39. 台北で(その1:20年前の台北)
台湾は2回行ったことが有ります。
例によって仕事なのでそれぞれ台北に2泊だけ、しかもかなり以前のことになりますが。
1回目は1998年。
その頃から電子機器の製造メーカーはコスト削減のため台湾での生産を進めており、多くの提携先が台湾にできていたのです。
また、その台湾企業が深圳などの中国本土に進出も始めていました。
当時まだ羽田は国内線専用の空港で、唯一の例外が中華航空の台北との往復便。
国際線ターミナルへは車以外ではアクセスする方法がなく、一度モノレール(京急もまだ羽田線はありませんでした)で国内線ターミナルに行って、そこからバスで国際線ターミナルへ。
建物は古くて小さく、税関もこじんまりしているので、ホントにこんなところから国際線が飛ぶのかなぁ、と不安になったことを覚えています。
仕事で行ったので、到着した午後にホテルのそばを少し散歩する程度しか街には出ていないのですが、ビックリしたのはコンビニが多いこと。
ある交差点から7つのセブンイレブンが見えると言われましたが、その場所には行っていないので、ホントかどうかは知らないんですけど。
興味本位で店内を覗いてみたのですが、お店の感じは日本のそれと大きく変わりません。
でも、置いてある商品は飲み物も食べ物もローカル色豊かな独特のものが多かったですねぇ。
おにぎりがあったのは日本のコンビニの影響なのでしょうが、その中に「牛丼」ってのが…。
うーん、おにぎり🍙なんだけどねぇ。
その時、ちょっと郊外の協力工場まで車で行った時のこと。
市街地を出て走っているとあちこちに「**汽車」という看板が出ています。
れれ?台湾には汽車や電車の類はないと聞いていたのになぁ、と思って尋ねてみると
“Do you have train in Taiwan ? I see many Train company signboards.”
“They are automotive factories.”
(自動車工場ですよ)
とのお返事。
「汽車」と書かれるとSLをイメージしてしまう当方としては違和感満載ですが、まあ、これも漢字の本家がおっしゃることですから。
食事をしながら色々と話した時に言葉のことも聞いたのですが、台湾での標準語はマンダリン(北京語)とのことでした。
第2次大戦後に外省人(国民軍)が北京から来て中華民国=台湾となったからとの由。
因みにその時お話した協力工場の社長さんはボクより20歳程度上の方でした(当時多分60歳前後)が、年少期に台湾は日本領だったため、日本語で教育を受けていた期間があった由。
自分より高齢者は今でもかなり流暢に日本語を話すと言っていました。
これはその後行った韓国でも同様のお話を聞いたことがあります。
当時からそうですが、年代を問わず台湾には日本が好きな方が多い様でした。
若い年代は哈日族と呼ばれる由。
その社長さん本人は日本語はもう忘れているが、一つ歌を覚えていると言って、桃太郎の歌を歌ってくれました。
幼少期に刷り込まれた記憶はいつまでも残るんですねぇ。