なんと云う偶然。
押し合う群衆を見送ってから、そっと改札を抜ける。
二十年ぶりに訪れた『K**中央駅』。
子供の嬌声。祖父母の歓声。狭間で疲れ揺れる母親の怒声。
イベント紹介(広場に集合!)。手荷物注意のアナウンス。
切符がないと騒ぐ若者。切符を拾って戸惑う外国人旅行者。
探し物はなんですか。見つけにくいものですか。
ケンケンゴーゴー、夏休み。(Go!Go!サマー!)
浮き立つ空気に充ち充ちて、なお飽き足りない顔・顔・顔。
耳を澄ませ、骨身に染みろ「ねえ君、ワッチャ・ステップ」
赤い自動販売機に背を預けたまま、旧友がちょい、と手を挙げる。
洒落者のタマヲ。けど歳相応に幾分ふっくらと。ちなみにカニ座。
生憎と俺の両手は土産袋で塞がっている。眉で返礼ぴくりぴくり。
出掛けにキオスクで買って来た、聞いたこともない不味そうな銘菓(まあ不味いに決まってる)を押し付けて駐車場へ。駅前、すっかり様変わり。
懐かしい(動くのが不思議なくらいに古い)黄色い車に乗り込んで、すかさず鞄から煙草を一本。至福に震えて口に咥える。
新幹線の喫煙ルームなんて、換気が取り柄の押入れみたいなものだ。
何本灰にしようと、正直吸った気がしない。順番待ちのウロボロス。
「おっと悪いな。車内禁煙だ」
非情な宣告。おいよせよ、笑えない。
「なんだ?やめたのか?らしくもない。今更長生き出来るとでも?」
「大人になれよ。ヤニ臭い指で髪を触られたい客がいると思うか?」
「洗えよ、手を。美容師はみんな、そうしてるだろ?」
「落ちないんだよ」とタマヲは云う。表情は変えない。
「落ちないんだよ。どんなに洗っても」
「ふん。そうですか。へえ」
「落ちないんだ。ヤニ喰いにはわからないんだよ、それが」
吐き捨てるような言葉の節々に、ちくりと棘。
なんだい、やけにつっかかるね?
在来線と新幹線とを乗り継ぎ五時間ひとり旅。
独立開業やっと自分の店を持った、是非にと請われて足を運んだ末のご挨拶。恐れ入りますね。はん。
俺はキャメルを胸ポケットに仕舞う。
努めて冷たい声を出す。
「なあ、なにか気に入らないのなら、今ここで降ろしてくれ。良いか?今。ここで。だ。OK?」
タマヲは爪を噛む。見覚えのある悪い癖。
苛立ちに梱包された困惑が、ツーシーターの隙間を埋める。
良くない。これはどうにも良くないぜ。
だが俺は理解する。とっくに知ってる。
長さだけが自慢の腐臭に充ちた腐れ縁。
こんな風に不器用で幼稚な攻撃性を発露する時、タマヲを支配しているのは怒りではない。
わかってるんだ。クソ忌々しい甘えん坊め。
これは、怯えだ。
何かにビビってブルっちまって、それを誤魔化すために必死で強がっているんだ。
甘えんなボーイ、まったく。
「なあおい、何をそんなにビビってるんだ?顔面ブルーなトラブルか?借金か?女か?はん、それとも両方か?」
タマヲは爪を噛む。
片手と肘とで、ハンドルを操り続ける。
とにかく器用なのだ、美容師って奴は。
「話せ。でなきゃ、降ろせ。単純な二択だ、シンプルに行こう」
タマヲは震える唇を開く。祈るように、縋るように。
「笑うなよ?」
「さてね。面白かったら多分笑うぜ」
「蟹が出るんだ。夜になると」
ふむ。
無論笑わない笑えない。
笑い所が見つからない。
蟹が出る。夜になったら蟹が出る。
まあ、語呂は悪くない。
「蟹が出る?」
「そうだ。出る」
「何処に?」
「店に。おれの店に。やっと構えたおれの店に」
「毎晩?」
「毎晩。毎晩だ」
ふむ。
事情はわかったが、その深刻さが伝わらない。
放っておけよ、蟹なんか。
「見ればわかる。店に来てくれ」
否はない。俺、そのために来たんだぜ?
