精神疾患持ちが一般病棟へ入院することの難しさ
ある日胆石発作と総胆管結石で救急車を呼び即入院となるものの、精神疾患持ちゆえに不安と眠れないことにより精神崩壊しかけ、精神安定のため個室を利用したため金銭面でも不安が爆発した話(結局胆嚢は取らず、EUSという内視鏡のみになりました)
また精神疾患持ちゆえの収入の低さから身体で入院する場合の金銭面の不安など
精神疾患持ちで入院が怖い方などの参考になれば幸いです。
また健常者の方でも不安症というのは普通の不安とはこんなに違うのかと思っていただけると幸いです。
なかなか一般のお医者さんや看護師さんにも理解されませんでした。
(なかなか理解されづらい病気なので仕方ないです)
簡単な自己紹介
年齢→30代前半
家族→母、兄(ふたりとも同居)
持病→双極症、パニック症、嘔吐恐怖症、不眠症
入院を勧められたことがあるくらい病状は不安定です
発症理由→新卒で入った会社の過労とハラスメントの数々
病歴→10年
服薬→バルプロ酸、ヒルナミン(入院途中から休薬)、デエビゴ、リボトリール、ソラナックス
仕事→親の扶養内で自由業(ドクターストップのなか必死に働いています)
いつから症状があったのか
始まりは2024年8月。パニック症の再発から話は始まります。
粉瘤が出来てしまい、腫れが酷いので切開排膿をすることになりました。その際の過緊張と局所麻酔の影響かパニック症が1年ぶりに再発悪化。
それまでは1人で電車に乗ることも全く問題ありませんでした。
しかし再発してから近所に10分散歩することも困難に。
10月の上旬に粉瘤の袋ごと取る切開縫合の際は事前に飲んだ抗不安薬と、お医者さんや看護師さんが励ましてくれたのと、母が車を出してくれたおかげで乗り切れました。
パニック症が再発してからはゲップが頻繁に出て吐き気があり胃の調子が悪くなりました。
元々噛みしめも酷く歯医者でマウスピースを作るほどで、検査はせずストレス性か呑気症かということでメンタルクリニックで処方されたガスターとナウゼリン、漢方の半夏瀉心湯を飲んでいました。
しかし症状はよくならず。
粉瘤の傷が落ち着いたら胃カメラでもしようかなと思っていました。
(過去に鎮静剤などを使わず口からの胃カメラをした際の嘔吐反射でトラウマになっていて延ばし延ばしになっていました)
突然の激痛
10月7日(月)朝方3時ごろ
寝ている最中にみぞおちと右側の背中に激痛があり、ガスターとナウゼリンを飲むも収まらず、痛みが強くなるとともにTシャツが湿るくらいの脂汗が出る。
これは救急車を呼んだほうがいいかと悩むも過去に呼んだ際
・1回目は薬剤性アナフィラキシー
・2回目はたぶんパニック発作が原因
という結果だったので、パニック発作だった場合申し訳ないと思い痛みを我慢しました。
5時くらいになると痛みも治まり、眠気もあったのでウトウトと再入眠しました。
お昼ごろ起床して病院に行くか悩んだものの、ストレス性だとしても診て貰ったほうがいいなと思いかかりつけで消化器に強いクリニックへ。
エコーをしてみるも食事をしてから3時間しか経っていないからか不鮮明で「胆嚢に石があるようにもみえるが、たぶん壁が分厚くなっているだけ」と言われました。(ストレス性だと思っており今回は問診だけで後日胃カメラの予約だと思っていたのでご飯を食べてしまっていて申し訳なかったです)
クリニックではCTができないため提携先の放射線専門クリニックを土曜に受診予定となりました。
ブスコパンを処方されたのでそれを服用することになりました。
痛みが再来
クリニックを受診した2日後の10月9日(水)朝方4時ごろ
中途覚醒で起きてしまったのかと思いきや、また鈍い痛みが襲ってきました。
月曜の痛みが10だとすると7くらい。
処方されたブスコパンを服用するもよくならず。
ここに来ても救急車を呼ぶことに不安があったので、ひとまず「救急安心電話相談」に連絡をしてみました。
いまの状態と月曜のクリニックでの胆嚢の件を説明すると「救急車を呼ぶか、夜間診療にいますぐ言ってください」と言われたので、夜間診療にタクシーで行こうかと思い紹介された病院に電話。
しかし喋ることができるのと歩くことができるということで夜間診療を断られ、外来の時間へお越しくださいと言われました。
そのころには朝6時になっていて母が起きてきたので状況を説明。
痛みで呻いている様子に救急車を呼ぼうということになり、結局夜間診療を断られた病院へ運ばれました。
入院することに
点滴と採血をされ、すぐにCT検査。
40分ほどして胆嚢胆石症とそれに伴う肝機能障害と診断され即入院となりました。
入院期間は1週間以上との説明を受けました。
胆石ができやすいのは一般的に4F(女性、肥満、40歳以上、出産経験あり)らしいですが、私が当てはまるのは性別のみ。
親戚で胆石と診断されたものもいません。
タバコも吸わない、お酒も飲まない。油ぽいものも全然食べない。心当たりがあるとすれば、お金がないのでお昼はカップ麺が多かったこと。ストレスは常に感じていること。
胆石なんかになってしまった自分が悔しくなりました。
病棟にうつされて仕事先に休むことをまず連絡。
検査があるまで時間が空くので、スマホで胆石症について調べてしまって怖くなったり、自由業なので長期休むことでのデメリットなど考えると涙が止まらず、看護師さんがびっくりするほど泣き腫らしていました。
