667人の中のひとりのあなた

たびたびブログに書いてますが
わたしは『緘黙症(かんもくしょう)』でした。


今では緘黙症だったことを失念するくらい
ふつうに(多分)喋れるようになりました。


とはいえ、喋るのは得意ではないし、
人といるよりも一人が好き。
ということを
自分に認めてあげられるようになってからは楽になりました。


そんな失念していた緘黙症ですが、
(「今」に集中するクセができたから、過去のことに固執しなくなったのと、そもそも緘黙症に馴染んでいないことから忘れます)


先日家族がとあるマンガを借りてきたことから
過去を振り返るキッカケに。

「古見さんは、コミュ症です。」


ヒロインの古見さんは一見
男女ともに好かれている美少女なのですが…

あ、この人「緘黙症だ」


緘黙症がマンガのヒロインだよ。


最近のマンガはスゴイね!


マンガ自体は面白いし、
古見さんは可愛いのですが、
緘黙症だった者からすると若干ザワザワします。

本人はツラそうだけど
基本みんなから好かれてるし、
親や周囲から温かく見守られてる。


(ただ注目を浴びる存在なのは、
それはそれでしんどいかも)

え、筆談アリなんだ⁉︎

自分が緘黙症で苦しんでる最中だったら
もっとザワついてますね。


あの声を出そうとしても出せない辛さ。

魔法で口がきけなくなったかのような
自分ではどうしようもない苦しみ。

なんで声も出せず、体もこわばるのか
不思議でしたが、

あれは


恐怖と不安で動けなくなってる状態でした。


幼稚園に行き出した時からそんな状態で
学校生活は地獄。


ひととは違う。

オカシイのがバレたら大変だ。

目立たないように、透明でいよう。


一人でいるとイジメられるかもしれないから
スキを見せないようにしよう。


でも友だちと遊びたい。

人に頼れないから、一人で解決。


喋れないし、バレたくない。


助けてほしいけど、なんて言ったらいいかわからない。しゃべれない。


親はあてにならず、
先生にも気付かれず。
(おとなしい子で終わる)
気づかれたとしても
せいぜい発達の遅い子扱いでおわり。

調べても当てはまる病気はない。
(当時は)

心理学もあてにならない。


誰も同じ人がいない。


わたしはなんなんだ?


ただの甘え?努力不足?


生まれつきの異常?障害?

なんで喋ろうとしても声が出ないの?


絞り出した声は変な声だし、
余計に喋りたくない。


という感じのまま、社会にでた。


引きこもりたいが、そのカードは
幼稚園で使ったのでもう使えない。


ひたすら「慣らす」


慣らす慣らす慣らす。

経験をつんで、不安と恐怖を和らげ
緊張を軽減することでしのいできた。


ある程度社会的に生きれるようになっても
決定的な他者との違いは拭えない。

オトナになってから、
ようやく自分に当てはまる
症例を知った時の安堵感。


自分が何者だったのかようやくわかった。

ふつうに過ごせるようになると忘れるけど


「そういえば、喋れなかったんだ!」

とおもえば

今こうして喋れること自体スゴイこと。

それで思ったのが


「もっと緘黙症の認知度が上がれば
自分がなんで喋れないのかわからなくて
苦しんでいる子に伝わるのではないか?」


ということ。

なんで喋れないのか?
の理由がわかるだけでも楽になれるから。


4〜5歳くらいのこどもが

ようやく外界に出て、
コミュニケーションや集団生活、
社会性を身につける大事な時に
それを獲得する機会を奪われるのって
後の人生に多大な影響を及ぼします。

物心ついた時からはじまる
埋められない孤独感。
他者との溝。

これを埋める術はあるのかな?


ちなみに発現率は

667人にひとりだけ。

99.85%はふつう(に喋れる)のひと。
割と希少…


多分その地域に一人きり。

緘黙症って人に言わないし、
わたしも死ぬまで誰にも言わないつもりでいたので、
(ここ最近、ようやく言えるようになった)
ふつうに過ごしてたら、

同じ緘黙症のひとと出会うことがない!
(下手すりゃ緘黙症だと知らないまま)


でももしいるならば、
でもってこのブログを見てる人がいたならば。


お茶会とかしてみたい…!


生きてるうちに、同じ人に会ってみたい…!

というのが


やりたいこととして出てきました

お茶会が開けたら奇跡だね〜

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