Y**浜。
港も近いその地域に、タマヲの店はあった。
「呑もう」
着くなりタマヲがグラスを出す。
途中でコンビニに立ち寄り、酒とつまみを買い込んである。
「呑もう」と俺も応える。
久しぶりの、故にぎこちない乾杯。淀んだ空気も、ぐっとひと息に。
控えめに灯された、二つのダウンライト。
床に落ちたタマヲの影をぐっと歪ませる。
多分、俺の影も。
それから競う合うように、呑む。
良く磨かれた鏡の前に、次々と空き缶を並べる。
鏡の向こうも同じペース。倍の速度で缶が並ぶ。
酔って尚弾まない。だが微かに話の花は咲く。
近況報告。思い出話。他愛もない。埒もない。
蟹が現れる気配もない。
ただ、ただ互いに酔う。
「しっかしお前、伸び放題だなぁ」
ニコチンの染みてないご自慢の指で、俺の前髪をついと引く。
白く細く、だがお湯と薬品とで皹荒れた指先。
「切ってやろうか。今夜はサービスだ」
よせよ、酔っ払い。耳を切られたら眼鏡が落ちる。
「まあまた次回。金は払う。プロなんだろ?」
ふん。とか、はん。とか云った音を吐いて、タマヲが少しだけ笑う。
「おれはさあ、髪を、切りたいんだ。ずっとだ」
「天職じゃないか。おめでとう」
「髪を切りたいんだ。美しい髪を」
タマヲが少しだけ、嗤う。
「美しい髪ってものが、この世にはあるんだ」
半眼のタマヲ。怪しい呂律と妖しい話題。
「きっとあるんだ、それは。探しているんだ、おれは。清楚な。艶やかな。キューティクルが発熱してるような、触れれば昇天するような、そんな、髪。おれはそんな髪を探しているんだ」
「探してどうする?」聞くまでもない。俺も酔っている。
タマヲは笑う。今夜初めて、明快に。
「はは。そりゃ切るさ。切るのさ。バッサリ!!切り落とすんだ。どんな気持ちだろうな。美しい髪を、切り落としたら?美しい髪を、切り落とされたら?なあ?知りたくないか?だからおれは美しい髪を探してる。おれは探す。きっと見つける。切らせてくれよそれを。なあ?そうだ唸れジョーウェル。おれのスプリーム SPM-570!ははは」
いつの間にか、タマヲの手にはシザーが握られている。
ダウンライトが、影を歪ませる。
タマヲの影。揺れるシザー、光。
ふらりと立ち上がる。
虚空を眺め、虚無を掻き回し、美しい髪を探し始める。
探し物はなんですか。見つけにくいものですか。
シザーが揺れる。巨大なシザー。揺れるタマヲのシザーハンド。
蟹だ。
お前が蟹だ。
蟹はお前なんだ、このおおまぬけ。
俺も立ち上がる。やるしかない。
右足を引き、左手は床と平行に。
掌を立てて、ひと息に踏み込む。
タマヲの胸。撃ち抜く。
どさり崩れる蟹男。
やれやれ。
新幹線で退屈しのぎにネットで眺めた古武術動画がこんな場面で役に立つとは。
なんと云う偶然。神に感謝を。
床に転がるタマヲ。大丈夫、呼吸は安定している。
見たか俺の生兵法。浄化され安らかな寝顔と寝息。
ひざ掛けやケープをひとまとめにして埋めておく。
眠れタマヲ陽が昇るまで。清らかに産声を上げろ。
アーメン。俺は目を閉じ祈る。
隙を突かれる。
酔いが来る。ガツンと暴力的な奴。
油断した。俺は酔っている。いつから、俺は?
慌てる。
ばさばさと顔を洗う。がらっと強く唾を吐く。
鏡。
向こうの俺がうっすらと白い顔つきで俺を見る。
「どうした、お前も何か、不安なのか?」
探し物は何ですか。見つけにくいものですか。
リアル。
そう、俺のリアルが行方知れずだ。
真新しいタカラベルモント製のスタイリングチェア。
目に留まる。腰をおろす。吸い込まれるように。
成程、流石の座り心地。脱力。
お客様と施術者の快適性を両立させる長年の知見が活かされています的な安心感。俺は再び目を閉じる。
少しだけ、眠ったかもしれない。
起きると、蟹に囲まれていた。
タカラベルモント製のスタイリングチェア(ブラックフレーム)に座った俺を、蟹の群が取り囲んでいる。ざわ。
数えきれない。ざっと見ただけでも幾千幾万匹。
どう少なく見積もっても、13匹は居るようだった。
うろうろするな、数え難い。
登ってくる。
赤い蟹。青い蟹。茶色い蟹。蟹蟹蟹。
ひときわ目立つ、紫色の蟹と目が合う。(目が?)
ああ!
なんてことだろう!俺はこいつを知っている。
インスラモン・パラワネンセ。
パラワン島に生息する、鮮紫に濡れた妖しい蟹。
新幹線で退屈しのぎにネットで眺めた蟹の写真がこんな場面で役に立つとは。
なんと云う偶然。仏に謝辞を。
(まったく、一人旅と云うのは雑学吸収にうってつけだ。)
勿論事態は好転しない。
俺は蟹に包まれる。
ジャギ、と軽快な音がする。
髪を?切られている?
おいおいなんだ?どう云うんだ?
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、チョン!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
眼鏡が落ちる。
おいおい、耳?