入院を知った友達が励ましてくれて頻繁に連絡くれたことが支えとなりました。
6時頃看護師さんが点滴交換にきたのですが、救急車で運ばれた際も救急外来でも以前薬剤アナフィラキシーがでた薬は伝えていたのに、その薬をまさかの点滴で使用していたことが判明しました。
看護師さんは青ざめていましたが、とりあえずなにも症状が出てないのでそのまま様子見することに。
結果がよかったからいいもののアナフィラキシーが起きてたらと思うとちょっと怖くなりました。
これにより点滴も怖くなりました。
部長回診が始まる9時以降から慌ただしくなりました。
白い巨塔ほどではないですが、お医者さん2人に医局の方、看護師さんなど6人くらいで回ってきます。
調子が変わりないか聞かれるだけで終了でした。
10時頃に初めて主治医と顔合わせ。
※人種差別ではありませんのでご理解ください※
主治医は中国人の方で少し日本語が不自由でカタコト気味。
病院の経歴を見ると中国にある医学部を卒業後、まだ日本に来て14年らしく日本語は完璧ではなくコミュニケーションも問題がありました。
婦人科で通っていたところも中国人の先生だったこともありますし、日本人の方ではないことに抵抗はありませんでした。
しかし痛みやなにかを伝えても微笑んで終わりで会話のキャッチボールがあまりうまくできません。
看護師さんから伝わってるはずのことも全て知らないという返答ばかり。
手術をするかもしれない状態で日本語のコミュニケーションがとれないのは凄く不安でした。
11時ごろからは検査続き
・造形剤を飲むMRI
→閉鎖からパニック発作が起こり、上手く呼吸できず怒られました
絶引水なので薬も服用できず、乗り越えるのが大変でした
ただ絶飲水のなか造形剤とはいえ水分をとれて嬉しかったです
・X線
・エコー
病院自体スタッフさんの連携があまり取れておらず、病状のことや入院の持ち物など質問したことの返答が2~3時間後だったりと、具合の悪いなか今後どうするのか全く聞かされていなかったので不安が倍増します。
結局その日は主治医が外来担当で時間がないということで病状説明はされませんでした。
明日の夕方ごろ病状説明予定ということで母は有休をとってくれました。
ここから始まる発作と不安と不眠
そしてやってきた夜。
消灯が近づく19時ごろ。
消灯は21時なので眠れるかな。すぐに手術になるのかな。など考えていると襲ってくる不安感。
リボトリールとソラナックスを飲んでも収まりません。
いつも頼りにしている母はいません。ちょうど母は用事があって電話もできませんでした。
持ってきてもらった小説や、電子書籍リーダーを読もうにも目が滑るようで内容が頭に入らずやることもない。
どんどん増す不安感に耐え切れず、せめて迷惑がかからなそうな消灯前に、と20時半にナースコールをしました。
入院が怖くて眠れないこと。
手術が怖いこと。
認知症の患者さんがいてずっと怒鳴っていること。
同室の患者さんで心電図モニタが危険のアラームが常になりっぱなしの方がいてその音が怖いこと。
など相談しました。
普通の方なら気にならないことかもしれませんが、命に係わることはパニック発作を誘発しやすく耐え切れませんでした。
ひとまずの対策としてベッドが空いていることもあり、別室にしてくださいました。
それでもやはり怖いため早めに眠剤を飲むことに。
いつもは24時過ぎてから飲みますが、そのときに服用したのが21時。
不安感が勝りすぎて一切効きませんでした。動悸が激しいのが自分でもよくわかりました。
またナースコールをして、抗不安と眠剤が一緒になっている点滴を打つことに。
しかし重度の不眠症の私には一切効かず。
(普通の不眠の方でもここまで飲めば昏睡してしまうレベルの量を普段服用しています※もちろん処方量内です)
もう眠れないのではと思うとまた怖くなり、トイレに行ったり気を紛らわせましたが落ち着かず、またナースコールをして看護師さんに話を聞いてもらい背中を撫でてくれました。
ゲップを伴う吐き気、絶食のためお腹が鳴って空腹を感じることなど苦痛で仕方なかったです。
(何度も呼び出されてる看護師さんのほうがしんどいと思いますが)
身内に何人も看護師がいて夜勤の大変さを知っているので、呼び出しすぎている自分にも罪悪感が強く出てより不安で潰れそうに。
看護師さんに大丈夫と伝えて一旦横になってみました。
が、やはりウトウトもせず。
眠剤は飲み切ってしまった。
1回しか落とせない眠剤入りの点滴も終わってしまった。
そんな絶望からベッドに座って泣いていました。
少しアカシジアみたいな症状も出ていました。
気分転換に消灯後の病院を歩いて気分転換しつつ、自販機で冷たい麦茶を買って気持ちをすっきりさせられるよう頑張りました。
泣き疲れからなのか横になってみると、24時~3時まではウトウトと眠ることができました。
もしかしたら点滴が効いてきたのかもしれません。
眠れたとはいえ起床まではあと3時間。
そこからは起きてしまい小説を読みたくても、不安が強かったり眠れてないせいか、頭に内容が入っていかずスマホをいじるのみ。
スマホではだめだと思いつつも病気の検索をしてしまいます。
多発するゲップに苦しめられながら朝までベッドに座ってました。
幸いだったのは朝3時ごろに救急車で運ばれてきた方が同室になり、打ち合わせなどで人の出入りや会話があったので気が紛れました。
