.(period)

「最期の、夏だね。」と。
ちいさく笑うA子の声は舌に乗せたキャラメルに溶け混じり、ほろ甘く、柔らかく、空気を濡らして伝播する。
「なんだい、オオゲサダナァー。」と。
笑い返すB子の声はソーダポップと共に弾けて、明瞭に、爽快に、梅雨空を蹴飛ばして直進する。「ウチらまだ、二年生じゃん。」
「そうだけど、」とA子は笑う。そうだよ、そうだけれども、違うんだよ。と。ちいさく笑う。ちいさく話す。
C公園の東屋、石造りの椅子に腰かけて、少女たちが季節を浪費する。
甘酸いクリームを挟んだウエハースのように、儚く甘い夏休み、その軽薄な愉快さが、学校や家庭では口に出せない秘密の話題を、胸の奥から湧き立たせる。
「三年生は、無いんだよ。」
世界はもう、終わっちゃうから。それはもう、それはもうなんだかそんな風に、何処かでちゃんと、決まっちゃったんだよ。と。
ちいさく話して、A子は笑う。ちいさく笑う。
「アラ、マア、それは大変、」と、B子も笑う。明快に笑う。
「ソリャ大変だヨ、君。公園で、ノンキに菓子喰ってる場合じゃないよ?」
「場合じゃないかな?」
「場合ジャア、ナイデショー。」
そうして少女たちは笑う。ハ、ハ、ハ、と、空気を揺らす。夏を揺らす。
「ねえ、世界が終わる前に、何したい?」とA子は訊く。
「エー、迷っちゃうネー、何しよか?」とB子は答える。
「甘い物、一杯食べたいね。」とA子が笑う。
「宿題のことは、忘れよう。」とB子も笑う。
嫌な事は全部やめて、好きな事は全部やって、それから、それから、
「それから恋でも、しちゃおうかなー!」
そうして少女たちは笑う。ハ、ハ、ハ、と、地球を揺らす。星を揺らす。
□□□
「地球が、粉々になっちゃうんだって。」と、誰かが云った。
誰が云ったのかは判らない。いつ、そうなるのかも判らない。
「ふうん。まあそんな気はしていたよ。」と、誰もが思った。
粉々になる地球上にも生活はあり、結局誰もがそれを続けた。
□□□
夏休みが終わって、夏が終わって、幾つかの誰かの恋が終わって、だけど世界は終わらなくて、世界は終わらないままに、地球は粉々にならないままに、秋が来て、肌寒い季節に似合いの失恋ソングが街に流れて、それは薄っぺらくて口当たりの良い、高級焼き海苔みたいなバラードで、けれどもだけどそれゆえに、その薄っぺらさと口当たりの良さゆえに世間を席巻して、歌い手のDは一躍時代の寵児となって、テレビにラジオにネット動画に出演を重ねて耳目を集めて、空前絶後のセンセーションを巻き起こした。

「ルルルゥ、ルルラ、ルルルゥ、ルルラ。
終わった恋は、埋めなさい。
潰れた胸が、割れた心臓が、
隠れるくらい、深く掘って。
終わった恋を、埋めなさい。
ルルルゥ、ルルラ、ルルルゥ、ルルラ(ルルラァ)」

唄は潮流となって、少女たちを呑んだ。
呑まれた少女の唄声が、呑まれた少女たちの唄声たちが津となって波となって街を浚い、更に大きなうねりとなった。
「終わった恋を、埋めなくちゃ!」
少女たちは唄う。唄いながら、街を往く。シャベルを背負い、行列を組み群れを成し、街を往く。徘徊する。
徘徊する、ので在った、浜辺へ、森へ、公園へ、シャベルを肩に担いだ少女たちが夜な夜な街をほら、あちらにも!そら、こちらにも!
嗚呼見るが良い、群れだ、少女の。少女たちの。
潤んだ瞳の少女たち、 最早人目も憚らず、進軍する、押し寄せる、押し寄せては掘るそして埋める。恋を!浜辺へ、森へ、公園へ。
少女は埋める!終わった恋を!
少女E「ねえ?貴女はもう埋めた?」
少女F「あの子はみっつも埋めたのだって!」
少女G「いいなぁ!」
ひとつの恋を埋める毎に、マイ・シャベルにシールを貼りつける。ハートのシール。ピンクのシール。割拠する、センチメントな撃墜王。憧憬と羨望と同調圧力とが、少女たちの体温を上昇させる、熱を放つ、張りのある頬を桃色に燃やす。
少女E「ああ、素敵ねえ。」
少女F「ねえ、素敵よね。」
少女G「あたしも人並に、」
少女E「恋がしたいなー。」
少女F「終わりたいなー。」
少女G「埋めたいよねー。」
少女E・F・G「ねーっ!」

