どこだろうね。
「逃げちゃ駄目だ」と「俺は駄目だ」が手を取り合って三段論法、つまり。
俺は逃げる。
何処へ?明日へ?でも明日はどっちだ?
「え、ご乗車有難う御座います。この列車は23時55分E駅発、明日行きで御座います。お乗り間違えにご注意下さい。勿論今更ご注意戴いた所でどうなるものでも御座いませんし降車口など御座いません。これも運命。この列車は当駅を発車致しませずに各駅に停車致しませずに然る可き後に然る可くして明日に到着致します。または到着致しません。それも一興。お座席は全席不自由席と成っております。金縛り・悪夢・思い出したくない過去・思いがけない展開・逢いたくない影・傷付いたロゴス・放埓なイデアなどが度々お伺い致しますがどうぞ予め白旗挙げてご了承下さいます様、慇懃に、顎を突き出しながらお願い申し上げます。な?定刻まで3秒ほどお時間御座います。要するにもうお時間御座いません。じたばたせずに座ってろ。閉まるドアにご注意下さい。ご注意戴くのみならずご注目下さい。ご刮目下さい。ご謹聴下さい。宜しいですか?はいパタン。ほら破綻。只今閉まりました。では改めましてようこそ、閉じられた箱へようこそ。逃げられないぞ?」
ジリリリリン、とベルが鳴る。
ガタン、と衝撃。ボウッ、と蒸気。汽笛一声俺を乗せ、いざやと汽車が走り出さない。俺を乗せた汽車は走り出さないしかし俺が座る座席はカタカタと小刻みに揺れる、揺れる座席そうだ理由は簡単で単純つまり俺が身震いしているから俺の身震いが座席を汽車を世界を揺らすカタリカタリ。寒いんだ。酷く寒い。薄く開いた車窓、錆び付いているのか凍み付いているのか幾ら引いても閉まらない窓から、冬の深更が降り込むんだ。霰のように雹のように間断なく打ち付けるそれが俺を叩き穿ち、流れる血と共に熱を奪う。「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの体温です」さすが不自由席。乗降車口の無い閉じた箱、そこに空いた唯一の罅割から我が物顔の冷気が這入り、替わりに泣きっ面の溜息が出てゆく。恣意と作為のハローグッバイ、粉飾決算ホメオスタシス。文句の一つも云ってやろうかと思うだけ思って苦い唾を呑み込むそんな俺を色で表すなら薄い青、引っ込みシアンって訳なんだだから良い子で震え続けるんだ。寒いんだ。眠いんだ。酷く眠い。
ひとつ、雷のような音がして、白い馬がやって来る。ヨハネの黙示録第6章的な顔をした白い馬。何の騒ぎだ。俺は腕時計を確認する。23時55分20秒。まだ20秒しか経っていない?莫迦な。もう32秒は経過した筈だと俺の正確無比な腹時計とジョーク、しかしBuuui!と白い馬が嘶くのでそれどころでは無い。馬の背に男が在って、頭に冠をいただき、手には弓矢を持っている。知らない男だ。鞍に消えかけの文字、目を凝らして見れば『HOWAITO-RAIDAA』成程ホワイトライダー、しかし何故ローマ字なんだ。ローマ人なのか。問い詰めたいがまたひとつ、雷のような音がして、赤い馬がやってくる。大きなつるぎを手にした見知らぬ男。止せよ、物騒じゃないか。続いて黒い馬が、はかりを持った男を乗せてやってくる。オリブ油とぶどう酒の芳香。車内販売にしては愛想が悪いね。そして最後に、蒼褪めた馬がやってくる。
乗っているのは、俺の友達だった。
俺は腕時計を確認する。23時55分21秒?莫迦げてる。
諦念の淵で俺は笑う。「乗馬で登場!そんな柄かよ」
友達も笑うハハッと軽く。「笑うなよ。結構練習したんだぜ」
そして沈黙。静かな沈黙。閑散とした森閑たる沈黙の世界で時間が流れる時間が流れる。秒針が走る走り廻るぐるぐる廻る。遅れを何かを誰かと誰かを誰かが誰かを取り戻すように突き放すように。だが。
ジリリリリン、とベルが鳴る。
どうやら明日に到着したらしい。ちょっと急だが、逃亡劇を仕切り直すにはちょうど似合いのタイミング。
ジリリリリン、とベルが鳴る。鳴り続ける。
ジリリリリン!ジリリリリン!いや違う、これは。
電話だ。
「もしもし?」
「窓を開けなよ」
「何の話だそちらはどちら?」
「通りすがりのただの親切な好青年であるおれが誰かなんて、この際どうでも良いと思わないか?どうでも良いし誰でもいい、でも要するにムラノだよ。とにかくさっさと窓を開けなよ」
「窓は開かないよ。錆びちゃってるんだ。ここは不自由席なんだ」
「違う」と電話が云う。
「違うよ。お前はその窓が『閉まらない』って云ったんだ。そうだろう?認知と言質が重要なんだ。『開かない』事は、まだ観測されてない。なんて、さ。これは、ただの、ペテンだよ。わかってるだろう?じゃあ、またね」
電話は切れる、窓を引く、それはすうっと開く音も無く。
窓が開く。俺は還る。
俺は還る。
何処へ?現実へ。現実へ?
なあでも現実って、何処だろうね。
/了