しかもその方も胆石だったようで「心臓発作かと思った」と看護師さんにお話しされていて親近感が湧きました。
その方も寝付けないようで話しかけたかったくらいでした。
眠れぬ夜の次の日(入院2日目)
10月10日(木)
朝の部長回診。
救急搬送された9日に別の形成外科でやった粉瘤手術の抜糸予定だったのですが、入院していけなくなってしまったため回診の際に抜糸をお願いしました。
数人いるお医者さんのなかでやってくれたのは研修医の方でした。
抜糸すら怖かったビビりなのに、順番にチョキチョキ切るんだねーなんて指導を聞いていたら、寝てないせいかハイテンションで抜糸されていました。
傷跡も綺麗だよと外科のお医者さんに言われたので安心しました。
朝はまた採血をしてその日は他の検査なし。
「寝れたら寝ていいですからね」と看護師さんに言われるものの、もちろん一睡もできず。
10時頃、主治医が病室に来ました。
病状説明は夕方ごろと言っていたのですが、早ければ早いほどいいということですぐに母に連絡しました。
11時半に母が到着して主治医からの病状説明が始まりました。
病名は「胆嚢胆石症」「総胆管結石の疑い」とのことでした。
あまり眠れていないことや不安感が強いこともあり、今後の手術にはメンタルが耐えられないのではという心配があり、精神科のある総合病院に転院するのがいいのではと言われました。
入院中のメンタルに加え、手術関係で発作等起きても精神科がない病院だと不安薬を投与していいのかもわからないため、薬を処方できないことが多いので病院としても不安というお話しでした。
耐えられない自信しかなかったので転院を希望しました。
今かかってるメンタルクリニックに患者情報を取り寄せてから、近い病院に連絡をしてくださり決まり次第転院ということになりました。
(他害や自傷のある方は時間がかかるけど、私の場合は不安と不眠のみなので決まるのは早いだろうということでした)
少なくとも明日以降ということでしたが、今夜も寝れる自信はありません。
そのため母から金額はかかるが個室に移動して付き添い入院はどうかと提案がありました。
母に仕事を休んでもらうことや付き添いしてもらうことへの罪悪感は凄かったのですが、
これ以上看護師さんに迷惑もかけられないのでお願いしました。
個室を用意していただき、母は一旦自分の荷物や入院で足りないものを取りに自宅へ。
その間も不安は収まらず、ノートに入院中のことを記録したり、不安なことをずらーっと描きこんでました。
iPadで落書きをしたりと気を紛らわしていました。
その間親戚から入院についての電話がきたり、入院先の病院から話を聞いたらしい月曜に受診したクリニックの院長から電話がありました。
月曜にクリニックを受診した際に検査したのがたまたま研修医の方だったことや、エコーをした先生が不慣れで機材の使い方もちょっとわかってなかったので途中院長が指導には来ましたのに、その際院長は違和感に気が付けなかったこと。
病院側として胆石を見つけられず救急車に乗る痛みを経験させてしまったことが申し訳ないと、30分間くらい現状の話をして謝罪を受けました。
私が飲食してしまっていたことも原因ですし、クリニックには一切恨みなどはありません。
とてもいいクリニックで一生通いたいほどですし謝られるのも申し訳なかったです。
こうやって電話してくれて、消化器系に強い方なので入院した先の主治医よりも今後のことを詳しく教えてくださったりして本当に優しい院長だなと思いました。
そうこうしているうちに消灯時間近く。
このころにはまた不快なゲップが頻繁に出ていました。
自宅で夜ご飯を食べて、入浴し、着替えなどを持ってきた母が到着したのは20時半。
個室なのと個室周辺は入院患者もいなかったので気を紛らわせるために母とずっと話してました。
絶食中の私の前でお菓子を食べる母がマイペースで少し癒されました。
それに母はのび太君タイプですぐ寝付けるので、眠れないかもと心配している私の前でウトウトしていたりしました。
その様子を見ながら24時頃に眠剤を服用。
自宅でも母がいても不眠やパニック発作は起こるので、きっと今回も無理だろうと諦めつつの服用です。
明かりはなるべくつけたまま横になりましたが眠気は来ず。
寝付けないストレスから個室についてるトイレに行ったり、個室内を歩いてみたり。(たぶんアカシジアです)
中途半端な筋弛緩と30秒に1回出るゲップと胸やけ、謎の頭痛で横になっても不快感が強く発狂しそうになりました。
これではどんなに頑張っても眠れないと、ナースコールをして痛み止めと吐き気止めを点滴することに。
点滴が終わるころ大体3時頃になっていましたが、頭痛は収まったもののゲップや吐き気は収まらず。
何度もくる看護師さんと私のやり取りの騒がしさに母も起きてきて背中を擦ってくれました。
ゲップが気持ち悪くて座ることもできず、ベッドの淵に掴まりながら蹲るしかできない私に、母も「かわいそうで見てられない」と言っていました。
前日もほとんど眠れてないこともあり、看護師さんがとりあえず当直の先生に聞いてくださるとのことで、当直の先生(部長回診のメンバー)がわざわざ部屋まで来てくださいました。
「ゲップが多発する病気はない。メンタルから来てるか、メンタルで飲んでるお薬って結構胃にきたりするから、それのせいでゲップが止まらないのかもしれない。ただでさえたくさん精神科のお薬を飲んでいるから薬追加して悪化する場合もある。だからとりあえず我慢するしかない。ゲップが出ることに意識を向けないで。とりあえず朝のミーティングで話し合うから9時まで我慢」