本日も。
少女たちは恋をする。競うように。己を慈しむように。
元気に陽気に、涙を流し。本日もまた、恋をするのだ。  
それを地球に、埋めるために。
□□□
「明日、地球が粉々になっちゃうんだって。」と、誰かが云った。
誰が云ったのかは判らない。どうして明日なのかさえも判らない。
「ふうん。まあそんな気はしていたけどさ、」と、誰もが思った。
明日粉々になる地球上にも生活はあり、結局誰もがそれを続けた。
□□□
足元が、揺れた気がした。
H博士の研究棟。築二十五年、年季の入った鉄筋コンクリート製の構造物が、未知、既知、と僅かに軋む。
「少し揺れた、ようでしたね。」遠くへと耳を攲てる表情で、I助手が囁き声を漏らす。と同時に素早く観測装置に目を走らせ、計器に異常が無いことを確認する。「機器には異変無いようです、博士。」
「地震だろう。然程の規模では無さそうだ。」
「しかし、気味が悪いですね。まるで我々の観測が、現象に影響を与えてしまったみたいな。」
「光量子による観測者効果かね。それを零値化可能だからこそ、君はこの装置の導入を推したのでは無かったかね?」
「それはそうですが、」
助手の視線が装置に落ちる。滅菌済みのペトリ皿と、そこに封入されたちいさな珠。それは菫色に澄んで静かに在る。

マグニチュウム。
震片とも呼称されるその薄紫色の小珠体は、地震の主な原因となりそのエナジー規模を決定付ける、いわゆる震源物質である。震源地のマグニチュウムがひとつ増えると地震エナジーは約3.16倍になり、ふたつ増えると約100倍になる。破格の乗算、不測の力学。
しかし、その爆発現象が如何なる外力に反応して発生するのかは解明されておらず、「目下鋭意解析中!」を合言葉とする世界中の研究者たちに、浅い眠りと気鬱な夢見を与え続けていた。

上げた視線が、博士の視線と交差する。衝突する。博士の視線→HIと助手の視線→IH、ほぼ同質同量の疑念と確信とを帯びた二本の有向線分が交差する、衝突する、その交点Jは揺れず動かず、博士はそこに安定を見出す。指が動く。交点Jを摘まむ。交点Jの安定を摘まむ。交点Jの安定が含有する沈黙を摘まむ。抽出する。

H博士は、抽出の専門家である。
茶葉からカテキンを、海産魚からドコサヘキサエン酸を、納豆からビタミンKを抽出するように、科学的に、化学的に、世界から要素を抽出するのだ。
H博士は抽出する。
沈黙からメデカタローゼ(和:寡黙素)を。夢想家からロマノイドを。厄除け柊鰯からヒイラギン酸イワシウムを。プログレッシブロックからヌーヴォメタルを。俳句から季語を。密室から抜け道を。
H博士は抽出する。詐術的に、魔術的に。
指に挟んだ寡黙素を、机上の布巾にそっと置き包んでから、博士は再び口を開く。世界に音が帰還する。
「もう一度、整理しよう。」と博士は云う。もう一度。何度でも。必要なのは検証だ。
その日博士は、マグニチュウムからの要素抽出に成功した。
世界初の功績であり、それは慎重に、冷静に、検証される必要があった。
「読み上げて呉れ給え。」博士は命じる。
助手は頷く。装置を観る。モニタ上を走る緑の文字を。文字列を。
「ナトリウム。カリウム。アルブミン。グロブリン。」
「つまり、涙だ。」と博士は云う。
「つまり涙です、ここまでは。」
「続けて呉れ。」と博士は云う。
「続けます。イトシン。コイシン。ライセデEアイタイン。」
「つまり、恋だ。」
「つまり恋です。」
□□□
つまり。マグニチュウムとは、涙と恋との混合物であった。
□□□
再び、足元が揺れた。激しく揺れた。
H博士の研究棟が、築二十五年の、年季の入った鉄筋コンクリート製の構造物が、偽知、偽知、と唸って軋む。真直ぐに立って居られない。
助手が凭れた壁の棚から、ビーカがフラスコが落下する、割れ砕ける。
博士が投げ倒された机から、寡黙素が落ちて床を濡らす。それはどこまでも拡散する。
H博士の研究棟は、静寂の内に崩落した。
□□□
「昨日、地球が粉々になっちゃったんだって。」と、誰かが云った。
誰が云ったのかは判らない。何故そうなったのか、知る者は少ない。
「ふうん。どうもそんな気はしていたけどさ、」と、誰もが思った。
昨日粉々になった地球上にも生活はあり、結局誰もがそれを続けた。
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多少の変化と混乱は在った。
地図アプリケーションは目を回し、郵便物は遅配が日常化し、ラジオの周波数は迷走し、電話は頻繁に混線した。
「モシモシL飯店?頼んだ炒飯、一体何年待たせるつもり?えっ蕎麦屋?じゃあ蕎麦でも良いわよ早くして!」
「やあMだよ。そっちの星は大丈夫かい?」
「Nさん、結婚してください!こんな時だから、こんな星だからこそ、ぼくは君と、あの、もしもしそちらはどなた?」