俺は慌てて鏡を見る。
蟹の隙間から鏡を見る。
そこに俺はいない。
ただ、蟹の塊が蠢くだけ。
俺がいない。
探し物はなんですか。見つけにくいものですか。
俺。
俺が見当たらない。
俺の形が行方知れずだ。
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
観念する。
あばよ、タマヲ。俺のともだち。
どうかどうか、生き延びてくれ。
俺の浄聖気功掌によって清らかに生まれ変わったお前には、明日を生きる資格があるよ。
だから、あばよだ。
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
ジャギ、ジャギ、ジャギ!
俺は消える。
俺はこうして消えるのだが。
ああ願わくば最期に。
煙草を一本、吸いたいな。
キャメル・マイルド。
ソフトパッケージに包まれた、ソフトではないニコチンとタール。
肺一杯に吸い込んで。
だが南無三。煙草は鞄の中だ。
探し物はなんですか。見つけにくいものですか。
(最期だから告白するが、俺は斉藤由貴が好きなんだ。大好きなんだ)
いや、待て。光明。
胸ポケットに一本!
そうだ、すべての伏線は、回収されなければならない。
左手。
躰中で唯一、不思議と蟹のガードが甘い左手を、俺は必死に持ち上げる。
ギチギチと絡みつき防ごうと蠢く蟹の足。攻防。また攻防。
俺の左手が甲羅に触れた途端、苦悶の表情で剥がれ落ちる。
泡を吹いて、悶絶する。
なんだ?
そうだ、ニコチンだ!
俺の左の指先に二十年かけて染みこませてきた洗っても洗っても落ちないニコチンとタールこそが、きっと奴らの弱点なのだ!(これはウィキペディアにもまだ載っていない、俺が見つけた蟹の特徴である。)
なんと云う偶然。悪魔にキスを。
俺は魔力を開放する。退魔の左手を打ち振るい、蟹の大群を駆逐する。
俺は俺を、俺の形を取り戻す。
眼鏡を拾って掛け直す。(幸いなことに耳はついていた。)
屍累々、蟹祭り。
嵐は去り、朝陽が昇る。
平和な、朝陽が。
「お前さあ、なに煙草吸ってんだよ。店内禁煙だぜ」
布の中から、産まれたてのタマヲ。おはようの煙を、君に。ぷー。
「換気をしろよ。美容室はみんな、そうしてるだろ?」
「消えないんだよ」とタマヲは云う。腫れた瞼、虚ろな表情。
「消えないんだよ。どんなに換気しても」
「ふん。そうですか。へえ」
「消えないんだ。ヤニ喰いにはわからないんだよ、それが」
タマヲの云う通りなのだろう。
そして、そうあるべきなのだ。
俺は煙を吐く。密に。密に。
俺に出来る、精一杯の結界。
張り巡らせる。密に。密に。
「ホント、いい加減にしろよな」
洒落者のタマヲ。頬がふっくら膨らんでるのは、どうやら歳のせいでもないらしい。
「悪かったよ」俺は素直に頭を下げる。
「なんだよ、もう」拍子抜けした顔で、タマヲ。
それから「あれっ?」と声を上げる。
「お前なんか、髪さっぱりしたな?」
(追記)
さて。
語り終える前に、幾つか伝えておくべきことがある。
まずタマヲについて。
元気で清らかに暮らしている。俺の気功は伊達じゃない。
今でも洒落者だが、年賀状の写真で見る限り、順調にふっくらし続けているようだ。
次にタマヲの店について。
地元K**大学の学生を中心に繁盛している。もう、蟹は出ない。多分。
最後に、蟹について。
よくわからない。
よくわからないことについては、ひとまず保留したほうが良い。
俺はそう思うし、そうやって生きて行きたいと思う。ホントだよ。
蟹は、蟹だ。
それで良い。
蟹は、蟹だ。
インスラモン・パラワネンセ。
そう。あれはただの、美しい蟹だったのだ。
それで良いのだ、今は。なあ、そうだろ?(ウインクぱちん)
/了
#美しい蟹 (募集してない) #民話ブログリスペクト (拝)
あとがき的な、余りにあとがき的な。
『「美しい髪」コンテストに応募するために、頑張って書き上げました!』
と云う一文とこの無意味なタグを書きたいがために、頑張って書き上げました。ふざけすぎですね。すみません。深く反省してるフリが得意です。
恥を承知で申し上げますが、私が最初に思いついたのは「黒い髪を掻き上げながら赤い蟹を掻揚げる彼女の姿」と云う素晴らしく美しく詩的な駄洒落で、「これは来た!」と興奮してただそれだけを頼りに書き始めたのですが当然ながら結局使う機会が微塵もなかったので、ここに披露しておきます。なにひとつ、来てませんでした。
あるいはこれは没ネタ祭に投稿すべきものであったかもしれないと、今は深く反省しているフリをしています。すみませんすみません。
「美しい蟹」コンテスト、みなさまの応募作も楽しみにしております。