と言われ先生退出。
抗不安と眠剤入った点滴をするか聞かれたのですが、昨日効かなかったのと妙にソワソワするので断りました。
スマホの時計を見ながら時間が過ぎるのを待つのみ。
母は当直の先生が退室したら簡易ベッドでぐっすり眠っていました(笑)
6時頃になり一旦横になるかと思って横になると、一瞬で入眠できて完全に眠れました。
7時半の検温で起こされましたが、言葉を発するのが難しいほど眠気が残っていました。
たぶん連日の眠剤の筋弛緩が残っているようでした。
起きすぐ揚げ物を食べたあとのような胸やけ感は続いていたので、それはしっかり看護師さんに伝えました。
起きてしまったため、再入眠はできないため起床。
部屋の掃除や部長回診があるので8時頃母を起こすと、シャキシャキと動き始める母。
それを見ながらボーっと過ごしてました。
9時頃に部長回診があり当直の先生もいましたが、吐き気については一切触れられず。
部長がその当直医に「○○って処置うまいんだからやってあげればいいのに」とかニヤニヤしながら話していたのが悪い意味で印象的でした。
看護師さんに主治医がこのあとすぐくると言われたものの待てど暮らせど来ず。
ベッドの頭の傾きを変えれば吐き気もつらくなくて楽なのではと頭の位置を高くして横になったところ、30分ほど寝てしまったらしく母に起こされました。
私が寝ている間にナースステーションに聞きに行ったところ、どうやら主治医の出勤は午後からで午前中はいないとのことでした。看護師さんが把握してなかったようです。
検査とかもなくやることがないので、家のことをするために母が一旦帰宅することに。
不安感が強かったですがなんとか送り出しました。
テレビが無料だったのでテレビを見たりiPadをいじったり。
絶食なので病院食はでませんが、代わりに昼ご飯の時間に温かいお茶が出たのは嬉しかったです。
病院内が少し涼しかったのとほっこりしたくて自販機で暖かい飲み物を買っていたので、病院が出してくれるのは嬉しかったです。
13時ごろに主治医がやっと来て、寝れなかったのを心配されたのと吐き気について問診。
しかしお腹を触るのみで「大丈夫」と言われ終了。
午前中には転院先が決まってたそうなのですが看護師さんが通知するのを忘れていたらしく、急遽先生も交えての話し合いが決定して母を呼びました。
15時半から手術の準備が始まるから早く来て欲しいといきなり言われて、母が急いできてくれたおかげでなんとか15時から話し合い。
転院先は精神科も診療内科もある大きな病院でした。
(病床数は最初に入院している病院が300床ありますが、一般病棟と精神科あわせると330床を超えるのでこちらのほうが大きいです)
土日祝を挟む影響か転院受け入れが10月15日(火)と日が空くことがわかりました。
そこまで入院するか胆石発作がでないように飲食に気を付けて退院するかを聞かれ、このまま入院となると個室で母の付き添いになるので、金銭面の心配(個室は1日16,000円)や眠れるかどうかの心配があり退院することに。
16時に点滴が終わるのでそれにあわせて退院。
転院先での手術などは怖いですが、それでも自宅に帰れると思うと嬉しくて数分で帰宅の準備が整いました。
一旦帰宅(再入院までの4日間)
母が車を出してくれていたので、車に乗った瞬間から脱力感。
家に帰ったときには3日しか離れていないのに懐かしくて泣きそうでした。
別に自宅のベッドでも眠れないときは眠れないのに、それでもやはり安心感は違いました。
帰宅早々ゆっくりしたかったのですが、転院先での入院日数がわからないためメンクリの薬を2週間分はもっていかなければならず、手持ちでは足りないので急いでメンクリへ。
主治医は入院先抜け出してきたかと思ってびっくりしていました。
結構あっさりめの主治医なんですがたくさん話を聞いてくださり、眠剤も一時的に増やして貰いました。
色々と今後のアドバイスもくださいました。
メンクリの主治医は「胆嚢取っちゃえばスッキリするから、不安がって日数経つうちにとっちゃえばいいのにね!」と言っていましたが、さすがにそれは病院側も本人も無理です。
帰宅後は胆石発作が起きないように重湯に近いお粥を茶碗の半分くらい食べました。
調味料もなにもいれていませんが、お米の甘さと温かいご飯に泣きそうになりました。
3日間絶食していたのでなかなか胃が受け付けてくれず空腹なのに食べられない。
無理はしないでとりあえず水分だけたくさんとりました。
眠剤を増やしたからか寝てないからか気絶するように寝ました。
その後も転院までの間は味付けなしのお粥を食べて、胃が受け付けるようになったら胆石に影響のない具材の温野菜だったり、お味噌汁を少量だけ口にするようになりました。
ひとつ変化があったのは入院のトラウマや再入院の不安から、電気をつけていないと眠れなくなりました。
以前からも不安が強いとその傾向はありましたが、今回はそのレベルを超えて、廊下の電気が消えてるだけでも怖くなりました。
一旦自宅に帰宅できたことで、自分で持っていきたい入院グッズもしっかりと用意ができたのは僥倖でした。
再入院と言われていたのに入院予定日が延びてメンタルブレイク
10/15(火)さあ、再入院!