少女たちの間では、体重計が大流行した。出来るだけ狭い、重力の小さな星片の情報がネットに溢れ、ツアーが組まれ、無数の流星を背景に、ひと桁の目盛りを指さして微笑む写真が、SNSに氾濫した。

P公園でボール遊びをする犬の足元で星が割れて、飼い主の星と生き別れた。
「おーい、Qちゃん」と飼い主は呼んだ。犬はまだ、ボールを追って走っていた。青いボール。それを追って、どこまでもどこまでも走って行った。
犬の星を捜すために、飼い主のRは探偵になった。犬の星はまだ見つからない。想像の中の犬は今もまだ走っていて、跳ぶように、舞うように、青いボールを、今はもう失われた蒼い惑星を追って駆け続けた。美しかった。なんだよ結構愉しそうだなおまえ、と考えて。探偵は時々、静かに笑う。

多少の変化と、混乱は、在った。
幾種かの渡り鳥は季節を越えて街に定住し、幾筋かの川からは流れが消え、高山と森林は植生を変え、幾つかの、重要な、ここに語られる筈であった挿話S-Yは、爆発と共に虚空へと飛び去って戻らなかった。残念なことに。
□□□
そのちいさな星片に、Zは独りで暮らしている。
隣の星とは離れすぎて、手を振り合うことも、挨拶を交わすことも出来なかった。
Zと、Zの部屋だけが在り、Zの部屋にはベッドが在り、Zの本棚には本が在った。
そのちいさな星の上でZは暮らし、本を読み、眠り、目を覚まして本を読んだ。静かな、穏やかな、生活。
眠れない夜には散歩をした。残り少ない煙草を吸い、残り少ない缶ビールを飲み、眠れない夜を歩き続けた。
空を流れ落ちる星は、最近ではもう随分と数が減っていた。
落ち着いて来たんだな、と。Zは考える。色々な事が変わり始めて、変わり続けて、変わり終わりつつあるのだろう。世界はまた、落ち着く所に落ち着くのだろう。そう思った。特に良いとも悪いとも感じなかった。なんだかまるで此処ではない、今ではない、何処か別の世界の話みたいだ。そう感じた。
Zは夜を歩き続ける。
俺の終わりは、俺の世界の終わりはどのように、終わり終わるのだろう?
そんなことを、考える。
ある日、ある朝、ぽっくりと息を引き取って、それで終わりなのかも知れない。それならそれで良い気がした。
長い散歩を終えて、Zは部屋に還る。歯磨きをして灯りを落とす。
目を閉じる。寝息を吐く。だからZは気が付かない。
Zの星の、Zの部屋の上を、ひとつの星が、流れ去る。流れ現れ、流れ去ったそれはちいさな星で、ちいさな公園と水飲み場があって、ベンチの下で犬が眠っている。走り疲れて眠っている。鼻先にボールがあって、それは彼の宝物で、良く弾む青いゴムボールで、星の上で、地面の上で、犬の側で、それは静かにそこに在って、物語の終わりを示す黒点の様に、厳粛に眠っている。ピリオド。

だからこうして。この物語はここで終わる。
きっと世界は、もう少しだけ続くのだろう。
だけど。それはまた、別の物語だ。でしょ?

/了
(20210730-0731)