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フランス革命は文化である

リン・ハント,2020(原著2004)『フランス革命の政治文化』松浦義弘訳,東京:筑摩書房

フランス革命の政治文化

人間関係のアップデートとしての大革命

フランス革命の歴史的意義をどのように捉えるか。著者は、先行研究として、3つの流派を取り上げている。一つ目は、マルクス主義の歴史家たちの流派。この流派によれば大革命はブルジョア階級による貴族階級の打倒であり資本主義へ至る道を切り開いたものである。二つ目はフュレに代表される修正主義派。この流派は、貴族とブルジョアの対立は無かったと考え、革命の主体を自由主義の貴族などに求める。彼らにとって革命は、自らの出世の機会を得るための戦いであった。そして、この戦いによって資本主義の到来はむしろ遅れたと論ずる者もいる。三つ目は、トクヴィルに影響を受けた歴史家たち。この流派は、革命前から進んでいた中央集権国家が、革命により一層前進したとする。大革命は革命により打倒した旧体制の本質をそのまま踏襲し、推し進めたとする。

これら先行研究に対して、著者が明らかにしたのは、大革命は、言説・ファッション・偶像などの表現活動を通して、意識的にミクロな人間関係に影響を与えようとした歴史上初めての政治的活動であったという点である。

「重要なのは、フランス革命は、政治がきわめて可能性のある活動領域として、意識的な変化の動因として、人間の性格や文化や社会関係を形作るための鋳型として発見された瞬間であったということである」(p 372)

表現活動を支えたモチーフ:他者との透明な関係

フランス革命が表現活動であるとして、その活動を支えたモチーフは何であったのか。著者は、ルソーの影響を中心に取り上げている。ルソーは、社会の中で他者を出し抜くために自己を偽り演技し、もって自分の特殊な利益を確保せんとすることを嫌っていた。自分に誠実になることで、他者との「透明」な関係を構築し、特殊意志ではなく一般意志によって他者と繋がること、これが革命表現のモチーフとして機能した。美しい思想である反面、政治的にはこうした「透明」の追求は、自由主義的な政党政治の可能性を塞いでしまう。なんとなれば、政党というのは特殊な利益を代表するものであり、人民の一般意志を透明に映し出すものではないためである。実際に革命のどの時期においても、一つの党派が党派的利益を追求することはできなかった。どの党派も他者が一般意思を阻害する陰謀を持っていることを主張して権力を握り、同じ理由を主張する他者によって破れさった。このように透明のモチーフは、マクロな政党政治を不可能にする。

「1790年代のフランスでは、党派政治は陰謀と同義であり、「利害」は統一した国民に対する裏切りを意味する言葉だった。個別的なもの(そして利害は定義上全て個別的であった)はすべて、一般意志を分裂させると考えられたのである。たえざる警戒とあらゆる政治の公開性は個別的な利害と徒党の出現をふせぐ手段であった。これらの観念の背後には、市民と市民、市民とその政府、個別意志と一般意志との間の「透明」の可能性と望ましさに対する革命期の信仰があった。」(p96)

もしもすべての人民が、自分の個別の利害を離れ、己の心の発する声に忠実であれば、素晴らしい共同体を作ることができる。しかし、何ら教育もないままでは、ただの夢想に終わるだろう。したがって透明な関係を民衆に啓蒙するために、レトリック、シンボル、儀式を徹底的に活用することは、政治家たちにとって必須の活動であった。政治家たちは、人民の日常生活を政治化したのである。

若干のまとめ

フランス革命に、ミクロな人間関係を律する「政治的なもの」の胎動を見出し、具体的なレトリックやシンボルに触れながら、その歴史的な特徴を論じていく本書から学ぶところは大きい。実際に大衆は、革命祭典などの体験を通して、徐々にフランス特有の民主共和主義の論理とレトリックを習得していったのだろう。

一方で、民主共和主義の理念は、ナポレオン時代そしてその後において、どのような展開に至るであろうか。そして、そもそものモチーフであった透明な他者との関係は、果たしてその後の時代においても、多くの人を魅了する思想であり続けたのであろうか? 現実政治の世界で、このような透明性の実現を望むことはできないだろうが、問題は実現可能性ではなく、思想として人々の日常生活に浸透するほどの説得力や魅力を持ち続けうるのか、そこを考えてみたい。




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