前回退院してから4日後に転院先の病院に行きました。
退院してから上手く眠れていたこと、ある程度覚悟が決まっていたのか気持ちは前向きでした。
しかし病院に行ってみるとERCPという内視鏡の予約がいっぱいだから1週間後に入院と言われました。(入院準備の付き添いで母が休みをとってくれたのに)
また前の病院では胆石があるため胆嚢全摘だと言われていたのですが、こちらの病院では温存の方向でと言われました。いますぐ手術とならなかったことは嬉しかったです。
来週宜しくお願いしますと言って病院を出ました。
しかしここで覚悟が崩れ落ちたのか、帰宅してから身体に異変が。
せっかく覚悟を決めていたのに1週間も延びてしまい、そこまでメンタルや胆石に問題はないのか。
ERCPの合併症の説明で怖さが出てきたこと。胆嚢全摘はしぬほど怖いものの、とらなくても問題ないのか。そういったことが時間が経つとともに不安感として大きくなっていきました。
そしてそれとともに止まらぬゲップ。
その日の夜からゲップが頻発し、嘔吐恐怖症の症状が強くでてしまい朝6時ごろまで苦しみました。
ゲップは落ち着かないものの、飲んでる眠剤が強すぎてそこから3時間ほど眠れました。
メンタルブレイク2日目
10/16(水)
起床後ゲップをどうにかしたいと思い、元々仕事が休みの母にお願いして再入院先の病院へ。
胃の動きが悪くなっているのだろうと問診とお腹を押して診断。
漢方の六君子湯と胃酸を抑える薬を貰いました。
胃の動きをよくする薬は胆石を動かしてしまう可能性があるため飲めないとのことでした。
もちろんすぐによくならず。
ゲップがメンタルをどんどん悪くしていきます。
食欲もなくなり19時くらいには希死念慮まで現れてきました。
母は翌日から普通に仕事に行く予定でしたが、家にひとりでいたら最悪の選択をしてしまいそうで相談しました。
情けないことに大泣きしながら「入院が怖いこと」「入院までの日数が延びて心が折れたこと」「全摘が怖いとかいいながらも希死念慮が出ている」など不安なことなど全て暴露しました。
幸い母は育児ノイローゼで鬱になり不安定な時期も長かったのでメンタルにはある程度理解はあります。(ただ病名も違いますし、根性論に近いタイプで考え方の違いはあります)
さすがの母も私の状態に1人にするのはまずいと思って仕事を休んで、しかも私の部屋で一緒に寝てくれることになりました。
母とも話し合い、無理だと思うけどメンタルがもう持たないから入院を早めさせてくれないかと朝一で母が病院に電話してくれることになりました。
安心度は増しましたがやはりゲップは止まらず。しかもアカシジアに近いような体のソワソワもあります。(入院してたときと同じような症状です)
ヒルナミンをまず服用していて、母がベッドに入ってからデエビゴを飲んだのですが、虚ろな目をしながら足取りが覚束ないのに部屋のなかをうろちょろしていてベッドに手をついたと思ったら電池が切れたように眠ったそうです。
母は転倒しないのかなどかなり不安だったようですが、転倒防止のためにずっと横になっていたくても体が勝手に動くのは自分でどうしようもできませんでした。
メンタルブレイクから3日目
10/17(木)
病院に電話できたから起きてという母の声で起きました。
入院の予定を立てた医師は休みらしいですが、外来にお越しくださいと言われたので病院に向かいました。
しかし到着して早々、担当医師が休みなので、担当医師が外来にいる明日お越しくださいと言われそのまま帰宅になりました。
いつもいってるメンクリが午前診察のみやっていたので、メンタルの調子を少しでも診て貰おうと母と一緒に受診。
夜のソワソワはヒルナミンでアカシジアが出ているのかなど相談しましたが、たぶん違うとのこと。ただ気になるならヒルナミンは一回辞めてみてと言われました。
そうなると眠剤がデエビゴのみになるのですが、メンクリ主治医曰く「眠れないくても仕方ない。眠れなくても大丈夫」とのことでした。
入院へのストレスでおかしくなっているから、そういう環境ストレスには薬は増やせないと言われました。
メンタルが安定するには入院といういま抱えてるストレスや不安を乗り越えるほかなさそうです。
もう気持ち的には勝手に眠らせる薬でも注射されて再入院日まで鎮静させておいてほしいくらいです。
それくらもう心が折れました。
明日とりあえず再入院予定の病院にいって外来にいるであろう担当医師に相談することにしました。すぐに入院できなくてもその病院には精神科も心療内科もあるので、そこに繋がればいいかなという淡い期待もあります。
精神科には入院したことないし、精神科の入院に向いているタイプではないですが、入院したほうがいいのかなとか色々考えていました。
母には迷惑かけてばかりですが、また仕事を休んでもらうことになりました。
