回の制作を通して感じたのは、クオリティの高い作品をつくるためにはチームの雰囲気づくりやモチベーションの醸成が大切だということです。
同時配信は、どうしてもスケジュールも制作も流動的になりがち。そうすると、公開日に間に合わせることが目的になり、制作がただの作業になってしまう。時間が限られるなかでも、スタッフが自慢したくなるようなクオリティで作品づくりするような空気感が必要なんです。
そのためには愚直で地道な積み重ねが欠かせません。スムーズな進行をはじめ、作品に関わるスタッフが気持ちよく制作に向き合える環境を整える。アウトプットだけでなく、プロセスにもこだわることが、視聴者に楽しんでもらえる作品づくりにつながると思っています。
髙下:東北新社のみなさんが良いアウトプットを生み出すために尽力されているのは、作品のクオリティを見ていただければ、ご理解いただけるかと思います。本当に無理難題ばかりの中でも、字幕・吹替の同時配信すべく、さまざまなところに気を回して動いてくださっている。
私たちとしては、「U-NEXTだから頑張ってやるか」と少しでも思ってもらえるよう、地道なやりとりは意識してきました。社内や放送局などの権利元の意向は大事ですが、東北新社さんをはじめ制作に関わってくれる方々も同様。関係者のみなさんとコミュニケーションを密に取らなければ成立し得ないプロジェクトですから。今後もそのことは肝に銘じて進めていきたいと思っています。
池谷:たしかに、U-NEXTさんと毎日常になにかしらの連絡を取りあっていますよね。東北新社にとってはあくまでもクライアントなんですが、受注発注の関係性を超えた、よい作品をつくるチームとして関係性を築いていけているような気がします。
髙下:そういっていただけると、ありがたいです。これからもがむしゃらに難題を乗り越えながら、よりよい作品を一緒に作っていけたら嬉しいです。