そういう罪悪感もあってまた夕方大泣きして「迷惑かけてごめんなさい」「こんなメンタル弱くてごめんなさい」など泣きわめいてしまいました。
こんなにうだうだ悩んで不安を抱えてしまう自分に嫌気がさすばかりです。
メンタルブレイクから4日目(少し回復)
10/18(金)
ヒルナミンを飲まなかったのに、抗不安の眠気のおかげかなぜか眠れて気分は少しよかったです!なによりアカシジアのようなソワソワがないのが嬉しい。
起きてすぐ準備をして、無理だとはわかりつつ病院に入院日を早められないか相談しにいきました。
担当医が週に1日別の病院に行っていること。身体的に緊急性がないこと。緊急以外はECRPをやっているのが水・木曜日のためやはり難しいとのことでした。(そうですよね……すみません)
いまから一般病棟に入院して、精神科リエゾンチームの精神科医の先生に相談に乗ってもらうという提案もありましたが、精神科病棟ではないので常に相談はできず、個室代1日1万×4日分増えてしまうことを考えると難しいです。
お金があれば。(我が家は貧困層なので高額医療を使えば安い部類ですが、いかんせん私の収入が高校生のアルバイト以下なので難しいです)
最初に緊急搬送された病院が転院すればすぐに処置に入れると間違った情報を言ってなければと医師も言っていました。
ほぼ泣きながらメンタルがしんどいことを伝えてカルテには書いてくれたので、入院してからはメンタル面は色々面倒をみてくださいそうな気もしますした。
帰宅してから母が祖父のところについていくということで私も。
80代後半の祖父は高血圧と心臓が弱いだけで、他はとても健康的。大病をしたことはありません。
私よりメンタルも強靭で孫の立場にも関わらず励まされました。心持をよくするんだよ!とアドバイスされましたが、精神疾患になったよわよわメンタルではなかなか素直に受け取れませんでした。
早く元気になって祖父に明るく接したいと思いました。
メンタルブレイクから5日目~再入院前日
10/19(土)
今回もヒルナミンを飲まなかったのに眠れた不思議です。
緊張疲れなのかな。(きっと入院したら不眠になりますが)
メンタルは昼頃は少し回復したものの、明日から母が仕事に行くことや、入院のことが頭にちらついてしまい夜はやはり不安に。
趣味の読書も全く頭に入りません。
せめて気を紛らわせられるなにかがあるといいのですが。テレビをみていて暗いニュースが流れてくると落ち込んでしまいますし、息抜きの方法が全然わかりません。
10/20(日)
母が出勤する際に音で目覚めました。
母が仕事に行ってしまう。でもこれ以上は休ませられない。寂しいけど我慢!と思って、ゲップ関連の漢方や精神薬だけはしっかり飲んで基本はベッドへ。ベッドにいても入院のことを考えてしまうこともあり、気分転換と母の家事を減らすためにも掃除だけはしました。
夕食はしっかり油抜きしたおでんを胃にいいものだけを何個か食べました。すると2時間くらい少し吐き気が。
結構しんどかったのでこのタイミングで胆石発作起こるなよと思いながらベッドで丸くなってました。
10/21(月)
入院が近くなっていたので夜はあまり眠れず。
ヒルナミンに頼ろうかと思ったのですが、アカシジアがまた出たらと思うと恐怖で入れられませんでした。
気温がいきなり下がったので、温かい恰好をしてベッドに潜りながら、自分で「大丈夫、大丈夫」と口にしながらも涙を流していました。
母からも安否のLINEがきましたが、泣きながら「大丈夫」と送り抗不安を飲んで耐えました。
これで明日入院できるのか……。不安しかありませんが、病院に身を委ねるしかありません。
夜はやはり予期不安が出てきてしまい、処方されている抗不安薬を上限まで飲みました。
また昨晩と同じで食べたあと2時間~3時間ほど吐き気がありました。
恐怖の再入院
10/22(火)
ついに迎えた再入院日。
荷物も多く車ではないと病院へ行けないので、今日も母は休みをとってくれています。
個室が広々としていて気持ち的に少し楽に。
もちろん病的なほどドキドキしていましたが、ERCPの前準備などの詳細を聞いてもっと不安と緊張がMAXに。
病室入ってから2時間して精神科リエゾンチームの精神科医の先生が来てくださって、不安感の話を聞いてくださったり、眠れないときのヒルナミンに変わる薬を提案してくださいました。(ただ提案されたのが昔にアカシジアが出たことのあるクエチアピンだったので結局飲んでません)
「誰だって入院初日と処置や手術関連の直前は緊張して不安になります。幸いメンタルの薬は止めなくていいので、不安になる気持ちを自分の精神の病気のせいにしないでね」と言ってくださり心が軽くなりました。
その後昼食。いつも14時頃に食べるので病院の12時頃だとお腹が減っておらず、緊張も相まって全然食べられず、しかも量が多いので残してしまいました。ご飯200gは多い!
そこからは看護師さんも交えて、母が付き添い入院するか決めました。(転院前の病院からの連絡事項にも付き添い入院があったことや、メンタルがおかしくなったことは書いてあったはずで、看護師さん側も付き添い入院してほしそうな空気)
ERCPなんて初めてするから不安だし、母もERCPが心配で今回も付き添い入院してくれることになりました。母が優しすぎて、ベッドの上で何度も土下座してました。
精神科病棟があるからか?病院の独自の決まりなのか?病棟に入るにはスタッフさんか看護師さんにお願いしないと出入り口を開けてもらえないので、病棟以外行くところもなく抗不安薬が効いているのかウトウト。
起きてから病院だと気づいて、治療しなければとなぜか勘違いして、すぐパニック発作が起こり自分でもびっくりしました。
そのあとも夜眠れなくなると困ると思いつつ、1時間くらいウトウト。
消化器内科の主治医が回診にきてくださってERCPの説明。若いゆえに膵炎が起こるのが心配なのと、喉が痛くなるかもしれないということだけ。どっちも怖いと顔が引き攣りました。
また前準備として弾圧ソックスと尿カテを入れ座薬も入れるらしく、前準備の時点で嫌気。尿カテだけは回避できないか先生に聞いて、持参した紙オムツで対応してもうらうことにしました。
精神科の薬を飲んでるので鎮静剤も心配なのですが、なるべく多めに入れられるよう頑張ってくださるそうです。
主治医の回診も終わったので母が自分のご飯を食べたり荷物を持ってくるために一旦帰宅。
個室なのでテレビ見放題なのですが、17時〜だとニュース番組ばかりで、しかも暗いニュースばかり。
暗いニュースを見ながらの1人の夕食は憂鬱でした。
看護師さんが薬を持ってきてくださるのですが、精神薬以外にもホルモン剤を飲んだりしてるので、何個も足りないものがあってバタバタ。たくさん飲みすぎててご迷惑をおかけします。管理も面倒で申し訳ないです。
それにしても夜が近づくと明日のERCPのことばかり考えてしまって、病院から逃げ出したくなりました。
個室なのでテレビ遅くまで見てていいよと言われたので、結構遅い時間まで見てましたが、簡易ベッドで母は寝ぐっすり寝てました。
私も寝れたらいいのにな。寝れなくて電気つけっぱなしで申し訳ないと思いつつそれを見てました。
再入院2日目ERCP予定日
10/23(水)
ERCP当日
前日は30分しか寝てません。
ERCPが怖いし、病院が怖いし。自宅で効いてたはずの抗不安薬の眠気も来ませんでした。アカシジア覚悟で追加の眠剤貰おうと思いましたが、ERCPの時間が未定なので寝過ぎてもだめかなと思いつつ結局貰わず。
検温以外で11時ごろに看護師さんがきて、ERCPのための病衣への着替えと点滴開始。緊張からか点滴が上手くいかなくて看護師さんに「深呼吸、深呼吸」と声掛けしてもらいました。(点滴や注射を失敗されることはあまりないタイプです)
入院前は13:30くらいかそれより前に始まると聞いていたのですが、先生の予定が埋まってて15時半になるということでした。
緊張は高まるのに水分取れないので抗不安薬も飲めずソワソワ。看護師さんにもすごく緊張してガチガチですねと言われたほど。
14時に主治医が突然きて「もしかしたら総胆管結石ないかもだから、EUSをやる」と宣言されEUSで石が見つからなかったら、ERCPはやらない。見つかったらそのままERCPと決まりました。
泣きながら待っていると15時前に呼ばれ、紙パンツを装着して、坐薬を入れてもらい、ストレッチャーで運ばれました。(弾圧ソックス着用は忘れられていました)
母もいけるところまでついてきてくれ、最後の別れみたいな空気を醸し出しました。
10年前胃カメラやったときは鎮静剤や喉の麻酔はありませんでしたが、今回はあり。
喉の麻酔で軽くパニックを起こしてしまいました。初めてやったのですが呼吸ができなくかる感じが怖いですね。
猿轡みたいなバンドも自由を奪われる感じでもっとパニック。
あまりの緊張とパニックに男性医師たちが「息が止まるように感じるけど呼吸は止まらないからね」「落ち着いてから始めるから安心して自分のタイミングで」と声をかけてくださり、体感5分くらいしてから台の上に移動。
(何度か大丈夫ですと言ってたのですが、たぶん顔が大丈夫じゃなかったのか、全く急かされませんでした)
鎮静剤を入れて、いざEUS!!
鎮静剤全く効いてません!!がっつり意識ありますし、ぼーっとする感じもありません。
普段精神薬飲んでることを知ってるので、単剤だけではなくエチゾラムとなんかを混ぜてくれたようですが、終わるときまで一切効かず。
オエオエして泣いてました。気分はこの世の終わり。
「寝てる間に終わるから痛みなんて全くないよ」といった主治医を恨みたくなりました。
幸いにもEUSの結果は胆嚢結石はあるけど、胆管にも総胆管にも結石はないとのこと。
ERCPをしなくてすむようになりました!嬉しい!やはり合併症とか怖かったので、嬉しくて泣いてしまいました。子供産んだのかというくらい、部屋中がお祝いブームでした。
迎えに来てくれた病棟の看護師さんも嬉しそうで優しかったです。
とりあえず透析室のみなさんに感謝を伝えて部屋に戻って、鎮静剤入れてるのでベッドで安静。
緊張がとれたからか少し鎮静剤が効いてくる(といっても弱い眠剤飲んだレベルで意識はしっかりある。ただ抗不安効果はすごい)
胆嚢摘出したわけではないので問題は残ってますが、ひとまず安心しました。心なしか母も嬉しそうで、それに影響されて笑顔も増えました。
EUSだけなので晩御飯は出て、初めて楽しめたご飯タイム。
点滴も夜ご飯後には外されて、点滴付きだと余計眠れないので嬉しかったです。
20時ごろからテレビをつけながら、緊張がとけた母は簡易ベッドでぐっすり。
私は安定の薬が効いてこなくてお目目ぱっちり。
母のために電気を消して、持ってきていた電子書籍リーダーで本を読んでいました。
全部の入院通して初めて読書ができました。
24時くらいに母が歯磨きのため起床して少しお喋りしたり、一緒に本を読んで、母がウトウトしてきたので私もデエビゴ飲んで目を瞑りました。
朝4時。母の「眠れない!」とトイレに起きた声で私も起床。今回は3時間弱眠れました。
そのあとも睡眠チャレンジするもウトウトもせず。
母とふたり、退院だからもう寝なくてもいいかと諦めムード。
(母は身長高めなので付き添い用の簡易ベッドが小さくて本当に申し訳なかったです)
退院日
10/24(木)
ERCPをやらなかったのと、医療チームから見ても入院させてても眠れてないし母の負担も大きく、早々に帰らせたほうがいいということで退院!
母も私も眠れてなかったので6時からせかせか退院の準備。
ここにきて昨日の座薬の鎮痛剤効果がなくなったのか、喉の痛みに気が付きました。
風邪でやられた喉の痛みではなく、広げられた痛み。食道と胃の上らへんもチクチクする痛みがありました。
調べたらEUSって胃カメラの1.5倍くらい太さがあるらしいですね。そりゃ痛いわけだ。
朝ご飯だけは出たのでそれを食べて(喉が痛くて食べきれない分は母へ)薬剤師さんや看護師さん待ち。
その間に主治医とは別の消化器内科の先生がきてくださって病状確認。喉のことを聞いたら痛みはだんだん弱くなるから安心してくださいとのことでした。
9時に所持した薬が戻ってきて退院の手続き。10時には支払いをすませるという計画表を昨日渡されてたのですが、薬が戻ってきたのが10時。
しかもやはり頼んでたお薬が足りず、それをお願いしていたりしたら10時半。看護師さんがくる予定だったのですがこなかったので、ナースステーションに行き許可を貰いそのまま退院しました。
看護師さんって雑務もやるから本当に大変そうだなと思いました。
本当にお世話になりました。
次は3週後に外来です。
残るは胆嚢結石!食生活と運動気を付けるからどうか大きくならないで欲しい。
消えて欲しいまで贅沢は言わないから。
せめてメンタルが回復して、かつお金に余裕ができてからがいいです。
(それでも淡い期待としてはウルソ出して貰って、飲んだら消えないかなとか思ってます)
余談:退院当日はホッとしたことで1時間嬉し泣きをし、まだ胆石の心配はあるからか体が過緊張で固まっていてなかなか寝付けませんでした。
抗不安薬を飲み続けると鎮静剤が効かないことがわかったので、抗不安薬を飲むのにも抵抗が出てきてしまいました。
精神疾患者の生命保険や入院費の支払いについて考える
私は会社の過労とセクハラパワハラなどのハラスメントの数々で23歳のときに精神疾患を発症しました。
ブラック会社ゆえ年金も社会保険料も自分で払っていたので、生命保険に入る余裕もなく、入らないまま精神疾患を発症してしまいました。
精神疾患を患ってからは加入できる保険もないので、昔から母が加入してくれている県民共済の一番金額の低いものだけに加入しています。
(精神疾患持ちでも入れる保険はありますが保険料が高すぎるのと、県民共済のプランをあげたくても収入が少なく難しいです)
有難いことに障がい者年金をいただき、それだけでは生活ができないのでドクターストップのなか扶養の範囲内で働いています。
私は実家が賃貸で自室がなかったこともあり、20代半ばに現在住んでるマンションを家族みんなでローンを組んで買いました。
(家族全員で住むとなると部屋数的に賃貸より中古の安いマンションを買ったほうが安いのです)
そのためローンの支払いや生活費の支払いは母に渡しています。
残った金額はなるべく貯金。微々たる額です。
母も兄も所謂貧困層と呼ばれる部類のため(ギリ低所得者ではないので昨今のバラマキなどの恩恵は受けていません)お金を借りるなども難しいです。
今回かかった入院費は最初のところは個室代2泊3日含め約9万円
※絶食なので食事代はありません
転院先での色々な検査等が約7千円
転院先の入院が個室代と食事代2泊3日で含め約8万5千円
合計約18万2千円
私の月収の約4~5倍です。
前述の通り県民共済は激安のものなのでほとんど金額はおりません。
個室は贅沢とみなされるかもしれませんが、メンタル崩壊して夜中に泣いているようなやつが大部屋では周りに迷惑がかかり、夜中にナースコールを頻繁にするなども考えると個室以外選択肢はありません。
メンタルブレイクが凄すぎると最悪家族が付き添い入院になるのですが、その場合も個室ではないといけません。
一瞬生活保護になりたいと思うほどに、今回の入院費の金銭面の不安はかなり強かったです。
今後歳をとってもっと不調が出てきたらどうしたらいいのでしょうか。
自分がタバコを吸っている。お酒を飲んでいる。など自業自得だろうという不摂生ならまだしも、今回の胆石のように勝手にできる病気の場合はどうしたら。
収入は増えることはないでしょうし、むしろ精神疾患は不安定になっているばかり。
会社勤めだったら健康診断もあるかもしれませんが、精神疾患を持ってる限り健康診断をしてくれるような会社に就職できる気もしません。
今後の健康診断や入院費などどうしていったらいいのか今後の課題だと思いました。
今後胆嚢摘出しなくてはいけない確率は高いですが、そのとき払える入院費はあるのか。
もう色々と不安です。
精神疾患持ちの方で会社員している方は少ないと思うので、こういう健康診断の少なさからの病気の判明の遅さや、入院等した際の金銭面の問題抱えてる方は多いんじゃないかなと思います。
望みすぎかもしれませんが精神疾患をもっているかたが入院に耐えられる環境。働けない状態で病気になったとしても金銭面で苦労しないなにか。そういうのがあれば嬉しいなと思います。
ここまで長々とすみません。精神疾患を患ってから、入院するのは初めてで、こんなにも入院が困難を極めるとは思わず、記録として残しておきたいと思います。
医療従事者の方はもちろん、なにより母には感謝しかありません!!絶対恩返しするからね!!
精神疾患を患ってしまったことは人生の不運だけど、母の子で良かったです。母には長生きしてほしいです(書きながらもまた涙を流してる豆腐メンタルです)
みなさんも健康にはお気を付けください。